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【映画】セリーヌとジュリーは船でゆく Céline et Julie vont en bateau: Phantom Ladies Over Paris/ジャック・リヴェット

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タイトル:セリーヌとジュリーは船でゆく Céline et Julie vont en bateau: Phantom Ladies Over Paris 1974年
監督:ジャック・リヴェット

なんとも不思議な不条理コメディかつファンタジーでミステリー。掴みどころがあるような、ないようなそんな映画だった。不思議の国のアリスのウサギさながら、サングラスやスカーフを落として走り去っていくセリーヌを追うジュリー。冒頭から繰り広げられる無言の追走劇は、明くる朝になっていきなり解決したりと、全てが唐突に始まりいきなり終わり、違った物語が脈略なく始まる。中盤から全く異なる物語が瞬間フラッシュバックされ、謎の屋敷で起きた出来事が徐々に明らかになってくる。
最初から最後まで(何故最後に入れ替わるのかなど)、この映画のメタな物語は映画の作られた経緯を見ていくと理解出来る。それはひとつひとつがパズルのように当てはまるような正解があるのではなく、どの様な姿勢で試みられ作られたのかということのヒントになると思う。この後に撮影された「デュエル」にも通じるリヴェットの映画への姿勢も伺える。
以下、リヴェットと脚本にも関わったベルト、ラブリエ、オジェ、ピシエらキャストらのインタビューをもとに要約したので、参照いただければと思う。

