そこに「自分」はいますか?(発表用の元原稿

「脱社畜」

一度は聞いたことのある言葉だと思います。特にTwitterでは過激なコトバで人を惹きつけ、まるで勤め人が「負け」で「悪」のような表現が多く見られます。

いつからでしょうか。

世の中が勝ち組と負け組に別れていて、最短でセミリタイアや卒サラ(サラリーマン卒業)が勝ち、勤め人でいることは負け。満員電車に毎日揺られ、会いたくもない上司と同僚に会い、我慢して働いているのは思考停止だ、そう、家畜と同じだと。

でも、勤め人VS個人事業主には答えはありません。

もちろん、勤め人の平均所得は平成9年から平成21年にかけて平均年収が減少し、平成27年にかけて増加してます。

ただ、平成21年からは徐々に増えてはいますが、平成9年の水準と比ベても「景気が回復している」実感がないのは当然です。

20年前は平均年収が465万円前後だったのが、420万円前後にまで減少しているわけですから。

世界経済は基本的に成長、つまりインフレ傾向にあり、円の実効為替レートは円安傾向が続いています。円の価値が下がり、税金と社会保障費が増え、商品は実質値上がりし(値段は据え置きで、内容量が減っているものが多い)、実際には420万円分の「価値」ではなくなっています。

お金の価値を保全する、ということは別の機会に譲るとして、将来の人口減が決まっている以上、内需で拡大してきた企業の勤め人ほど、生きにくい世の中になっていることは間違いありません。

なので、私の場合、家庭環境を客観的に考えたとき、こうすべきという道筋を見据えていたので、勤め人をしながら不動産賃貸業での収入を増やしていき、2018年に退職しました。

不動産賃貸業も内需に支えられた業種ですが、世帯数は増えていることと、マクロではなく、物件所在地でどのように勝つか?が重要なので、斜陽産業ではありますが10年くらいは悲観的ではありません。さらにそれを補完する小さなビジネスがあれば、家族が生き残ることはできると思います。

そうして勤め人でなくなる、とは自力で稼ぐ必要が出てくるわけですが、そこに落とし穴があるわけです。

辞めたはいいけど想定通りにいかない、どうしようか・・・と。

最近では、不動産投資、ブロガー、ユーチューバー、仮想通貨あたりでしょうか?自力で稼ぐことができず、フォロワー(ファン、信者・・・)から吸い上げることに旨味を覚える人が増えています。

そういう方々に限って、実際には恐怖マーケティングをうまく利用し、過激なコトバで煽り思考を偏らせ、仲間というより「配下」を増やしているのですが、インフルエンサーとしての価値が人間としての価値を、みたいな方向に持っていきます。

ちなみに、中国の小学生が将来なりたい職業のランキングで、アフィリエイター・インフルエンサーが1位だそうです。もう、一種の芸能人ですね。華やかな世界、芸能人への憧れは、今も昔も変わらないのだと思います。彼ら、彼女らは「コンテンツ創業者」と中国では呼ばれています。

そうやって「人間価値」を高めれば、勤め人の立場は不要、さぁワタシに続け、と発信し続けています。自分の背景はうまく隠して(一発当てただけ、実は親が地主・社長、とか)、あえて同じ目線で発信する点は、マーケティング的にみて上手いな、とは思いますが。。。

もちろん、世の中には需要がなくなりつつあるサービスがあり、その代わりに社会を牽引していくサービスが登場して、経済はうまく循環します。それでもゼロになるわけではないでしょうが、私が勤めていた会社でいうと「折込チラシ」「年賀状」などがそれにあたるでしょうか。

それらは一見、BtoCのサービスのように見えますが、実体はBtoBです。それを作り出すメーカーではないため、クライアントである小売業と郵便局の動向に左右される「サービス」です。過去を見ても急激な減少ではありませんでしたが、どちらも総量は確実に減っています。

こういった小判鮫な「サービス」は、消費者の需要が減っている今では、競合他社からシェアを奪うほかなく、経済の成長というより自社の存続が第一になっていくのです。

そうして、「存続」を優先させるがゆえに、クライアントの意向にならうほかなく、だんだんと要求は厳しくなります。それが積み重なると、稼働時間に対して利益は少なくなり、勤め人として生きにくい組織になるわけです。必要な産業に人が回らず、停滞していくのはまさに、終末治療で延命していることと同じです。(家族の倫理的な問題、などは別)

つまり、問題なのは業種と組織構造なのです。

自分の仕事が将来どうしたいか?、できる限りの情報を集めてそれに備えることができているならば、勤め人だろうが個人事業主だろうが、立場はどちらでもいいのです。義務教育では決まった正解を求められますが、社会に出ると自分で正解を作り出すほかありません。

それに向かって、実力を高めて転職をする、安定した収入を増やす。どちらも方向性は間違っておらず、それを外から一方的に批判することは、マーケティングに利用することを除き、社会的には無駄な行為だと思います。

「行いは己のもの 批判は他人のもの 知ったことではない」 勝海舟



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