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「西洋人の描いた日本地図」展に行ってみた

日曜日、空いた時間を使って近くでやっていた
「西洋人の描いた日本地図」
に行ってみることにしました。

日本で最も有名な地図会社のひとつ、株式会社ゼンリンさんが、渋谷文化村にて企画されていたもの。
3月24日から31日までという短い期間でしたが、北九州にある「ゼンリン地図の資料館」

所蔵の地図を厳選して展示する企画とあって、是非行きたいと思っていました。
文化村ギャラリーの一角に並んだ地図の数々。展示は、大きく3部に分かれていました。その一部を取り上げていきます。

1、黄金の理想郷「ジパング」

13世紀末、かのマルコ・ポーロ

が「東方見聞録」を通してヨーロッパに伝えた「黄金の国ジパング」。
そのイメージは、東の果てというキリスト教におけるエデンの思想と相まって、長く大航海時代まで想像上の理想郷でした。
その証左として展示されていたのが1528年刊、ボルドーネの『日本図』

この地図は、東方見聞録の記載に基づき日本列島が初めて「島」として描かれた地図と言われています。
しかしその形は全くの想像上のもので、本当の形とはかけ離れていました。

その後、ポルトガル人宣教師が日本に到達すると、その報告を基にした地図が描かれるようになります。
その代表例として展示されていたのは1570年刊、オルテリウスの『韃靼図』

です。
※韃靼とは、モンゴル系遊牧民のタタールのことを指しています。この地図の呼称では、彼らが活動したユーラシア大陸の北東部地域を指しています。

この地図では、宣教師が訪れた鹿児島や豊後、そして京の都などについての記載はあります。
しかし、日本図・韃靼図とも、日本列島の形などはほぼ想像の域を出ていない状態でした。


2、行基図の渡欧と南蛮貿易、日本地図の近代化

そして、1582年の天正遣欧使節の派遣で行基図がヨーロッパに伝わったことから、日本列島の正確な形が認知されることになりました。

そして生み出されたものとして展示されていたのは、スペイン王室の地図学者、ルイス・ティシェイラからオルテリウスに原図が渡り1595年に刊行された『日本図』

です。
この地図には行基図と共通した特徴が多いため、原図は行基図であることは疑いありませんが、宣教師や貿易船が頻繁に出入りしていた九州や瀬戸内地方の表記が他に比べて詳しいことも特徴的です。

さらに、天正遣欧使節に同行して日本を訪れたポルトガル人地図学者モレイラが1617年に製作した『日本図』

は、地図学者自身が現地調査を行った上で描いた初めての地図でした。
ベースとなった地図は、いわゆる「官製日本図」で、彼自身が実測して作り上げたオリジナル、というわけではありませんでした。
しかし、官製日本図をベースにしているだけあって、海岸線も非常に正確に描かれており、正確さからその後の西洋製日本地図に大きな影響を与え続けました。

ただ、この地図自体は宣教師ヴァリニャーノが刊行しようとした『日本教会史』に付属する地図として製作されたものの、日本教会史自体が刊行されなかったためお蔵入りとなってしまいました。
現存するのは世界にわずか一点。その貴重な地図をゼンリンさんが所蔵しているのです。凄いことですね。
複製ですが、展示していただいたことには大きな意味があります。
次回は本物を是非!


3、鎖国による地図知識への影響

江戸幕府による鎖国政策でヨーロッパへの情報流入はかなり限定されたものとなった17世紀半ば以降に製作された地図は、その影響を大いに受けています。

展示されていたものでいえば1715年刊、レーラント

1727年刊、ケンペル

の地図です。
ちなみにケンペルの『日本誌』は、1801年に志筑忠雄による和訳で「鎖国」という言葉が生みだす元になった書物でもあります。

これらの地図の元になったのは、石川流宣の『日本山海図道大全(流宣図)』

だったと考えられますが、ケンペルの地図は彼自身に日本滞在歴があることもあり、かなり独自のアレンジが加えられています。


4、シーボルト事件と西洋製日本地図のその後

1828年に発生したシーボルト事件
ドイツ人医師のシーボルト

が、ご禁制の『大日本沿海輿地全図(伊能図)』を持ち出そうとして発覚した大事件でした。

実はこの事件の発覚時、シーボルトは伊能図を徹夜で模写し、原本は没収されたものの、模写の持ち出しに成功しているのです。
幕府のチェック、甘すぎですね…。

そして、彼はその後『日本』という書籍と当時に伊能図を元にした日本図

を刊行しました。これらの地図も展示されていました。
これらの情報はその後の西洋製日本地図に大きな影響を与えましたし、黒船来航前、アメリカが日本についての情報収集を行う際にも大いに利用されました。
シーボルトの地図が持ち出されてしまったことで、軍事的に見れば日本はほとんど丸裸に近い状態になってしまったことになります。
あるいはこの事件がなければ、幕末の動きはもう少し違ったものになっていたかもしれませんね。


5、その他にも…

西洋製の壁掛け地図など、西洋の古地図がいくつも展示されていました。

あまりに希少なものは複製でしたが(保管上仕方ないのですが、ちょっと残念)、ここには書ききれないほど説明も充実、いろいろな面白い地図も展示されていました。
さすが地図の老舗!という内容でした。

ゼンリンさんは勿論ですが、古地図を所蔵している団体さんは今後もこういった展示会を是非開催していただきたいです。
団体のコラボレーション企画なども面白いかも…。

というわけで、大いに楽しめる企画でした。ゼンリンさんに感謝です。
九州にお住まいの方は、地図の資料館にも是非足を運んでみてくださいね!


おまけ

実は同じ日に、国立新美術館の「トルコ至宝展」

にも足を運んでみました。
後で少し記事にしようと思っているのですが、一言でいえば良かったです!
こちらは5月20日まで開催されていますので是非。おすすめです!

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