【読書感想】私がオバさんになったよ

ネガ過ぎず、ポジ過ぎず。人生、折り返してからの方が楽しいってよ!ジェーン・スーとわが道を歩く8人が語り尽くす「いま」。
「BOOK」データベースより

この本の概要

コラムニストでラジオパーソナリティ、ジェーン・スーさんの対談集。

まず、タイトルが秀逸www
タイトル最高じゃないですか。

そして
「私も〜〜っ!!私もオバさんになったよ〜!」
って対談に混ざりたくなるほど名言のオンパレード。軽めのものを読むつもりで読み始めたのに、読み終わったあと、ぐるぐると色々考えちゃったりしました。
終わったあとにこういう状態になるのはいい本だぁね。

対談のお相手はさまざま。
全体的にはスーさんと同年代の人(=私と同年代)で、感じるところとか考えてることも「わかるー」ってことが多くてそれも良かったです。

多様性トーク多し

スーさんは未婚のアラフォーで、いわゆるこれまでの日本社会のベーシックな歳の重ね方(要は歳をとったら女性は結婚して子供を育てる)とはちょっと違う路線を進んでいます。
※もちろん、今はそれがマイノリティかというとそう言えないくらい一般化してきてるとは思うんですけど、親世代や社会からの圧力みたいなのはまだまだ健在なので、そういう意味での「違う路線」です。

ここで対談している方たちも、やはり未婚だったり、集団になじめないところがあったり、ちょっとユニークな学問をしていたり。
どこかマイノリティな部分をもってたりするので、トーク内容が自然と「多様性」になることがすごく多く、それが良かった。

私自身、所属する会社が多様性を謳っているところなのでこの部分は日々すごく考えます。
ほんと、一緒に議論に混ざりたかった。無理なら横で聞いてたかった。(知り合いじゃないから無理だけど)

寛容と不寛容

名言オンパレードなんですけど、そのなかでも私が「いいわ〜超おもしろいわ〜」と思って読めたのは、脳科学者・中野信子さんとの対談。

印象に残った箇所をいくつかピックアップします。

ジェーン:そうだね。寛容性とか多様性はここ数年で声高に言われるようになったけど、そのあとすごいスピードで「排他」が来たから混乱するよ。
中野:みんな不寛容はいけない、仲良くしましょうって口では言うんだけど、基本的にはまぁ、いいことなんですけれど。でも、この仲良くしましょうこそが不寛容の源になっているということに誰も気付いていない。

この感覚、わかるなぁ。
寛容とか多様性がさかんに言われるようになってますけど、同じボリュームで排他的な言動や表現も増えてますよね〜。
全体的に息苦しいんだよ…。

「みんな仲良く」の発想が諸悪の根源なんじゃないか、と思うこと、よくあります。
無理だと思うんだ、みんな仲良くって。
こんだけ人がいるんだからウマのあう人と合わない人がいるの、当たり前じゃん。

なのに、小さいころから「クラスのみんなと仲良くしましょう」なんて言い続けるから、ウマのあわない人とも仲良くしないといけないみたいな気持ちになって、無駄に苦しむことになる。

「あう人ともいればあわない人ともいるから、あう人とは楽しくやればいいし、あわない人とは適切な距離を探ろう。いずれにしても相手が誰でも自分の価値観を押し付けるのは違いまっせ」
の方がウソがないし、あわない人もいるよね、っていう前提に立てるからまだマシなんじゃないかと私は思う。常にひとつのカタマリにしようっていう発想からいいかげん抜けたいよねー。

あと、これ読んでて、「寛容のパラドックス」ってやつを思い出しました。
「寛容な社会は不寛容も寛容するのか」というやつ。
結論としては「不寛容をも受け入れてしまうと、寛容はそれ自身消滅してしまう。なので、寛容な社内を維持するためには不寛容に対しては不寛容に対処しなければならない。」ってことらしいのだけれども、これ、ほんとそうだよな、と。

