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奈良県民マジで筒井順慶に興味ない問題

 歴史雑記159
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 ※ヘッダは箸墓古墳。被葬者は卑弥呼だとか壱与だとか言われる。

はじめに

 以前、戦国史研究会の懇親会で冗談混じりに「平林さんは筒井氏をやればいい、そうしたらすぐに第一人者だ」と言われたことがある。
 要するに、筒井氏研究を専門にやっているひとが一人もいない、というわけである。
 筒井氏や戦国史に限らず、奈良県は中世史研究が盛んではない。
 理由はいくつかあるが、割と深刻な構造的な問題があるので、今日はその辺りに触れてみたい。

滅亡した大名家の研究は難しい

 まず、筒井氏に限らず、滅亡してしまった大名家の研究というのは難しいことが多い。
 後北条氏や武田氏のような例外はあるものの、大名としての価格を失うと家臣団も文書もバラバラになってしまう。
 歴史研究はなにをおいても文字史料が必要であるから、文書が散逸してしまうと研究の難易度は上がる。
 条件的に恵まれている戦国大名家の場合、中世末から近世末まで領地も動かず、従って文書もまとまって残っている。代表的な大名をひとつ挙げるなら島津家がある。島津の場合は誰もが羨む『上井覚兼日記』などもあり、さらに深い研究ができるという次第である。

筒井氏研究の困難

 筒井氏は戦国大名→織田大名→豊臣大名→徳川大名と変遷し、順昭・順慶・定次の三代がいわゆる「大名」であったわけだが、必ずしも順調に推移したわけではない。

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