見出し画像

「ごめんね」と「いいよ」のはなし

「ごめんね」と言ったら「いいよ」と返事をしなくちゃいけないの?
ママたちのSNSでたびたび話題になっているのを目にする。形ばかりの「いいよ」は言うべきなのか、と。
この問題に、一人の大人として、また、保育士経験者として断言する。答えは「ノー」だ。

「ごめんね」が言えることは人間関係を築くうえでとても大切。相手を傷つけた、ひどいことをしてしまったと気づき、謝る。気持ちを伝えるのはいつだって難しいけれど、頑張らなくちゃいけない。だって間違えたり勘違いしたりすることは誰にでもあるし、機嫌がわるくて嫌な態度を取るときもある。
そのときに「ごめんね」を言えなかったら、相手にどう気持ちを伝えたらいいのだろう。仲良くしたいんだよって、大好きなんだよってどう伝えたらいいのだろう。

でも、傷つけられた側はどうだろう。嫌な気持ちや悲しい涙をこらえて、「いいよ」って言うべきなんだろうか。
心の整理ができなかったら、「やだ」とつっぱねていい。「許さない」と怒っていい。だってわたしは損なわれたし、あなたのせいで傷ついた。だから許す気持ちにはなれない。そう表明するのは決して悪いことではない。傷ついた側が、「まあもういいか」と思えて初めて「いいよ」が言えるのだ。

4歳の長男はとてもマイペースで、わたしに叱られることがある。たとえば、保育園に行く支度をしているとき。長男がのんびりとトイレに行き、のんびりと靴下をタンスから出しているので、次男の靴下を先に履かせる。するとすかさず「ぼくが先だった!」と怒る。
「あなたがのんびりしているからでしょ」とわたしは言う。
(いいですか、みなさん。保育者もおうちではママなんですよ。園児にかけるような言葉で促したりできませんよ)
長男は考える。考えて自分で靴下を履き、ぷりぷりしながら玄関に向かう。

そんな出来事をすっかり忘れて保育園に迎えに行くと、帰り道で長男は言う。「お母さん、朝怒っちゃってごめんなさいは?」
これは、ぼくは嫌な気持ちになったんだよ、の、4歳なりの表現だ。だからわたしはなるべく心をこめて「ごめんね」と言う。
長男は「いいよ」と言ってくれる。だけれどこれから、「いいよ」と言ってくれなくなる日が来るのだろう。

傷つけたり迷惑をかけたりするのはお互いさまだ。だから許せるようになるのは大切。だけれど傷ついた自分をほったらかしにして、なかったことにするのがいいとは思えない。公園のブランコで遊ぶ夕方みたいに、どこかに気持ちを置いてきてはいけないのだ。

だからわたしは子どもたちに、「いいよ」は強要しない。きみたちはきっと、大切なことは自分で考えて学んでいくから。


(保育士経験者として、事情があって気持ちの整理が苦手な子、人との関わりに難しさを抱えてしまっている子どもたちとその保護者の方には最大限の敬意を表します。あなたが笑顔でありますように)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?