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「私を生きる力」を漲らせてくれる

昨日今日、先日放送された「鬼滅の刃 刀鍛冶の里編(以下:刀鍛冶)特別編集版」を一気見した。

言わずもがな、大満足だった。同時に、昨年の地上波放送を見て、あれからもう一年が経つんだなあと、時の流れを感じさせるものがあった。

昨年初めて刀鍛冶を見た時、見続けるのが、正直私にはとても苦しかった。特に、話が進むにつれて、私の想像を絶する事実が次々と判明しては、心を痛めることが多かったから。

後半にかけて、涙がぼろぼろ零れ落ちては、頭に酸素が行き渡らなくなるんじゃないかって程、泣いた。

前提として、私は漫画は一切読んでおらず、アニメを視聴するのが好き。その分、何の事前情報もなく見始めたからこそ、毎回の放送で、その密度の濃さを感じられたんだと思う。

炭治郎始め、それぞれのキャラには、それぞれの過去がある。

その過去のトラウマや傷を負い、それに囚われ。それでも彼らは、今を懸命に生きようとする。もがき、足掻き続ける。

絶体絶命って言葉がまさに当てはまるような事態に、何度も遭遇する。その度に死を覚悟する。でもそのほとんどは生き延びる。彼らは、それを繰り返す。

彼らのその姿は、「私を生きる力」を、私に漲らせてくれる。だから私は、鬼滅の刃を見続けるんだと、ふと気付いた。

どんなに、惨殺の場面があろうとも。何度血しぶきに見舞われ、首が吹き飛ぼうとも。

それ以上に、鬼滅の刃と言う作品には、作者が、この作品に携わっている全ての人が、受け手である私達に対して、伝えたいメッセージがある。

そして私は、そのメッセージを自分なりに解釈し、受け取った。

だからこそ、何度も見返してしまう。その度に気付かされるものがある。見終わってしばらくの間、放心状態になるくらいには、人目も憚らずに泣いてしまうから。

来週からの柱稽古編が、今からとっても楽しみなこの頃。


読んでくださってありがとうございます。





P.S.
鬼滅の刃を見る時。私は「よし、今から鬼滅の刃を見るぞ!」と、覚悟をして臨むようにしている。なんだか自分でもよく分からないのだけれども、いい意味で、とっても体力気力を消費するので…!

これはここだけの話。笑

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