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柿本人麻呂とわたくし あるいは「ちんぽんかんぽん祭」について

 歴史雑記160
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はじめに

 少しばかり過ぎてしまったが、3月18日は柿本人麻呂の忌日と伝わる。ちなみに小野小町もそうである。
 これらはもちろん、後代に生まれた伝承であって、なにか史料的な根拠などがあるわけではない。
 以前も柿本人麻呂については書いたことがあるが、今回は少し趣向を変えて、平林少年と人麻呂について書こうと思う。

 (以前の記事はこちら)

葛城市柿本について

 これは以前の記事でも触れたが、おさらいをしておこう。
 わかりやすく箇条書きにすると以下のようになる。

①地名として現在まで「柿本」が残る。
②和珥氏同族集団としての柿本朝臣の拠点であったと考えられる。
③人麻呂個人との関係は詳らかではないものの、②及び「歌聖」としての人麻呂の評価が相まって、地名として存続したと考えられる。

 これを前提とすれば、葛城柿本神社がいまなお地元の人々によって存続している背景は容易に理解できる。
 平林少年は『小倉百人一首』のなかで、人麻呂の歌を最初に覚えたが、そういう子どもは地域に少なくないと思われる。

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