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【映画】落下の解剖学 Anatomie d’une chute/ジュスティーヌ・トリエ


タイトル:落下の解剖学 Anatomie d’une chute 2023年
監督:ジュスティーヌ・トリエ

2023年のカンヌパルムドール受賞作であるが、一番印象に残ってしまったのがボーダーコリーのメッシ。こりゃパルムドッグだなと思ってたら案の定受賞していた。猫好きの僕でもあの表情は見ているときゅーんとする。いや冗談のようなパルムドッグという賞(カンヌで唯一複数受賞できる)なのだけれど、映画の中でも重要な立ち位置を占めていて、映画の中のミステリーを紐解くキーパーソンならぬキードッグである。いきなりラストに触れるが、就寝するサンドラのベッドにメッシが入り込むのは、勝訴の先にあったと思い込んでいた希望の光が見えなくなってしまったからではないだろうか。事故で極端な弱視になってしまったダニエルと、自己が見えなくなってしまったサンドラを、飼い主の状況を読むメッシが寄り添うというニュアンスに感じられた。
それにしても徐々に真実が明らかになりつつ、人間の暗部を照らし出す本作は、後から考えれば考えるほど刺さってくる。夫婦喧嘩のシーンはストレートにグサグサと見ているその場から痛みを感じさせるが、果たして夫の死の真相がどうだったのかよりも、関係性の壊れっぷりと息子と両親の関係が痛々しい。映画は裁判劇が大半を占めるが、証言が次々と語られる中で「羅生門」のような前段が覆されるサスペンスミステリーとは違い、玉ねぎの皮を一枚一枚剥いでいくような赤裸々さを含む。夫婦喧嘩は犬も食わないはずが、ここでは一大スペクタクルとしてメディアで取り上げられる。サンドラがバイセクシャルであることや、作家を目指す夫サミュエルの頓挫した作品を妻サンドラが翻案し自作として発表する。息子の事故と、その原因を悔やむ夫に対しての妻の攻撃。家父長がひっくり返った様は、男女逆でもとにかく耳が痛い。女性である監督が家父長を男女ひっくり返して、描く事のストレートな重みは、夫婦のバランスを欠いた日々の軋轢がのしかかる。フェミニズムの問題を逆手に取った表現は、性別を超えて伝わりやすい形をとっている。その点が普遍性を持った問題意識へと変換される。

事の真相ははっきり示されないが、幾つか明示されるのは、弁護士ヴァンサンはサンドラに想いを寄せる都合の良い存在であることと、息子ダニエルは父の自殺未遂(犬メッシがキーとなる)と一面しか見えていなかった夫婦喧嘩の本質に対して、母を罰することよりも家族の体裁をとった事である。物的証拠は遺体と血痕のみで、証言が重ねられると共に家族の姿の輪郭が形作られる。しかし、それらは当事者と他者が証言台で語られる事で作り上げられた虚像でもある。勝訴しながらも、サンドラが虚無を抱えるのはその虚像への虚しさと、壊れたままの家族の姿が公の場であからさまにされた事も大きい。事故を装って保身の末に勝ち取ったものなのか、自殺による悲しみなのかははっきりとはしない。ダニエルが父から”死は突然訪れる”と告げられた死は、父の死であり、家族の死でもある。ダニエルにとって両方の死を受け入れる事よりも、母との家族の再生を願ったのではないだろうか。

それにしても劇中流れるショパンの曲を聴くと、どうしてもゲンズブールの「Jane B」が歌詞付きで頭の中に流れてくる。

ホルストの「Jupiter」を聴くと自然と平原綾香の歌まで聴こえてくるが、クラシックやインストに歌詞を付けて作られる歌の罪をなんとなしに感じてしまう。本来ある作品の方がイージーリスニングっぽく響く皮肉な状況はどうしたものか。映画とは全く関係ないけど。

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