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ACの名残りと母

以前、投稿したように私は、母のことを
「昔から知っているおば(あ)さん」と
位置づけている。

だから、世の中によくいる
・一緒に旅行や食事などに行く
・お互いの家を行き来する
・頻繁に連絡して近況を話す
ということは、していない。

ただ、子どものころからの刷り込みのせいか、
うつがよくなってきた昨今、
「親孝行しなきゃ」
という思いを消すことはできない。

離婚して働いていた時期は、
職場の宴会、出張、子どもの体調不良があると
私が休暇を取れない状況であれば、
母が休みであれば当然に、
場合によっては、母が職場を休んで助けてもらった恩もある。

絶縁して、悲しい思いをさせたこともしかり。

秋に公開予定だった映画を一緒に観に行く約束をしていた。
今月になってようやく封切になり、約束どおり一緒に観に行った。

「舞鶴公園の桜も観に行こうね。」
「牡蠣小屋にも行きたいね。」
「うちのそばに美味しい海鮮丼屋さんがあるの。
 こっちにきたら、食べに行こうね(母)」
「去年の紅葉狩りはよかったよ」といえば
「じゃあ、今年は連れて行って」
と、約束は増えていく。

そのせいだろうか。

母は
「娘のうつは治っている」と思い込んでしまった。

そんな折、先週電話が鳴った。
「今日、時間ある?梅園に梅の花を見に行かない?」

その日は前日に出掛けて、疲れ果てていた。
「今日は疲れているから、悪いけど行けない」

違和感が残った。

突然、当日になって誘うなんて...。
--うつは急な予定変更についていけない

「悪いけど」と罪悪感を持ったこと…。
---なんで、罪悪感に苛まれなければいけないんだろう。

心にしこりになったのは、後者だ。

私は母の存在を、一旦「他人」にカテゴライズしたのに
心の中では、それが確立していないことに気がついた。

「細々と年金暮らしをしている母が元気なうちに、
楽しい思いをたくさんさせてあげたい」が
どうも私の本心のようだ。

けれども、それが果たせないことで苦しんでいる。
先日の観梅を断ったのも、同じ理由だろう。

頭ではACから脱却したけれども、
心がまだ母に憑りつかれている。

母には思い切って伝えた。
当日誘われて、出かけられるほど私は臨機応変に
行動できる状態ではないのだと。

母はしみじみと
「この頃、会っても元気そうだから
病気がすっかり良くなっていると思っていたの。
まだ病気は残っているのね、今度から気を付けるわ」と。

伝えたいことを伝えてすっきりしたはずなのに
母を置いてけぼりして、傷つけてしまった気分で
決して心象はよくない。

母が伴侶と訣別し、今、一人でいる状況は
母が選び取ったものだ。
私は伴侶の代わりのように、母を楽しませる義務はないのだ。

立ち位置は変われど、また子供のころのように
「父親代わり」を求められている気分。

ACは根深い。
刷り込みは手ごわい。

このことを意識して、
母との距離感に罪悪感を持たず、
自分が心地よいように生きていけばいい。
そうすることが、子の幸せを願う母にとっても
最良の選択であると、
もう一度、自分を納得させてつきあっていく必要が
ありそうだ。

しばらくは「母断捨離」しよう。
母が誤解しないためにも。

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