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わたくしは女子である。名前はまだない。

最近、女子や女性というあり方について考える機会が増えた。
わたし個人としては30代半ばを迎えて、もう「若い女の子」として見られることはなくなった。
それはすごく自由なことだ。「若い女の子」に求められる役割はとても大きい。若い女の子は往々にして、パートナーの有無・婚姻の有無・結婚願望の有無・私生活に関して、友だち以外にもオープンに明るく話せる姿勢が求められる。

私は世の中の男性には2種類あると思っている。女の子を「女子」というカテゴリーでとらえる人と、名前を与えられた個人としてとらえる人だ。

今回はわたし個人として、「女子」であることの何がそんなにいやだったのか、振り返ろうと思う。

かわいいは、つくれない

某有名プチプラコスメのキャッチコピー(逆説)。
キャッチコピー自体は素晴らしいものだと思う。女の子の心理をうまくくみ取って、商品へのイメージに活かしている。
でもね、かわいいはつくれないんですよ、ほんと。

これは顔の造りとはではなくて、もともとの興味だとか、学校によるカースト制度による影響が大きいと思う。
学校には「かわいくてモテる女の子」と「その他」というカテゴリーが確かに存在する。
「その他」に入ってしまうともう、かわいくしようとすることさえバカみたいに思えてしまうのだ。
「その他」なんて乱暴なカテゴリーだけれど、ほんとにそう。大事にはされないし、男性からの扱いも雑。
なんで「その他」カテゴリーなんだよ、もっと丁重に扱ってよ、といくら念じても、悲しいかな、願いは叶わない。だってそれは他の人たちによって決められたことで、宿命なのだ。

生理も男性への配慮も、我慢しなくちゃならないんかい

おっと、お口が過ぎましたね。
でも、ナプキンや頭痛薬のCMって、我慢をするのが前提じゃないですか。
むしろそういう日でも明るく楽しく過ごせることを提唱している。

血が流れ続けるという生理現象自体異常だけれど、血液が失われるということは、そこに含まれている鉄分も同時に失われるのだ。
貧血じゃない女性っているのかな?あまり聞かないな。

タイトルにもあるように、10代から20代くらいの「女子」たちは、女子であるがゆえに名前を持たない存在として扱われることがたびたびある。ぞんざいな扱いを実感したことがない女性はたぶん、いない。「聞いたことないな」と思う男性は、周りの女性が気遣い上手だっただけだ。

「じゃあどうすればいいんだよ、若い女の子なんてわかんないよ」と思っているそこのあなた。その疑問が間違いなのです。
あなたの目の前にいる子は「若い女の子」ではなくて名前を持った個人です。ちゃんと個人として興味と関心を持って尊重してください。

もうね、「女子」を失って、名前を持つ個人として生きられるようになって非常に楽です。
そういう世界になってほしい。
これから女子たちと関わっていく息子たちにはそのへんをよーく言い含めようと思います。


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