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福神漬け


 カレーには福神漬けだ、という人が分からない。どうかすると「福神漬けの為にカレーを食べている」とまで言う。
 カレーを食べる理由なんて、カレーが食べたいからに決まっているだろうに。理解できない。相いれない。

 そういう人たちは大抵、回転寿司屋ではガリばかり食べる。粉茶の横にある箱のふたを開け、目を細める。そしてあのちっちゃなトングでガリを摘み、食べ終った皿の上にこんもり盛る。
「寿司屋に来たら、まずガリだよ」なんて言う。そんなことはない。寿司屋に来たらまず寿司だ。

 こういった人たちは、牛丼の上を紅生姜まみれにする傾向もみられる。そして恥ずかしげも無く「紅生姜の為に牛丼を食べている」と言う。

 一体何なのだろう。補佐、彩り、箸休めでしかない添え物をありがたむ思考とは。福神漬けを買い忘れたときのあの絶望した面持ちはどこから来るのだろう。らっきょうではいけないのだろうか。分からない。
 それから福神漬けもガリも紅生姜も、どうしてみんな示し合わせたかのように紅いのだろう。決して食欲をそそらせる色ではないのに、なぜ紅色なのか。
 信号なら止まれの色だ。試合なら退場の色だ。危険を意味する色だ。不思議だ。どうしてなんだ。

 この疑問に決をつけるため、私はカレーをこしらえた。福神漬け選びは慎重に行い、店の中でもとびきり紅いのを購入した。
 煮えたぎったカレーを米にそそぎ、皿の隅に福神漬けを添えてみる。隣接する白米を染め上げるほどに、紅い。くれないだ。
 なるほど、実際にやってみると確かにカレーが華やいで見える。
 カレーの茶と白の中に、無理やり紅が咲いて、一気に都会の女という雰囲気になる。
 野暮ったさが無くなるというか、ちょっとやそっとじゃなびかない雰囲気を醸し出した。

 福神漬けだけを、ちょいと掬ってかじってみた。爽やかだ。シャクッカリッと歯触りが良い。見た目に反して実にサバサバしている。けばけばしい身なりをしている割に、実は気っ風が良くて粋な奴だった。
 ルーとライスを挟みながら福神漬けを口にすると、得も言えぬ疾走感があった。匙を掬う速度が格段に上がる。さながらマラソンの給水所である。
 しばらくカレーに夢中になってから、おやそういえばいたいた、と福神漬けを口に運ぶ瞬間が堪らない。カタルシスを感じさせる。

 つまるところ、食わず嫌いであった。
 福神漬けは美味しい。福神漬けがカレーにないと悲しい。
 でも福神漬けを食べる為にカレーを食べるという気持ちはいまいち分からないままだ。
 このように述べる人は、福神漬けのみを昼食で食べたりするのだろうか。
「福神漬け、豆腐のみそ汁、牛乳」みたいな定食が出てきても怒らないのだろうか。

 あれは言わば「福神漬けに対する愛を表現する言葉」であるに過ぎない気がする。
 もし数多の人が心の底から福神漬けを食べる為にカレーを食べているのならば、至る所に福神漬け屋さん、福神漬け専門店が出来ているはずだ。
「福神漬けの天才」とか「ふくじん好し」とか、どこかで聞いたことのあるような名前の福神漬け屋さんが駅前に乱立するだろう。
 福神漬けへの愛が足りない。愛を語るボキャブラリーが少ないのがいけない。
 福神漬けラバーズはもっと己の表現を磨いていかに自分が福神漬けを愛してやまないのかを表現するべきなのだ。
 


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