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小説 「長い旅路」 28

28.新路

 俺は恒毅さんを実家に連れ帰り、母に紹介した。もちろん、父が不在の日時を狙った。彼とのルームシェアに関することは、母には予め手紙で伝えておいたが、それについてメール等で掘り下げられることは無かった。

 母は恒毅さんを歓迎し、山盛りの焼き菓子と共に、有名ブランドの高級コーヒーを出した。(俺は紅茶を希望した。)
 自分も同じテーブルを挟んでコーヒーを飲みながら、旅行の土産の煎餅について「美味しかったわ、ありがとう!」と言ったのを皮切りに、母は彼の素性や暮らしぶりについて事細かく訊き始めた。年齢や職業、出身県、現在住んでいる物件に関すること、旅行中のこと、俺と知り合った場所のこと……。俺が事前に伝えていた事も、母は改めて本人に訊いていた。
 彼は、何も隠さずに答えていく。その横で、俺は一言も発さず、ひたすら菓子を食っていた。食感と香りが、すごく良い。「これは美味い」と、俺にも判る。
 母は、彼のことが大体判ってくると、今度は俺の過去について話し始めた。
「うちの子は、大学生の時も、同期の男の子とルームシェアをしててね。彼女なんか出来たことも無くって。……同性のお友達と居るほうが、安心なのかしら?」
「そうなの?和真」
「……女に興味は無い」
俺が親にカミングアウトをしていないことは、恒毅さんも知っている。今日この場でそれをするつもりは無いことも、伝えてある。
「真面目なのよね、和真は……。女の子と遊ぶより、お仕事や お勉強が好きなの」
「……僕も、彼は真面目な人だと思います」
この2人の声は、不思議なほど鮮明に聴き取れる。単に、今は頭の中が静かだからか?

 紅茶ばかり飲んでいたら、どうしても小便に行きたくなる。母に断って中座し、トイレに行って戻ってくると、2人は、やけに話が弾んでいた。母は心底楽しそうに笑っているし、何故か恒毅さんの顔が赤い。
「私、あの子は そのうち出馬すると思うわ!」
(誰の話だ……?)
 結局それは判らないまま、俺が再び着席したのを機に、話は いよいよ「本題」に入った。
「本当に良いの?小野田くん……」
「はい、もちろん。それが可能な物件を、あえて選びましたから」
「ごめんなさいね。完全に こちら側の都合なのに、貴方を巻き込んで……」
「とんでもないです。……僕の家が、お役に立つなら。好きに使ってください。それで……彼を守れるなら」
父から俺への暴力のことや、それによる入院のことを、彼も知っているのだと……母には伝えてある。
「そうね。……本当にありがとう、小野田くん。貴方のようなお友達が居てくれて……本当に良かった」
 母は俺達の同居に賛成し、それを「父には秘密にする」と約束してくれた。父には、俺は吉岡先生宅での間借りをし続けると話すのだろう。


 先生の家は遠い。一人で長い時間電車に乗る前に「休憩していきなよ」と言って、彼は俺を自宅に呼んだ。そこで数時間 休ませてもらったとしても、充分、先生との夕食には間に合う。俺は、お言葉に甘えることにした。

