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文才とは、何だ?

文才、読んで字のごとく文章の才能のことだ。作家やライターだと文才はあって当たり前という感じなので、ことさら「あの作家は文才がある」とはわざわざ言われない印象だが、例えば俳優がエッセイを書いたりすると「お芝居の才能だけじゃなくて文才もある」と言われたりする。

しかしこの「文才」という言葉、実態の捉え方が人によって違うのではないかとふと思った。文章の才能という言葉だけでは広すぎるのである。
自分が考える「文才のパターン」としては以下の3つに分けられる。

1「人を魅了するような独特の文章が書ける・または独特の文体を持っている」
2「誰にでも読みやすく理解しやすい文章が書ける」
3「感情など表現が難しい部分を上手に文章に落とし込める」


まあ2と3は少し近いところがあるが、解説していこう。

1「人を魅了するような独特の文章が書ける・または独特の文体を持っている」
これがまさに自分が考える「文才」に一番近い。町田康の小説を初めて読んだときは衝撃だったものだ。ライターなどでも独特の表現や語尾を編み出している人もいて、理解から離れれば離れるほど「すげえ」と感じてしまう。なので自分もここを目指したいのだが、一番「才能の壁」を感じるところでもあるのでなかなか難しいな~というのが本音。こういう人はフィルターが違うので、例えば同じ経験をしていても表現が別物だったりする。文体も確立されていることが多いので、「村上春樹っぽい文章」みたいなパロディが生まれるのもそれゆえと言える。

2「誰にでも読みやすく理解しやすい文章が書ける」
タレントや俳優などが書く場合、けっこうこれが当てはまるのではないだろうか。1に比べると派手さはないので「普通の文章じゃないか」と思われがちでもある…というか自分はそう思っていた。「エッセイストの才能があるとか紹介されてたけど、文章自体は普通だけどな」というふうに。しかし、この感想からは「そもそもちゃんと話が理解できる、まとまった文章が書けている」ということへの認識が抜けている。実際世の中には「……!?」となるような文章を書く人も結構いるものである。もちろんどれくらい編集の手が入っているのかはわからないが…。意外と判断が難しいのが「普通の文章なんだがほっとする」といったタイプ。上手い下手ではなく、なんかほっこりするというか、そういう文章もあるにはある。基準があいまいなのだが、マイペースを貫いている俳優などの本だと文章もそんな感じになることが多い印象。ちなみにそういう人のエッセイ本はたいてい表紙の字が手書きである(偏見)。

3「感情など表現が難しい部分を上手に文章に落とし込める」
言ってしまえば文章表現が豊か、という話。比喩表現などが上手かったり、いわば詩的な文章が書ける人のことだが、これまた実は判断が難しい。何をもって詩的なのよと言われたら定義がよくわからないからだ。でも、確実にこういう人はいる。短歌とか詠んだりする人なのかなというイメージがあるがそういうイメージもありきたりなのかもしれない。


こうして並べて見ると、世の中で「文才」と言われるパターンは、実は2が多いのではないかと思う。ただそれは「他の才能+文才」という使われ方が大半ではあるのだが。1のパターンの文才は、本当に突き抜けていないとなかなか言われない。漫画でいうと範馬刃牙くらいの分かりやすさが必要だ。

「~~~~~~ッッッ!!」
「開戦っちまうぞ…!(はじまっちまうという独特のルビ)」


これくらいのクセの強さがあってこそ、「文体の確立」と言われるしネタにもされる。しかし文章の場合、漫画の絵のように見た目からして違う、ということがない。基本、日本であればみんな日本語を使うし、その人にしか使えないフォントがあるというわけでもない。だからこそ「文才」は見分けにくいのである。
自分も別に文才があるなどとは言われないが、知らぬ間に「文体」はくっついてきているようだ。ただそれがどんな部分なのかがわからないのだが…。本人は普通に書いている気でいるので。

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