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【映画】瞳をとじて Cerrar los ojos/ビクトル・エリセ


タイトル:瞳をとじて Cerrar los ojos 2023年
監督:ビクトル・エリセ

まさかまさかの「マルメロの陽光」以来のビクトル・エリセの新作が公開されるとは予想だにしなかった。昨年のカンヌで上映アナウンスがあった時に驚いた人も多いと思う。「ミツバチのささやき」から10年おきに発表していたほど寡作な作家として知られるけれど、「マルメロの陽光」からは30年以上経っている。途中、テンミニッツオールダーなど短編はいくつか作られているが、このタイミングで長編までこぎつけたのはとにかく驚く。「ミツバチのささやき」は10年ちょっと前にリバイバル上映で観たけれど、この映画が日本初公開時に大ヒットしたというのを、当時熱狂的に支持したと思われる層が、本作の観客の大半を占めていた様子からも改めてその熱気がひしひしと感じられた。

物語は突然の失踪による別れ、諦め、それら失った時間が20年の時を経て動き出す。失われた時が表すのは、白髪が混じった髪だったり、外見の変わりようが流れを感じさせる。「ミツバチのささやき」以来半世紀ぶりにエリセの作品に出演したアナ・トレントの姿も、幼少期の面影を残しながら大人になった彼女の表情が作品を超えて時の流れを映し出すにくい演出も含まれる。
かつてのエリセ作品を内包しながら、本作自体も幾重にもおり重なるレイヤーが施されている。エリセ作品で重要なポイントである軍事政権が始まった1940年代の物語から、1991年の出来事、2012年の現代へと現実と映画内映画の内容が重なり合う。未完に終わった「別れのまなざし」の中で、生き別れた娘を追い求める父親の姿と捜索を依頼される男。現実では紆余曲折の末に父親を探し求める物語となる。しかもその父はアルコールが原因と思われる逆行性健忘障害で記憶を無くしてしまっている。
偶然だが先日観た写真展での中平卓馬も逆行性健忘障害で記憶を無くしていた。展示されていた中平の日記には、戻ることのない記憶から日々の不安が綴られていた。かつて出会った人々の記憶は失われ、再会は初対面へと姿を変える。写真家である事のみが形として残される。本作の記憶を無くした俳優でありアナの父でもあるフリオも、手先の器用さで物を直す事だけが残される。記憶はなくとも、体は覚えていて水兵時代の縄の結び方は意識せずとも自然にこなす。理解はしなくても、身体の動きは記憶している。
カール・テオドル・ドライヤーの「奇跡」を引用しながら、物語に奇跡が起きたかどうかは示されない。見つめる眼差しと、記憶を掘り返すように瞳を閉じる。過去と現在が繋がる瞬間で物語が終わる所は、これからの未来へと繋がっていく。

細かい所はパンフレットで深田晃司、三宅唱、濱口竜介の鼎談で詳しく語られているので鑑賞した方は是非参照していただきたい。
ザ・シネマのサイトでも引用や、出来事が綴られているので鑑賞後に読むと理解が深まる。

それにしても、あの劇中劇に登場した娘は何故現代で登場しなかったのだろう?20年前のあの時、あの時間を振り返る時、今の彼女ではなく過去の姿に対峙する事が重要であったのだろう。
それにしてもエリセの映画への愛情は、多く引用された作品群から伺える。パラパラ写真で登場するリュミエールの「ラ・シオタ駅への列車の到着」など、映画の歴史も織り込みながら、今現在のエリセのなまざしが伝わってくる。

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