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信じる者は救われず…

10月12日は「コロンブス・デー」です。
1492年10月12日、イタリア人探検家クリストファー・コロンブス

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率いるスペイン探検隊が、新大陸に到達した日です。

1,最初に新大陸に到達したのは?

ちなみに、彼が新大陸に到達した最初のヨーロッパ人である、という説は、誤りだとされています。11世紀初頭には、北欧のヴァイキング

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がラブラドル半島に到達していました。

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ヴァイキングは優れた航海技術を持っており、アイスランド、グリーンランドを経由しているとはいえ、大西洋を大航海時代のはるか以前に横断していました。

羅針盤もない時代の外洋航海は、極めて高度な航海技術が必要だったと考えられます。当時の彼らの航海技術の詳細は失われているため、ロスト・テクノロジーの一つとも言えそうです。

また、コロンブスはマルティン・べハイムの地球儀と同じ世界観をしており、大西洋を越えた先には「インド」があると信じていました。

そのお話についての詳細はこちらです。

彼はサンタ・マリア号を旗艦とする3隻の船団で大西洋を横断し、現在の西インド諸島サン・サルバドル島に上陸します。
「西インド諸島」という名称からも、コロンブスがここをインドと勘違いしていたことが伺えますね。

2,コロンブスの別の顔

ところで、コロンブスには探検家以外のいくつかの顔がありました。
それは「コンキスタドール(征服者・侵略者)」そして「奴隷商人」

コロンブスは上陸した地域で虐殺と略奪を行い、現地の住民を奴隷として売り飛ばすという非人道行為を行っていたのです。彼と彼が率いる部隊が行った無差別虐殺は、その後のスペイン人コンキスタドールの行動モデルとなり、中南米に殺戮の嵐が吹き荒れることになります。

これは、コロンブスが西インド諸島を「黄金の国ジパング」と勘違いしたためともされています。上陸したスペイン人は、莫大な量の黄金が眠っている(そして現地住民はそれを隠している)と考え、暴虐の限りを尽くしたのです。そして思ったほどの黄金がないと分かると虐殺は「娯楽」という性格を帯び、さらに残虐性を増していくことになります。
スペイン人が持ち込んだ疫病と虐殺により、この地域の人口は激減してしまいます。
その始まりの地、サン・サルバドル島の和訳は「聖なる救世主」。何という皮肉でしょうか。

3,彼の名は残らず?

コロンブスは生涯、彼が到達した場所は「インド」であると主張していました。
その後、イタリアの探検家アメリゴ・ヴェスプッチ

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が、ポルトガル王の援助を得て数回の航海を行い、ここは新大陸であるという手記が1504年に出版されます。
そしてドイツの地理学者マルティン・ヴァルトゼーミュラー

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が、1507年に『宇宙誌入門』の添付地図中で、新大陸を彼の名にちなんで「アメリカ」と名付けました。この地図が広く流通し、新大陸は「コロンビア」ではなく「アメリカ」と呼ばれることになります。

4,コロンブスの首が落ちた

2020年ある事件をきっかけに、世界中(特に欧米)で歴史の再評価が進みました。その歴史とは、「先住民、黒人などに対する扱い、植民地化」について。
2020年5月、黒人男性ジョージ・フロイド氏の死をきっかけに全米で人種差別批判が強まり、大規模なデモや暴動が発生しました。

さらにこの動きは、かつて先住民の虐殺に関与し、黒人を差別した歴史的人物を否定する動きに発展します。
「コロンブス・デー」は「先住民の日」と改称され、コロンブス像が各地で破壊されます。

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コロンブスが先住民に行った仕打ちを考えれば、これは当然、とも言えますが…歴史は難しいですね。
コロンブスは、欧米から見れば英雄的な探検家ですが、先住民から見れば侵略者・虐殺者です。
サン・サルバドル島に上陸した時、現地の先住民はコロンブスに贈り物をし、歓迎したといいます。
その時に彼が道を誤らなければ…と思わざるを得ませんね。

では、今日はこれくらいで。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

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