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あいにできることはまだあるかい

RADWIMPSの名曲、『愛にできることはまだあるかい』より題をお借りしました。

映画『天気の子』の主題歌だったせいか、わたしはこの曲を若い恋人たちの歌として聞いていた。
ただ、よい楽曲というのは普遍性のあるもの。
最近はこの曲を、家族の歌、そして子育ての歌として聞いている。

愛情って難しい。
自分の子どもを可愛がることが、こんなに難しいとは知らなかった。赤ちゃんのころはただただ愛しい存在だったのに育ってくると「これでいいんだろうか」と疑問が沸く。
子どもの1番の味方でいたいのに、親ばかだとか過保護だとか思われるといけない気がしていた。

でも、子どもは愛がないと育たない。そして、愛というのは言うことを聞かせることでも、「おりこう」に育てることでもない。
それを今痛感している。

わたしが考える愛するってこんな具合。
褒めること。
大好きだよって伝えること。
そのままのきみでいいよって伝えること。
きみならできるよって信じること。

たぶん、今までのわたしは間違えていたのだ。

幼稚園に行くようになって、長男は明らかに変わった。
自分に自信がついた。不安がって泣いたりぐずったりすることが減った。
「ぼくやるよ」って言うことが増えた。
許せることが増えた。

それは幼稚園という場で素敵な先生にたくさん囲まれてたくさん褒められ、たくさん愛情を受けたからだ。

今も。
自分の子どもが他のひとに愛されるのはどんなにか幸せなことだろう。

学童クラブで働いていたころ、わたしにはできていただろうか。
保育園で働いていたころ、わたしは子どもたちを愛せていただろうか。

8年も働いていたのに、一生懸命勤めていたのに、わたしはこれっぽっちもわかっていなかった。

先日、あるひとが息子のことを「かわいくてなんでもしてあげたくなっちゃう」と言っていることを知り、わたしは寝ている息子を見ながら泣けてしまった。よかったね、愛してもらってよかったね、本当によかった。

わたしは嬉しかったのだ。自分の子どもが当たり前みたいに他人に愛してもらえることが心底嬉しかった。
親ばかなんかじゃない。

今までのわたしは自信がなくて、子どものよくないところはそのまま自分に跳ね返ってしまっていた。自分の自信を削るから、息子には「おりこう」でいてほしかったのだ。
不安定でよく泣き、よくいらだつ息子を受け入れられなかった。
だけれど一方で、専門家の目として息子が優しい子であることもじゅうぶん知っていて、「なぜこの子がこんなにも不安がり、自信を無くさなきゃいけないんだろう」と首をかしげてもいたのだ。

大好きだよって、伝えればよかった。ただそれだけなのだ。

本当に魔法みたいに愛情が子どもを変えるようすを見た。天気を晴れにすることと同じくらいすごいと感じた。

だいじょうぶだ。もう間違えない。わたしはひとを愛することを、間違えたくない。
愛にできることは、まだあるよ。
ぼくにできることも、まだあるよ。

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