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また一歩、踏み出すために

こんばんは。

今日、地域の保健センターへ伺いました。
目的は、自立支援医療(精神通院医療)制度の申請を行う際に、必要な書類を受け取りに行くためです。

私は大学に入学して、社会福祉の専門科目を受ける中で、「自立支援医療」と言う制度があることを知りました。しかし、「社会の中にはこういう制度が必要な人が一定数存在するんだな」と、頭では理解したつもりになっていたけれど、実際に「まさか自分が」それを使う側に回る、なんてことは、これまで一切、想定していませんでした。

それに私は、時折noteにも書いているけれど、精神障害を持つ人に対して、心のどこかで偏見を持っています。あろうことか、自分自身も、精神症状を持っていて、治療のため、心身の健康を保つために数年前から通院をしてるのにもかかわらず、です。私は最低な人間です。

何よりも、私自身、自立支援医療とかそういう制度を使うことは、「『自分は社会の負け組である』と言っているようなものだ」「私は『そういう人間なのだ』と主張しているようなものだ」と思っている節がありました。今も正直、その気持ちはぬぐい切れていなくて。

でも、結果として、今日私はこうして、自立支援医療制度の申請をすることを決め、書類を受け取るために、地域の保健センターへ赴く、という行動を取りました。私はなぜ、行動に移せたのか。それは私が、ある人と、ある人の「言葉」に、背中を押してもらったからです。

私は先日、私の大切な人のうちの一人(以下Kさん)に対して、私が「自立支援医療制度を申請することを躊躇っている」ことや、「その制度を使うと言うことは、自分がそういう人間であると言っているようなものだと思っている」といった内容を、インスタのDMで打ち明けました。

するとKさんは、「『支援を受けること=そういう人』というわけでもなんでもなく、その制度はその支援を必要な人が、必要な時に受けられるようにするためにあるんだと思う。だからもっと気楽に考えていいと思う。使えるものは使ってみるか、自分の調子がよくなるまで、緩い気持ちで通院をしてみるか、くらいの気持ちでいいと思う」という言葉を贈ってくれた。

Kさんは、私が本当は、きっとそう言って欲しかったのであろう言葉を、贈ってくれた。何より信頼している人が話す言葉には、説得力があった。
その言葉を、Kさんから受け取った今、行動しない手はない、と私は思った。

それは、私がまた一歩、踏み出すために、必要な行動なのだと思った。

今までも私は、考えて決断して、いつだって行動を起こし続けてきた、と自分では思っていて。例えその一歩が、周りと比べて小さかったとしても、自分としてはいつでも、それは大きな一歩だった。

その「一歩踏み出す」という経験を、行動を、これまで何度だって繰り返してきて、今の私があるのだから。だから、今の私にできないわけがないし、できる理由しかないわけで。

一歩踏み出す時はいつも、怖いし足がすくむ。
結局こんなこと書いている今だって、頭の中では「社会から軽く扱われるんじゃないか」「精神障害なんて、気の持ちようでどうにでもなるって思われるんじゃないか」ってどこかで思っている私もいて。もちろん、そういう人がいることはきっと事実。かと言って、社会に居る人のすべてが、そういう人、と言うわけでは、きっとない。

調子が悪い時の私はまだ、社会に対して、ネガティブなイメージを抱いていることの方が多いみたいだな、と思う。
いつだって「大人は疑ってかかるものだ」「人は信じたら、いつか自分のことを裏切るものだ」そんな風に。

そうやって、自分から、相手との関係をシャットアウトしようとしてしまう。もちろん、調子がいい時には、そう言うことはほとんどないけれど、調子が悪い時は、私の思考が、無意識のうちにそうなってしまいがちで。
それを最近、自覚できるようになった。これもひとつ、成長かな。

だから今度は、そうなった時に、どう対処するか。
これが課題かなって思っています。課題って言うと、なんだかマイナスな風に考えてしまうから、「考え方がマイナスになっちゃった時に、その考え方をプラスにするために、私は何をすればいいのかな」っていうことを、考えて、行動に移していく。一人で考えるのも、もちろん時には大事だとは思います。

ただ、抱え込みすぎるとまた、いつか爆発してしまうから。
爆発する前に、人に頼る。私は最近になって、ようやくそれを覚えた。もっと、人に頼っていいことを知った。人に頼ることは、その人に対して迷惑をかけるものだとばかり思っていたけれど、その行為を、「むしろ嬉しい」と言ってくれる人がいることも、知った。

今、私は生きることが、すごく苦しい。うまく言語化できないのがもどかしいけれど、今の私には未来が見えない。「明日、ちゃんと生きているか」の確証が持てないまま、一日を必死に生きている。

今の私は、暗闇の中にいる。でもそこは真っ暗闇じゃなくて、ところどころから光が差し込んでいる。それは、「あなたは独りじゃないんだよ」って、大切な人の存在があることを私に教えてくれる、幾つもの光。

その中で、私は自分の歩幅で一歩一歩、前に進むために踏み出すことを、ことあるごとに繰り返している。

そして私は今、決して止まってはいないし、後退もしていないことだけは、確信が持てる。

私は、大切な人たちの支えのおかげで、まだ生きられるんだと思う。


読んでくださってありがとうございます。

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