事の始まりは1973年にリヴェットはジャンヌ・モローとジュリエット・ベルトで「フェニックス」という映画を撮ろうとしていたが、脚本作りとロケハンまで進むが大きな予算だったため資金調達が確保できず頓挫してしまった事が発端となった。
キャストもスタッフも解散し、それぞれが次の仕事に向かう中、ジュリエット・ベルトは「フェニックス」のためにスケジュールを空けていたため、リヴェットと共に次の仕事が何もない状態だった。
ベルトの状況を見かねたリヴェットは、低予算かつ少数のスタッフで別の映画を撮ろうと試みる。丁度その頃、リヴェットはベルトが友人であるドミニク・ラブリエと一緒にいる所を見かけ、赤毛とブルネットの二人の姿にイマジネーションを掻き立てる何かに強く惹かれるものがあった。リヴェットはラブリエに出演依頼し、ベルトとラブリエは夏のパリを舞台にしたコメディで脚本を描き始める。
司書のジュリーと落ちこぼれマジシャンのセリーヌというキャラクターを作り上げるものの、ストーリーがメロドラマ的過ぎるとリヴェットに却下され、脚本にエドゥアルド・デ・グレゴリオが招集された。
四人は一日ごとの出来事を書き出すために一日目、二日目、三日目と大きな紙に、何が起こるかは最初から決めずに書き込んでいった。ゲームを作り出す様に、宝探し、かくれんぼ、鏡のゲームなど案を出し合いながら進められていった。物語の始まりは二人の女の子が出会う場面として、不思議の国のアリスがモチーフとなった。リヴェットは二人の意見に耳を傾け励ましながらも、翌日には彼女らの意見を覆し議論が重ねられた。
さらにリヴェットは以前からやりたかった、映画の中に映画を作る構想を盛り込もうと考えていた。内容は決まっていなかったが、ビュル・オジェとマリー=フランス・ピシエを起用して、セリーヌとジュリー以外のもう1組のカップルについての物語がそれぞれ関わっていくものだった。漠然としたイメージはありながらも、そこで行き詰まってしまった。そこで彼らはビオイ・カサレスの短編「雪の偽証」と、ヘンリー・ジェイムズの短編小説「ある古いドレスの小説」と小説「もうひとつの家」からアイディアを拝借し織り交ぜていった。
二人の人物が家に侵入し殺人事件が起こり…そしてその家にアリスとウサギがやってくる。
ビュル・オジェとマリー=フランス、バーベット・シュローダーの三人が共同制作者として起用された。エドゥアルドにより物語内の物語として謎めいた屋敷を舞台に、未亡人の父親と二人の愛人という男女の脚本が用意されていた。三人はその脚本を引き継ぎ、一部を発展させるため自分たちの物語とキャラクターを作り直していった。セット、ヘアスタイル、鏡、ドレス、態度、言葉遣いなど、それらはヘンリー・ジェイムズの世界からイメージを借りてきた。
一方、ベルトとラブリエは七日間の物語を展開させるために、七つの紙を用意した。二人はセリーヌとジュリーというキャラクターを通して、一方の行動や記憶に対してもう一方がリアクションする対応関係を考えるゲームを楽しんでいた。二人のキャラクターは共犯関係であり、ふたりでひとつであり、交換可能なものだった。このふたつのキャラクターは、ひとつのキャラクターがふたつの顔をもっていて、ある瞬間、物語の中でふたりは入れ替わることができる。
リヴェットはオジェと会った時に着ていたグレーのドレスに着目し、映画の中で着るように伝えた。ドレスが人を作るように、ドレスからもう一つの物語が始まった。もしこの時ジーンズを履いていたら全く違う作品になっていたかもしれないとオジェは回想している。様々なドレスを身につけるキャラクターのイメージと、1940年から1945年までのヒッチコックを模倣した映画などヌーヴェルバーグ以前の映画のスタイルを取り入れた。古典的メロドラマを再現するため、オジェはマレーネ・ディートリッヒの仕草を、ピシエはリリアン・ギッシュのスタイルを真似した。
各々で物語は練り上げられていったが、どこに向かうか分からない状況は混乱を招いていた。しかしリヴェットは、脚本を優先するよりも、俳優、セット、音楽など、他の要素がストーリーに影響をもたらすと考えていた。脚本を先に練るのではなく、それらの影響と同時に脚本を練る
セリーヌとジュリーの物語の内容は、屋敷の物語に関わったビュルやピシエには知らされず、脚本作りは別々に進められた。二つのパラレルな物語は、いくつかのアイディアを没にした末に、飴を通して二つの物語を行き来する繋がりを持たせるアイディアにたどり着いた。70年代前半という時代もあってアシッドトリップの様な幻覚を想起させるが、リヴェットはここでもルイス・キャロルの世界乃ような魔法をイメージしていた。
数ヶ月かけて書き上げられた脚本(撮影直前まで続いた)と、衣装やセットを探し始めた。5週間かかった撮影は平坦なものではなく、ベルト曰く肉体的にも精神的にも負担のかかるものだったという。リヴェットが目指したのは、俳優と監督が同じくクリエイターとして映画に関わる事だった。
リヴェット「私は「自然な」演技や「心理的な」演技が嫌いです。自分の内面をスクリーンに映し出すような俳優が嫌いなのです。私が一緒に撮影したいのは、肉体的な俳優、身体的な俳優、声的な俳優です。そして、言葉よりも身体と声が重要なのです。」
ベルト「私たちは、映画の神話と決着をつけていたのです。ジャックは、ロボット俳優の条件から抜け出す可能性に私たちの目を開かせてくれたのです。彼は、私たち自身に映画的な文章を発見する素晴らしい機会を与えてくれ、ゲームで可能なあらゆるアクションの可能性を使って、非常に新しい方法で遊ぶことを可能にしてくれました。」
ピシエ「ジュリエット・ベルトとドミニク・ラブリエの自由な姿を見ることができたのは、本当に素晴らしい喜びでした。彼らは美しく、生き生きとしていて、面白く、信じられないようなことを、多かれ少なかれ成功させていました。」
リヴェットは常にアクシデントを求めて、時に破壊的な形になり、結果的に広がりと変容させる事に繋がった。対立や誤解があると、ハッピーで楽しい映画を作ろうという志と矛盾するような気がしていた。
ベルト「創造を続ける人生における情熱的な関係の一形態。私たちは、そこに飛び込むことも、飛び込まないこともできます。つまり、彼は登場人物を選び、彼らが望む空間、つまり舞台となる空間を与え、「さあ、私を驚かせてください」と言うのです。」
リヴェット「もし私が自分の映画に何も書かれていないことを望むなら、それは編集に介入する可能性を残すため、つまり、作られたばかりのナンセンスに秩序を与えるためです。しかし、その余地は思ったよりもはるかに少ないのです。2時間を超えないはずの映画が3時間5分もあるのはそのためです」


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