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松丸亮吾さんの考え方の土台を知った日

松丸亮吾さん(以下:松丸さん)。これまでも名前だけは存じ上げていたが、昨夜のnoteのイベントをきっかけに、より一層、私が興味を持った人。と言うのも、私は以前、noteを何となく見漁っていた時に、とあるイベント告知の記事を閲覧した。それが以下の記事。

そこに書いてあったのが、松丸さんの名前と「ひらめき力・クリエイティブ思考」と言う単語だった。これを見た瞬間、自分の中でピンとくるものがあって、私は半ば勢いで、イベント参加の申し込みをした。ただ、流石に現地に行く勇気は私にはなかったので、オンライン視聴という逃げ道(言い方。笑)を選んでしまった。それは置いておいて。

結論。オンライン視聴でも、参加して本当によかった。松丸さんの人柄を垣間見れて、見事にはまった。松丸さんの人間性を、私は好きになってしまった。また、聞き手の村上純さんの聞き方や松丸さんへの返し方を見ていて、自分にとって、とても勉強になった。

おふたり曰く、昨夜のイベントでは、「事前に話そうと思っていたこととはまったく違う」トークになってしまったらしい。ただ、まさに今の私が聴きたいことは、その脱線した部分だったなと思った。(ここでの脱線とは、いい意味です笑)

例えば、コミュニケーションの話。昨夜は、松丸さんのチームで話し合いをする時を具体例に、話をしてくださった。そこで、私がハッとされられた言葉があった。それは「人によって考え方は違う。だからこそ、その認識の違いを埋めていく」と言うものだった。いや本当にそうだなと思った。

と言うのも、先日まで、私の周囲の環境でいろいろあって(と言うよりも私自身の、その物事への捉え方の問題か?)他人の考え方や価値観を、私が理解できずに勝手にもやもやする、ということが何度かあった。ただ私の場合は、友達に相談したところ、先日の記事にも書いたように「そういう人もいるんだな」と言う考え方を教えてもらい。それを意識することで、私は格段に気持ちが楽になった。

松丸さんの、考え方が違うからこそ、その認識の違いを埋めていく、という考え方は、私の友達が教えてくれた考え方を、さらにブラッシュアップしたものだ、と昨夜聴きながら、そして、それを振り返りながら書いている今、思っていることだ。それこそ、大学の授業でやったじゃんこの考え方、って思った。「どうせそんなの理想論だろ、現実はそんなにうまくいかねえよ」とタカをくくって、どこかで小馬鹿にしていたのであろう私は、すっかりこの考え方を忘れてしまっていたらしい。

でも、松丸さんが言うのなら。もう一度、この考え方を推してみるのも、いいかもしれないと思った。改めて、ある考え方・主張と言うものは、それを伝える人によって、受け手の捉え方って、良くも悪くも大きく異なるんだな、と思った。私は結構、というかかなり、発言者によって、その物事に対する考え方を、肯定的にとらえるか否かが変わる人間だな、という自覚をしている。

そして、もうひとつ松丸さんのチームでの話し合いにおいて、松丸さんが大切にしていることを話してくださった。それは、「ある人の考え方に対して否定をしない」というものだった。もし、自分と違う考え方をぶつけられても、それを否定するのではなく、どうしたらお互いにそれらの『違い・認識を埋められるか』の議論をする。その為に、自分は代替案を出す。そうすれば建設的な議論ができると思う、と仰っていて。うわあなるほど、確かにそうだわ、と思った。そしてこれも、大学の授業でやったじゃん私、何忘れてるんだろう(2回目)となった。

私は松丸さんのように、大学の授業で学んだことを実践しようとしている人の足は引っ張りたくないな、と思った。足を引っ張るんじゃなくて、一緒にその考え方を実践する人で在ろう、と思った。

松丸さんの話を聴いていてハッとさせられたことは、まだある。それは話し合いの時に、「フリーライダーがいないように努めること」だそう。ここで、フリーライダーとは、ただ乗りする人のこと。大学では所謂、グループワークの時に、発言することをせず「ただそこに居る人」のことを指す、また自分は何もしないのに、周囲の努力によって得た成果物に便乗する人のこと?と私は認識している。

松丸さんは、チームでの話し合いの時に、このフリーライダーが出ないように、発言が少ない人に対して「あなたはどう思う?」と言ったように、投げかけをされていると言う。松丸さん曰く、それをする理由は「居るだけじゃもったいないから」だと言う。

確かにそうだと思う。居るだけじゃもったいない。しかし、何というか、私は松丸さんのことを率直に「すごいな」と思った。いいものをつくるために、チームの方向性を合わせようとされていて。考えるだけじゃなくて、その考え方を、実践されていて。

と言うのも私も一時期は、そういうことをしていたことがあったから。何となく、気持ちは理解できるのだ。皆で同じ方向へ歩いて行こう、と働きかけたことは、数知れず。しかし、その多くが失敗に終わった。失敗と言うよりも、自分自身の「諦め」に近かった。

ある時、無理だと分かってしまったのだ。個人の理想や、それを掲げて周囲を巻き込むことは、ただの理想主義者で、迷惑で、黒い羊なのだと。変人なのだと。その個人(=私)こそ、ただ居るだけの邪魔者なのだと。いつしかそう思い込むようになった。

しかし、昨夜の松丸さんの話を聴いて、また考え方が変わった。きっと、私が「こう在りたい」と理想を思うこと自体は、悪いことでもない。ただ、自分のその考え方や、価値観と違うそれに出会った時に、私が取るべき行動が違っていたのだと。今までは私がそれに対して「理解できない!」といちいち反応しては、苦しくなっていた。そうではなくて、「そういう人もいるんだな」と一旦受け止めた上で、「自分と相手の認識の違いを埋めるためにはどうすればよいかを話し合う」こと。今の私に必要なのは、恐らくのこの部分なんだなと、気付けた。

昨夜のイベントで、私は、今の私自身に必要なことに気付けた。このタイミングでこのイベントに出逢えたことと、松丸さん、村上さんには感謝。いやあそれにしても、何というか。大学4年生の後半にして、学ぶとか気付くとか、まだまだそういうことってたくさんあるんだなあって思った。

いやそもそも、人生って学びと勉強の連続ってよく言うよね、って言われたら、そこまでなんだけれども。笑

何と言えばいいのか、正直大学の授業は、個人的になんかもう、やり切った感がある。だからか、どこか達観していると言うか、もう学ぶことはないって思っていた自分がいることは否めない。これはよくなかったなと反省。

こういう言い方はよくないのかもしれないけれど、今の私は大学の授業よりも、学外のこういうイベントに参加して学びや気付きを得て、いかにそれを実践していくかに舵を切る方が、性に合っている気がする。たぶん私自身の興味の分野と言うのか方向性が、完全にこの4年で変わったんだと思う。まあ、それに今のタイミングで気付けたのは、自分にとっては、いいことかな?笑

幸か不幸か、既に私は、大学卒業の為に必要な、単位の心配をする必要はない段階まできている。だから後は最低限(語弊があるか。ちゃんと毎週)授業を受けて、やるべきことをこなしつつ、今後も興味のあるイベント等に参加していこうと思う。


読んでくださってありがとうございます。

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