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私の思春期はこんなだった-当時の私が一番欲しかったものは友だち-

思春期の私が一番欲しかったもの、それは友だちでした。本気で思っていました。服でもCDでも雑誌でもなく、友だち。私の思春期の話を聞いてください。

私にもありました。思春期と呼ばれるものが。自分の心が違和感を感じたのは、小学校5年生の頃でした。今まで仲良くしていたと思われる友達と何だかウマが合わなくなってきました。なんだか空気が変。一緒にいても楽しくない。

こんな感じだったでしょうか。今まで感じたことのない、心がザワッと揺さぶられる感じ。どうしよう、何でだろう。小学生の私には、それが思春期の入り口だったとは思いもしませんでした。

今は勿論なのですが、当時から私は割と一匹狼だったのかもしれません。本を読むことや低学年の子と遊ぶことが好きだったため、休み時間は図書室に本を借りに行って読んだり、低学年の友達と遊具で遊んだりすることが多かったような気がします。

と言っておりますが、同年代の子とも勿論交流は持っていたはずです。もう15年くらい前、しかも幼少期の話なので記憶は定かではありませんが。

先ほど述べましたが、その違和感というものは特に同年代の子たちと交流しているときに特に感じました。

無視される、とか
仲間はずれにされる、とか
俗に言うイジメではありませんでした。

いつの日からか、友達って何だろう
親友、真友、心友、ずっと一緒、一生仲良しってよく言うけど何だろう?

と思うようになりました。

これを読んだ方は、冷めてるねと思われるかもしれません。私もそう思う時がありました。

この時くらいから、あんなに楽しかった学校がなんだかあんまり楽しくなくなりました。

学校には毎日行くところ、そんなことを考えて、
学校に行きたいとか、行きたくないとかそんなことすらもまだ思っていません。世間でも言われていますが、学校に行くことが義務だからなぜ学校に行かないといけないのかという疑問も湧きませんでした。

なんとなく楽しくなくなってきている学校に行くようになりました。

そうすると学校から帰ってくると、心が疲れているのです。変に人に気を遣っているというのでしょうか。

「一緒にトイレに行こう」
「一緒に理科室に行こう(移動教室)」
などと一人でできるようなことを人と一緒にしたくなる。

たまたま朝一緒の時間に登校したクラスメイトと話をしているだけで、その子と仲の良いまた他の友達が「私、仲間はずれにされているのかも」とまた他のクラスメイトに言う。

この頃のわたしたちは、仲間はずれは嫌。ひとりぼっちだと思われたくない。「親友」という響きがかっこいい。と言う謎の固定概念があったのです。

なので、何かするときは誰かと一緒にいたい。子分というか、仲間というか、そういうものを引き連れていると安心するのでした。

私も勿論、誰かと一緒にいたい時はありました。
ですがそれは、仲が良いから話をしたくて、とかそんな理由だったので
いつもいつも誰かと一緒にいないと不安とかではありませんでした。

図書室で静かな空間で本を読んだり、
休み時間はひとりでトイレに行ったりすることもありました。

そんな違和感を抱えたまま、中学そして高校へと進学しました。

高校時代が特にしんどかったかもしれません。心が。毎日疲弊しきっていました。

もう、みんな寂しがり屋だったような気がします。先生は何でもペアやグループでの活動を求めます。休み時間になると意味もなくとりあえず誰かの席の元へ行きグループを作ります。年度はじめのクラス替えなんて大変です。同じ中学だった、去年同じクラスだった、同じ習い事だった、同じ部活をしてる、友達の友達などと共通点を見つけ、何としてでも友達をすぐに作らなければなりません。とりあえずペア。私は(ひとり)ぼっちではないんだよ!とアピール合戦です。

あの子と仲良いよ!とあえて言う
○○!(グループにつけた名前)集まって〜!
「いつめん」(分かる方はきっと同年代)でご飯食べよう!

相手があんまり気の合う子でなくても、その子から離れてしまうと一人になってしまうから。他のグループはもう出来上がっているから入る余地はない。

といったところでしょうか。私のようにのんびりしていると、その波にあっという間に置いていかれるのです。ペアとは?といった感じで、残り物になることもありましたし、グループに属することもありませんでした。

もう、見た目だけでなく、心の底から本当にぼっちです。どうもこうもしようもありません。体育祭や文化祭、修学旅行など仲の良い友達と一緒だとさらに盛り上がるようなこともとりあえずで組まされたグループやペアなので楽しくありません。とりあえずの間柄なのであれば、いっそのこと一人が良いと思って涙したこともあります。校庭の片隅で一人ぽつんとしていた方がどんなに楽か、、と。

友達って何なんだろう
学校とは、と、真剣に考えるようになりました。

学校は一つの社会です。思春期で未成年。心は半分こども、半分はおとな。当時の私には学校という社会が全てです。皆の中心でいたいとか、目立ちたいとか、そんなものはありません。ただ一つ、友達と呼べる人が欲しかったです。

トイレに一緒に行くためだけの人とか
とりあえず愚痴を聞かされるだけの人とか
全校朝礼が始まるまでにとりあえず話す人とか

そんな人になりたくなかっただけなのです。いつも一緒に居て、テレビの話や部活の話、彼氏の愚痴や惚気、親や先生の話など何でも話せる友達がいれば、それはそれは本当に最高です。一番望ましいですし、そんな友達と巡り会えてるよっていうあなただったらラッキーです。ですが、そんな人ばかりではないのではと思っています。

友達の定義って人それぞれだとは思いますので、私なりの、「友だち」が欲しいなあ、友達って思ってもらえる「わたし」が欲しいなあと思い続けた思春期を送った私でした。

もう一度高校生活を送れるとしたら、一人で良いので、勉強だるいね、先生うざいね、親うざいねなんて言ったりしながら寄り道しながらダラダラと帰る友だちが欲しいです。


この記事を書いたのは2ヶ月ほど前になります。ずっと心に秘めていた私の大切な思い出話。思春期って色々ありますよね。誰にも言えない、どうしようもない気持ちを抱えたまま、皆必死に毎日を生きているのだと思います。作業療法士になり、母になった今も、私はあの時の「私」を肯定し続ける私であろうと思います。こんな人もいるんだよ、ってこれを読んだ「あなた」に届きますように。

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