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もしも過去を変えられるとしたら?

最近読み終えた本について書こうと思う。恩田陸さんの「ねじの回転 FEBRUARY MOMENT 上・下」(集英社文庫)

時間遡行技術を手に入れた世界。悲惨な歴史を変えるため、過去に介入した国連。よりよい未来を目指して行ったことだったが、待っていたのは、更に悲惨な世界だった。国連は歴史を再び正しい方向へ修正するプロジェクトを開始する。日本の歴史の転換点として選ばれたのが、二・二六事件。選ばれた3人の協力者。様々な思いを抱えながら、正しい歴史を再生するため、事件のあった4日間を再び繰り返すことになるが、歴史は思わぬ方向へと進んでいく…。

「過去を変えられたら?」誰もが考えたことがあるのではないだろうか。「あの時ああしていたら」「あんなこと言わなかったら」「もし今とは違う選択をしていたら」これまで何度も考えてきたこと。この物語を読んで、「もし過去を変えることができたとしたら、わたしは何を変えるだろうか?」って考えた。

ひとつ、思いついたことがある。高校生の時にお付き合いしていた人のこと。あの頃のわたしは自分勝手で、相手のことを大切にできなくて、相手の優しさを蔑ろにして傷つけるようなやり方で、一方的に別れを告げてしまった。あの日から一度も会っていなくて、きっともうこの先会うことはなくて、今でもずっと、申し訳ない気持ちでいっぱい。もし過去をやり直せるなら、あそこで感情的に別れを告げてしまうのではなく、ちょっと立ち止まってもっとよく考えて、きちんと話をしたい。相手の優しさをもっと大切にしたかった。

だけど、過去が変われば未来も変わる。小さなことでも、その一点を変えることで、わたしの今は、どうなってるかわからないんだって思ったら、怖くなった。後悔していて、戻れるなら変えたいと思っていた過去の出来事だって、それが積み重なって今のわたしに繋がっている。一つでも変わったら、きっと全然違うものになる。過去には戻れない。今の時間を大切にするしかないんだって、改めて感じた。


「歴史」ってなんだろう?

高校の時、古典だったか日本史だったか忘れちゃったけど、先生が「歴史は勝者のもの」と言っていた。わたし達が一般的に授業で習うような「歴史」のほとんどは、それぞれの時代に、「歴史」として文字に残されてきたもの。そして、そうやって文字に残すことができたのは、その時の戦いに勝ち、社会の中心に立った者。文字に残された「歴史」の裏側には、語られなかった過去もある。

この物語の中では3人の軍人が、後に正史として残されてく歴史を知りながらも、様々な葛藤や悔しさ、怒りを抱え、歴史を変えられるのではないかと期待し、もがく姿が描かれている。その中で彼らは、歴史とは、史実とは、正史とは何か?って感じていると思うんだよね。フィクションとはいえ、いろいろな人の思いに触れて、胸が苦しくなる。

知識として知っている、授業で習う「歴史」は、大きな大きな歴史の中の、ほんのひと握りの上澄みでしかない。それは果たして正しい歴史なのか?正しい歴史とは何か?結局わたしたちは、タイムマシンでもない限り、過去に何があったかを知るすべはなく、記録されたものでしか歴史を知ることはできない。

歴史の授業は割と好きだったけど、「歴史とは何か?」なんて考えてみたこともなかった。この小説を読むのは恐らく3回目だけど、読んでいて苦しいとか切ない、悲しいという気持ちが強くて、なかなか繰り返し読むのに勇気がいる。だけど、歴史とか過去とか、考えさせられるというか、自分自身のことについて考えることも多くて、一度読むと、なかなかその世界から抜け出せない。

タイムマシンで過去に行けるような時代が、いつかやってくるのかな?


相変わらずまとまらない内容だけど、読んでくださってありがとうございました。

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