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クリティカル「うさぎ」シンキング

最後に記事を書いたのが昨年の4月。10ヶ月が過ぎる間に猫は4匹に増え、仕事を辞めたり始めたり、体調を崩したりと慌ただしく過ぎた。悩んだのだが、このnoteを猫縛りから開放し、折りに触れ自分の気持ちを発露する場にしようと思う。今日は「吟味思考(クリティカル・シンキング)」について。

実は、この言葉をとった本が出版された。これだ。

私のジャーナリズム魂の師匠筋に当たる方もこの本に登場する。その意味で、この「吟味思考(クリティカル・シンキング)」という言葉は私の心にずっと引っ掛かっている。

そして、朝日新聞GLOBEの記事が出た。

この記事にも登場する、下村健一さんのこの記事への「返歌」がこちら。

その「返歌」へのさらなる「返歌」を記したいと思う。

私が、「クリティカル」という言葉に触れたのは、おそらくメディア・リテラシーに関わる方は誰も発想もし得ないような場であった。

うさぎの介護の現場である。

うさぎが食べなくなる。草食獣のうさぎは、食べないことは遠くない死を意味すると言っても過言ではない。胃腸の具合を診断の上、必要ならば早急な強制給餌となることがある。この強制給餌に使うのが、OXBOW社の、商品名「クリティカル・ケア」なる流動食であった。

強制給餌はまさしく飼い主にとって非常事態である。「危機的なケア」という一義的な意味で、この「クリティカル」という言葉は強固に私の中に刻まれた。その十数年後に、メディア・リテラシーにも触れるようになり、この「クリティカル」なる語に「批判」という意味もあることをようやく知る。

しかし、その「批判」という意味が頭の中にいまだに入らないくらい、私にとって「クリティカル・ケア」の印象は強烈だ。クリティカル・ケア、イコールうさぎの介護。うさぎの介護がどれだけ大変だったか。もう10年以上前になるが、思い起こしてみたい。

うさぎの平均寿命よりかなり長い12歳を過ぎても、その子は生きていた。眼振や斜頸を抱え、健康体ではない。それでも、細い糸を紡ぐように、彼女は生きていた。

次第々々に元気を失ってゆく。食べられなくなってくる。遠くにある、うさぎも診られる動物病院にて介護の指示をあおぐ。強制給餌の方法も教わる。しまいには、強制給餌すら受け付けなくなる。自宅で点滴をする方法を習い、飼い主の手で自らうさぎに注射針を刺し、輸液する。

12歳という年齢は厳しい。当時にしては非常に長生きの部類だ。最近でこそ、13歳、14歳といううさぎさんも出てきているが、10年以上前だ。うさぎを支える環境は、今よりも劣っていた。その中で、12年間、生きてくれた。

舌で押し出されても強制給餌を続け、輸液を続け、下半身を世話し、それは相手が小さく、人間の言葉を話せない、というだけで人間の介護とさして変わらない。そして、その先に待っているのは成長ではなく、死である。こんなに希望のないことがあろうか。今している苦労は、報われないのだ。死をほんの少し先延ばしするだけである。

その希望のない中で、日々クリティカル・ケアをこねては太い注射器に詰め、うさぎの口元に持っていく。クリティカル・ケアは日々の中で大きなウェイトを占めた。当然、その中に「批判」なんて意味が入り込む余裕などなかった。

ほどなく、痙攣することもなく、静かに静かに、家族に見守られる中、うさぎは息を引き取った。

うさぎに関するいろいろなものを整理しなければならない。余ったクリティカル・ケアも、処分した。「危機」という印象は捨てられないまま。

今の私にとって、「クリティカル」という言葉は「(健康上の)危機」を意味し、それ以外の意味は入ってきづらい。しかし逆に言えば、こんな経験を持たない人に、いくら窓を広げて考えてみてと言ってみても、そもそも頭の中の引き出しにないものを出して見ることはできないだろうと思う。

うさぎの介護を通じて、命の重さと儚さを嫌というほど私は自身に刻み込んだ。クリティカル、という語とともに。

なので、今、クリティカル・シンキングと言われても、正直あまりピンと来ないのである。あの甘酸っぱい強制給餌食がまだ鼻先を香るようである。そんな意図は上述の本の著者の皆さんには全くないだろうと思う。普遍的な意味を求めるのは当然だろう。しかし私には、いまだに胸をぎゅっとつかまれるような切なさとともに、「クリティカル」という語は迫ってくる。窓を広げても誰かには見えていない景色が、誰かには見えていることがある。

サムネイルの写真は、元気だった頃のうさぎさんの、最後の1枚である。10年間電源の入っていなかったガラケーから、奇跡的に救出できた写真の中のひとつだ。この後徐々に体調を崩し、撮るのが可哀想で写真は残っていない。私にとっての「クリティカル」が、この子なのである。

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