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我は文章オタクなり

小学1年生の息子には毎週日記を書く宿題が出ていた。
息子はこの宿題に一番苦戦している。

作文、いわゆる文章を書く作業は他の教科のように明確な答えがない。
テーマを決めて、構成し、まとめるという3つの作業をするのは確かに今の息子には難しいと思う。

苦手意識が芽生えないようにこの1年は一緒に考えて書いていたのだけど、ふと息子から
「母ちゃんはどうして作文が上手にできるの?」
と聞かれた。

それを聞いていた夫が
「母ちゃんは毎日沢山の作文を書いているんだよ」
と説明する。
息子は目を真ん丸にして
「どのくらい沢山書くの?」
と聞いてきた。ここで夫が「じゃあそこは母ちゃんに聞いてね」とパスしてくる。最後までやっとけよ。

息子は真剣な顔で私の話を待っているので明確に答えなくてはいけない。
どうしよう…どう説明したらいいのだろう…。
絞り出して説明を始めた。

「母ちゃんは小学生の時から作文が大好きだったの」
これ本当の話。国語で言葉を覚え始めてから文章を書くのがとにかく好きだった。
言葉と字を覚えて日記をつけ始め、そこから沢山文章を書くようになる。

どんなことがあって、自分はどんなことを思ったのかを考えるのが楽しい。
繰り返していくと日に日に長い文章が書けるようになり、書いたものを見返しては改善する。
文章書きは私が一番ハマった遊びだと思う。

そのことを息子に話すと
「どうして作文が好きなの?」
と更なる質問。しばらく考えて
「…一人でいるのが好きだったから」
と答えた。
息子は何だか納得したように「分かるなぁ」と言った。
私たち親子は相変わらず似た者同士だ。

小さい頃から誰かに合わせて会話をしたり、誰かの気持ちを汲み取ることが苦手だった。
出来ないのではなくて、出来るけど苦手。
それは子供の頃から“気を遣う場面”が多くあったからかもしれない。
同年代より大人と接する時間が長く、自然と“空気を読め”という周りの様子に応え続けていたのだと思う。
過剰にやりすぎたことで、苦手意識が付いてしまったのだろう。

苦手なことはしたくないので、一人で楽しいことを探した。
一人なら誰のことも考えないで好きなようにいられる。
音楽を聴いたり歌ったり、絵を描いたり色々試した結果、一番楽しかったのが文章を書くことだった。
休みの日となればノートにビッシリ文章を書く。
自分の頭の中にある思いを、知りえる言葉を使って書いた。
沢山書いて、上手く書けない時は本を読む。好きな文章を見つけてはメモをする。

この行動は今もあまり変わっていない。
言葉をメモするのがノートからスマホやタブレットになっただけ。

こうして時分を振り返ると私は”文章オタク“だと思う。
文章を書くのも読むのもずっと好きだ。

一日の中で読み書きの時間を持つことは食事やお風呂と同じ。
机には文章を書くためのアイテムと、その時々に好きな本が並べてある。
日常の中で“この状況をどんな文章にしようか”と考えることは私にとってとても自然なこと。

文章オタクは作文からスタートし、日記になって、38歳の今エッセイになった。

日常や自分の気持ちを書くことは日記と変わらないけど、誰かに向けて書くという所は作文に近いものだと思う。
“誰かが読んでくれている”ということは書き続けるモチベーションになっていて、分かりやすい表現を考え続けられる。
実際日記はあまり続けられないけど、エッセイを書くことは娘が生まれてから5年間続けてきた。

息子は私が隣で書き物をする姿が好きだと言う。
物書きをしていて、何か自然を感じる…と思うと大体息子が後ろから見ていて
「母ちゃんが作文書いてるとこ、好きだなぁ」
と言う。

私がエッセイを書き続けるモチベーションは、いつも読んでくださる皆さんと、こうして肯定してくれる子供達からもらっているんだなと再確認した。
嬉しくて皆さんのことがとても頼もしい。

これからも文章オタクとして、沢山の文章を書いていく。
誰かの笑いに繋がっていけたらと思いながら今日もネタをせっせとメモしている。

いただいたサポートはみなさんによりときめくエッセイを届けるため、作業机周辺に配置するときめきアイテム(主にコーヒーとお菓子)購入代にさせていただいております! もっとみなさんに楽しんでいただけるエッセイを目指していきます。ありがとうございます♡