完全な寛容は不寛容に飲み込まれる。
組織でも、優しい人は、物言いの強い聞き分けのない人に負けてしまうことがよくある。
その不寛容パワーは組織を少しずつ蝕んでいってしまうのだと思う。

たぶん、マイナスの力ってなんであれとても強いので、なんにもしないで放っておくと、社会は自然と不寛容の方にいっちゃうんだろうね。

なので、寛容な組織を作ろうと思ったら、不寛容な物言いをする人に対しては毅然とした態度でNOを言わねばならない。

ただ、それって、とってもとっても難しい。
自分がそういう相手に正面から立ち向かえるかというとかなり怪しい。
たぶんできない。
できた試しがない。
私はすぐ諦めてしまいがちなので、その集団を捨てて自分がその場から離れることを選んでしまうだろうな。
あ、でも、離れる人が増えれば、不寛容な人は孤立していくので、離れることもNOの表明であるとは言えるのかも…?

やはり、大切なことは勇気だな、と。
寛容さを維持するためには不寛容と戦う姿勢が必要で、それは寛容な人たちが頑張って頑張って、とことん頑張っていかないと作れないものなんだね。
勇気をだしてNOという。
どうしても無理なら勇気をだしてその場を離れる。
我慢しちゃダメなんだよね、きっと。


中野:脳はスリープ状態でも6割くらいの働きがあってね。そもそも休んでいてすら酸素やブドウ糖をバクバク使いまくってるのに、それがさ…例えば「次の休みどこ行く?」とか意思決定をせまられると、イラッとしません?そのイラッが、脳を60%から100%使わないといけない瞬間。使わすなよ!!って負荷を感じてイラッとするの。脳が。

これ、めちゃくちゃ納得しました。
身に覚えありません?

なにかを決めるときのやりとりでイラッとするのは、脳が負荷を感じてるから。
我々の感情も脳の機能的なところからくるんだなぁっていうのがめっちゃわかる。

意思決定ってつかれるよなーと日々感じます。
仕事はもちろんだけど生活も意思決定の連続だもんね。
主婦の意思決定の多さもなかなかなもんだけど、経営者とかリーダーとか、ホントどうなってんだろって感じ。
生きるって疲れるわ。

中野:人間は役に立つために生きてるわけではない。
面白いことのために私たちはいきているんだ、それが存在理由だ、と先生との議論では結論したんです。

しびれるねぇ。
そう、私たちは機関車トーマスじゃないのよ、人間なのよ。(トーマスは役に立つ機関車になりたいらしいので色々頑張るのよね、でもから回りすることが多いヤツなの。)
「おもしろいことのために生きる」。
最高だ!
役に立つはエッセンスとしてあってもいいけど、それが全部になっちゃあかんな、と思う。

中野:途中で間違いに気づいたとき、それでも教えられたルールに従う人と、自分のルールに従う人とさ、二手に分かれる。それぞれの遺伝子を見るとドーパミンの分解酵素のタイプが違ってる。自分で意思決定することを気持ちよく思うか思わないか。意思決定を気持ちよく思わない人は自分で服を決めるにも得意じゃないし、みんなが買うから買うとか、みんなが見てる映画を観るとか。そうしたタイプが日本には7割以上いるんだよね。

これも衝撃でした。

脳のつくりから違うってことは、「従うだけじゃなく自分のアタマで考えよう」って言うこと自体、意思決定を気持ちよく思える人側の偏った意見なのかもしれない。
意思決定を気持ちよく思わない人に対して意思決定を強いるのはなんだか違うんじゃないかという気がする…。そもそも得意じゃないんだもん。


これ以外にも、考えたくなるトピックがめちゃくちゃたくさんあって、書ききれない!!
アラフォー、アラサー世代には共感できるところも多いと思うのでおすすめです。

あ、あと、男性学の田中先生との対談では、ほんの少しだけサイボウズの話もでてきます。
(過去にサイボウズ式で対談してたのがきっかけで、この対談が実現したらしいので。)

ジェーン・スーさんの本にハズレなし!

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