 俺の実家で大量に菓子を食い、2人とも腹は膨れている。特に飲み物も用意せず、同居が始まった後のことについて、明らかに以前よりも片付いている室内を見回しながら話し合った。
 話が一段落すると、隣に座った彼に横から肩を組まれ、上体を ぐいっと引き寄せられた。親愛の表現であると同時に、あえて耳元で言いたい事があるはずだ。耳に意識を集中させる。
「まさか、和真が あの金剛さんと同棲してただなんて……衝撃的すぎるよ」
俺が中座していた間に、母から聴いたのだろう。「そのうち出馬する」というのは、拓巳のことだったようだ。(確かに、あいつなら しかねない。)
「あんなイケメンと付き合っていただなんて!……だったら僕なんか、とんだ不細工に見えるだろうね」
「俺は、人の……内面にしか興味ないです」
「ほぉ……?」
そう言って、彼は何故か俺のTシャツをめくり上げてへそを出し、しげしげと観察した。俺には意図が解らなかったが、彼はすぐに服を戻してくれた。
「僕の【内面】は……どうだい?」
あまりに抽象的で、答えに困る問いだ。ひとまず、俺から見た彼の「人となり」を伝える。
「恒毅さんは……優しくて、大らかで……素敵な人だと思います」
「本当に?」
「一緒に居て……安心します」
「先生よりも?」
それには、答えることが出来なかった。「そんなことを、第三者と比べる必要など無いだろう」という、率直な感想を、胸にしまっただけだった。
「……ごめん、ごめん。深い意味は無いんだ」
彼は肩に回していた腕を解き、その手で俺の背中を ぽんぽんと軽く叩いた。
「恒毅さん。俺は……」
「ん?」
彼が、再び俺の肩に腕を回す。
「恒毅さんが一緒なら、何を食っても美味いのです」
「え……?」
「美味いから、たくさん食って……でも吐かない。たぶん、腹の底から安心できるのです……貴方と居ると」
俺が「腹の底」と言ったためか、彼は、今度は服の上から俺の腹を撫で始めた。
「そんなことを言われたのは、初めてだ……」
健全な胃腸の持ち主ならば、まず言わない事だろう。

 良い機会だと思った俺は、過去に「死ぬつもりで農薬を飲んだこと」を、初めて彼に打ち明けた。そこに至るまでに受けた差別のことや、それでもたった一人だけ「味方」が居たこと……そして、その人こそが、農薬を飲んだ俺に然るべき処置を施して生命を救ってくれたことを、努めて端的に話した。あまり詳しく話したら、街を歩けなくなるほど泣いてしまうだろうと思った。
 彼は、至って真剣な面持ちで、静かに聴いてくれた。

 同じことを吉岡先生に話した時は、当時の光景や苦痛をありありと思い出し、涙や震えが止まらなかった。更には、嘔吐して寝込んだ。
 しかし、今は泣くこともなく冷静に話せる。……俺の中で、あの凄惨な出来事が【過去】になりつつあるのかもしれない。


 ひとしきり語り終えたら、急に罪悪感が押し寄せた。これから同居を始めようという時に、至極暗い話をしてしまったからだ。
「すみません……いきなり、こんな話……」
「謝ることではないよ」
彼は、力強くそう応えた。
「あぁ、そうか……。そうだよね。そんな大事な人、忘れるわけがない……」
半ば独り言のようにそう言った後、彼は俺の両肩を抱き、自分の口元を注視するよう促した。
「話してくれて、ありがとう」
意識的に、ゆっくり、はっきりと……もう、そこまでせずとも聴こえるのだが。それでも、俺は彼の配慮が嬉しかった。
 そして、彼も吉岡先生と同じように俺を抱きしめ、何度も繰り返し「よく頑張った」と誉めてくれた。
「和真は、強いね」
どうだろうか……。分からない。こんな風に誉められたことよりも、「ザコ」と呼ばれた回数のほうが、圧倒的に多い気がする。
「僕は、和真と暮らせることが、嬉しい」
俺の両手を握って、見事なまでに「読みやすい口話」をしてみせる彼に、俺は何も言えなかった。こんな、まるでアナウンサーのような美しい口話を習得するまでに、相当な練習をしたはずだ。
(俺のために、か……?)
断定は出来ないが、そうだとしたら、頭が上がらない。
「これからも、よろしくね」
「こちらこそ……」



 その日は、何とも言いようのない清々しい気持ちで帰路についた。「ゲイである」というだけで、文字通り死ぬほど馬鹿にされて、ついには毒まで飲んだ自分に……こんな日が来ようとは、想像もしなかった。当たり前のように「人間」としての扱いを受け、更には、誰からも反対されないで、自分が選んだ相手と暮らし始めるだなんて……まるで夢のようではないか。

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【29.初日】
https://note.com/mokkei4486/n/nd213c984d63b

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