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世紀末 あのときアンゴルモワの大王は復活したのか?

一九九九年、七の月
空から恐怖の大王が降ってくるだろう
アンゴルモワの大王を復活させるために
その前後の期間、マルスは幸福の名のもとに支配するだろう。
           「ノストラダムスの大予言」pp.144-145より引用

1999年 当時話題になっていた恐怖の大王が降ってくるという7の月、私は不動産を買った。
当時でも格安だと思えた中古マンション。

空から恐怖の大王が降ってきて、人類が滅亡するという。
ノストラダムスの予言を空想するのは大層面白かったが、結局鼻からそんなことは信じていなかったのだろう。
私は銀行と30年ローンを締結した。

30代独身女 
自己所有のマンションをどうしても手に入れたかった理由はいくつかある。
ひょんなことから一緒に暮らすことになってしまった猫を3匹も同居させるには、賃貸物件は危険すぎた。
黙って飼うこともできず、猫が三匹もいるというとどこの大家も渋い顔をして足元を見る。
頑張って頭金をかき集めてでも、今後の固定費を安く抑える必要があった。

そしてもう一つ。会社でHPの制作を任された私はそれにどっぷりとはまり、自宅でもそれをやってみたくて仕方がなくなったのだ。
その当時はまだ電話のモジュラージャックを使ってインターネットに接続するという方式だったが、借りていたアパートの電話回線をISDNに変えたり、多少の設備投資を行うことも、自己物件で行った方がはるかに良いように思えた。

2000年という日の、記念すべき年賀状を、自前のパソコンで作成するという壮大な目標を胸に、自宅にパソコンを設置した。

ISDN回線を引いて、夜11時から翌朝8時まで料金が定額になるテレホーダイサービスに加入。平日は毎日寝不足、休日は完全に夜型の生活に入った。


思えばあの頃が一番リア充だったのかもしれない。

始めたばかりのインターネットは分からないことだらけで、友達の伝手を頼って、十数年ぶりに当時たいして仲もよくなかった高校時代の同級生に連絡を取った。
その当時はインターネット初めてガイドのようなものもなく、より詳しい人を探して電話で質問をするしかなかったのだ。

ドラクエの攻略本が出るまでの間、あらゆる人と連絡をとって攻略の情報交換をするのと同じだ。

しかし、あの頃はそういった方法に慣れていた。

夜ごとインターネット仲間と情報交換が飛び交う。窓の杜でCGIをダウンロードして情報掲示板を作った。

そのうち2チャンネルとかが大きくなって、質問に対する答えがインターネット上に用意されてくるようになると、自然と交流は減っていった。

自分で作る答えと、用意された答えとのクオリティの差に打ちのめされ、次第に自分を出さなくなっていく。
インターネット上に次々と現れるプロたちを前に、エンジニアでもない私は用意されている答えをただ利用するだけの側だったということに、改めて気付かされる。仕事と趣味との差がどんどん開いていく時代だった。

1999年 確かに恐怖の大王は降ってきて、私を打ちのめしたのだ。

インターネットを楽しめなくなっていった私は、次第にそこから遠ざかっていった。自ら創作することをやめ、台頭してきたインターネットゲームに興じる。

しかしそんな私の感情とは関係なく世の中は勝手に動いていく。
世界はインターネットで覆われ、もはや珍しくもない生活必需品になった。

あれから20年。アンゴルモワの大王は復活したのか?
あの時買った中古マンションは、数年前、三匹の猫たちの死亡とともに売却した。
ローンの残金を支払ってもいくらか手元に残ったのだから、まあまあの投資と言えるかもしれない。

オンラインで完結する世界に片足を突っ込んで、リア充が憧れとなっていいねと励ましあう現在。
私にとってのアンゴルモワの大王とは何だったのか?

オンとオフの境目が無くなってしまった世界では、私たちはオフラインで存在しているのと同時にオンラインにも存在している。
多面世界を同時に生きている。
インターネットの中の自分は自分の分身ですらなく、自分自身そのものだったりする。

リアルの存在感は薄れ、電子情報としての自分の存在感が増す。
私たちは古い人間の殻を脱ぎ捨て、新しい電子の服を着る。

確かに恐怖の大王が降ってきて、そしてアンゴルモワの大王を復活させたのだ。


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