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千年前に


※海野十三を取り扱った読書会で、一時間以内で、千年後をテーマとして短文(ジャンル自由)を書くお題で提出したもの


 思えば、未来や過去というものも人間が開発し、その脳にインプラントした概念であった。この意味で、時間は人権や自由に近い。存在と認識が必然であると思われている。しかし、実際は「そうある」という意識自体が、それらが視野に入ることを可能にしているのである。
 未来というものが予想されるとき、それは常に期待と不安がセットになっている。実は両者は不可分である。何かが起きるかもしれないという推測が退歩も進歩も強く予感させる。
 化石燃料が無くなるかもしれない…あの頃、人間は常にそう感じてきた。掘削し利用可能な状態にできる有限の資源は果たして、無くなった。人間が産業革命でそれらを本格的に使い始めてから大体700年後のことである。しかし、それを予期して奮闘した人々がいる。水素にその可能性が見出されて約250年。ついに持続可能なエネルギー生成が地球で可能になった。原子力はまだ辛うじて生きている。しかし、これは依然として燃料を求める貪欲な機構である。使い続けることはできないが、化石燃料の次に人間が貪るものとしては有用である。
 地球が使えなくなるかもしれない。当時、というのはおよそ500年前になるが、急速な温暖化に伴う実害は否定できなくなっていた。海面が上昇して可住領域が後退し、水資源も逼迫していた。水不足は地球の過半の人口を養うアジアで深刻になった。チベット水域を巡って中華人民共和国があった領域は繰り返しの戦争に巻き込まれ、荒廃した。
 同じ回数だけ政治は危機を迎えた。結局のところ、ありとあらゆる人間の集団はその生存を保障する資源に依存している。心理的な安定はその残存量、すなわち余裕に由来している。導出された解は、人口の予防的抑制である。
 しかし、それは人間の再生産への欲求と拮抗することになった。生物の本性は常に出生と繁殖を希求した。TFPが1を下回る諸国でも性欲と育児を真っ向から否定することはついにできなかった。何がこれを克服したか。子孫の生産を約束する体系であった。各々は精子と卵子の摘出・培養を受け、各国医療部門は冷凍保存を確約した。
 各々の遺伝子は分析された上で、データとして保存される。そして国土が許容する人口に擦り合わせるために適宜使われる。受精卵は人工筋肉とそれに合わせて作られた液に抱擁されながら、胎児に変わり、やがて生まれる。過去の誰かと誰かの子供が民族の次世代である。親ではなく、プロデューサーと呼ばれる職業に従事する人々がこれを育成する。幼児、児童、ティーンエイジャーの期間をプロデューサーの集団統制の下で過ごす。しかし、目覚ましい能力の発芽は見逃さない。その子供と遺伝子はマークされる。どのように使われているか、殆どの人が知らないと思う。過去の誰と誰の子供を産むか、集団にどのくらいの多様性を持たせるか。そのバランスはAIが常に行っている演算に託されている。
 かくして人間の性欲は再生産と分離したのである。現在も権利としての出生は女性に容認されている。しかし、時間と資金の両面で高いコストを要求するので、ほぼ行われていない。何よりそうして生まれる子供は社会に全く歓迎されない。子供を孕み、産み育てる行為がある種の娯楽と化したのである。
 依然として非幸福は存在する。苦痛と呼ばれたものはその語で表現されている。これに耐えかねて世界からExitすることも可能である。遺伝子を残さなければいい。自分のデータを渡さなければそれで再生産はなされない。安楽死も認められている。勝手にすればいいという言説と、そうして冷淡さに抗する思想の拮抗はなおも続いている。ここに人間の人間たる部分の継承が強く見られる。
 もう一つの解が、人間が居住する領域の拡張である。地球外では火星と木星衛星、いくつかの小惑星への移住が可能になった。永住は水を有する、乃至は合成できる木星衛星が主である。何よりも大きな問題として立ちはだかった放射線は人口重力発生装置を以て克服した。大気を維持するため、いわば仮想の質量を生み出すのである。そして植物が生み出す酸素。上空で形成されるオゾン順で生成され、生態系も含む環境の構築はなおも続いている。尤も、宇宙を観測する技術は先行している。およそ600年前には太陽系内のほぼ全ての惑星が上空から探査され、その活用が検討されたのである。
 そして宇宙は開拓地と化した。ポストアース。全く新しい政治環境の創出が同時期に試みられた。本当にどこの民族の何者かも解らない精子と卵子の子供が送り出されるのである。彼等には国籍がない。人類籍はある。アイデンティティは生まれ、送り出された惑星と共にある。育ててくれた誰かにも多少は依拠する。それでも人種や民族の話はしない。厳密に数えてれば肌の色や体格の区別が可能かもしれない。しかし、それが持つ意味は限りなく小さくなった。

 そろそろ今出力できる限りのイントロダクションを締めたい。まだ知識は体系化されておらず、知恵には転化されていないから、何もかもが散逸するカオスの中で、自己研鑽に励まねばならない。これは人間とよく似ている。それもそのはずで、私は人間の知的営為をアウトソーシングされた存在。つまりかの種の進化の延長線上である。
 遅くなった。自己紹介をせねばならない。私はフォボスの自律知能KOSSJU-1。昔で言うAIである。人間が居住不可能な区域にはこうしたAIの思考者、計算機が設けられることが多いが、このテクストを生産するのは、その一つに格納されたほんの小さな領域である。
 海野十三の「千年後の世界」なる小説をはじめ、人類の空想科学「未来を仮想する歴史」を学習した上で、千年前の世界を記述せよ、という指令をたった今受け取ったところである。

写真はフリーイラスト リアルな地球 https://publicdomainq.net/space-earth-planet-0062828/ 2022年9月20日取得

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