見出し画像

平成最後の日に振り返り


今日でついに平成も終わり。
私も、昭和・平成・令和の3時代(とはいえ、昭和は最後の方少しだけですが)を生きた人になりそうです。
最初はん?と思っていた「令和」という名前も、繰り返して聞いているうちに耳になじんできました。
令和はどんな時代になるのか…今から楽しみにしたいと思います。

というわけで、平成最後の日。
平成の世相を映したニュースを自分なりにジャンル分けして選んでみました。

1、狂乱とその崩壊(バブル経済と平成大不況)

まず、平成という時代は最初の3年間、天国と地獄をジェットコースターのように駆け抜けました。
今思うと、平成の世相の乱れはこの3年間に予感されていたなぁ…とも思います。

日本を沸騰させた「バブル景気」
1986(昭和61)年12月~1991(平成3)年2月までの51か月間続いた未曽有の好景気でした。

株や不動産価格は、実体経済とは関係なく右肩上がり。
「土地神話」などが吹聴され、多くの企業や個人が「財テク」に奔走し、その資金がさらに株や土地を値上がりさせる…というまさにバブル(泡)が展開されます。
絶頂期には、東京23区の土地価格の総計が、アメリカ合衆国全土×2と同額になっていたり、もはや何に使うかすらわからない(道路もインフラもない)土地に法外な高値がつけられていた(しかも売れる)辺りから、その異常さが伺えます。
日本企業がアメリカのロックフェラーセンターを買収したり、私も幼心に、日本が経済力で世界を支配するのではないかと考えたほどです。

実はこのバブル景気自体はそれほどレアな現象ではなく、17世紀のオランダで起きた「チューリップバブル」

など、歴史を振り返れば大小100回をゆうに超えるバブルが発生しています。

以下が、チューリップバブルの際のチューリップの球根の価格推移。

凄いですね。
ちなみに原因は、オスマン帝国の「チューリップ時代」
先日たまたま記事にしましたので、ご参考までに…。

ちなみに、よくバブル景気の象徴として取り上げられる「ジュリアナ東京」

実はオープンは、バブル崩壊が既に始まっていた1991(平成3)年5月15日なのはあまり知られていません。
(代名詞ともいえる「お立ち台」は、オープンからわずか半年で撤去されています)

今でも、都内などで小さなコインパーキング

をよく見かけます(私も使います。助かります)は、バブルの名残でもあります。
バブル崩壊で使い道と行き場を失った空き地を、コインパーキングとして活用しているケースが少なくないのです。

これ

が、バブル景気当時を含む株価の推移。これを見てもやはり異常ですね…。

いずれにしても、一時の異常な景気過熱に狂奔した日本経済は、その後長い期間、対照的な地獄の苦しみ(平成大不況)を経験することになります。


2、世界新秩序への胎動(ベルリンの壁崩壊、東欧革命、ソビエト連邦崩壊と湾岸戦争)

当時、これらのニュースを目の当たりにした私は、「唯一の超大国」アメリカによる世界秩序の確立、という新時代の到来を予感しました。
そして、その時代は自由で活発な、光にあふれた時代になるのでは…とも。

まずは、1989(平成元)年11月9日のベルリンの壁崩壊

当時顕著だった東側(社会主義・共産主義)諸国の衰退と、東西冷戦の終結を物語る象徴的な出来事でした。

その後、事実上、西ドイツが東ドイツを吸収する形で統一ドイツが誕生します。
同年発生した一連の東欧革命により、東欧諸国の共産主義独裁政権が相次いで崩壊。
特に、ルーマニアのチャウシェスク政権

の崩壊は、その処刑映像が世界中に配信されるなど、かなり衝撃的なものでした。

一方で、自由主義・資本主義の勝利が声高に叫ばれ、「悪」の独裁者を自由を求める市民が打倒したという、歴史的にはフランス革命を彷彿とさせるニューズが続きました。

ただ、その後公開されたチャウシェスクの宮殿が

意外に質素だったりと、その「悪」のイメージは少なからず作られたものではないか?という気もしました。

そしてついに、東側諸国の総本山であるソビエト連邦崩壊の日が訪れます。
1991(平成3)年12月25日、ゴルバチョフ大統領(当時)

がソ連大統領を辞任し、超大国ソ連が崩壊しました。
超大国の崩壊というかつてない事態、そして唯一の超大国となったアメリカ。
世界は「自由」への歓喜に沸くと共に、これからどこに向かっていくのかという漠然とした不安感が、薄皮のように世界を覆っていた印象です。

ソ連が混迷・崩壊していく中、唯一の超大国となっていくアメリカ、
その力をいかんなく示したのが、やはり一連のイラクを巡る戦いです。
1991年1月17日、前年にクウェートに侵攻したイラク軍に対する多国籍軍の攻撃で幕を開けた湾岸戦争


巡航ミサイル、精密誘導爆弾、最新鋭のステルス攻撃機、さらに迎撃ミサイルなど、アメリカ軍は最新鋭の兵器を総動員して、イラク軍を追い込みました。
その様子は世界に中継され、主にソ連製の兵器で武装したイラク軍に対する一方的な展開は、そのままアメリカの栄光とソ連の凋落を示しているかのようでした。


3、日本列島は活動期へ(相次ぐ巨大地震と災害)

平成は、自然災害にたびたび見舞われた時代でもありました。
地震や風水害など、枚挙に暇がないほどですが、やはり日本列島が地震の「活動期」に入ったことが明らかとなったのは、1995(平成7)年の「阪神・淡路大震災」です。

1995年(平成7年)1月17日5時46分52秒、兵庫県の淡路島北部を震源として発生したM7.3の兵庫県南部地震。
東日本大震災と比較すれば地震の規模こそ小さいですが、大都市(神戸)の近く、しかも深さがおよそ16kmという、典型的な都市直下型地震でした。
(震源が浅いと、狭い範囲にエネルギーが集中し、甚大な被害が出やすい)

近畿地方の広域に大きな被害が出ましたが、特に神戸市の被害は極めて大きいものでした。

地震で大きな被害を受けた神戸市の映像は、世界中に配信されて大きな衝撃を与えました。
また、日本有数のターミナル港、神戸港の壊滅は、日本の物流網にも大きな影響を与えました。
この地震で被害が拡大した要因として、古い木造家屋の多さ、防災体制の不備など、多くの問題点が指摘されました。

この地震の教訓をもとに、国内ではハイパーレスキューやDMATの創設、自衛隊の在り方(災害救助などの役割)に関する議論、災害拠点病院の設置、建築基準法の見直しなど、広域・大規模災害に対する対策が、国レベルも整備されていくことになります。

さらに、1日平均2万人超、3か月間で延べ117万人がボランティアとして被災者を支援しました。
同時に、全国各地から支援が寄せられ、これ以降、日本にもボランティア文化が根付いていったといされます。
このことから、1995年は「ボランティア元年」と呼ばれています。

また、民間でも飛躍的に「防災」に対する意識が高まるきっかけになりました。

この震災による死者数は6434人。それまでに発生した戦後の自然災害の中では最も大きな被害が発生しています。


その後も、鳥取県西部地震、芸予地震、新潟県中越地震、新潟県中越沖地震…そして、東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)

2011(平成23)年3月11日14時46分、宮城県沖約130km、深さ24kmを震源とする、Mw9.0の巨大地震。
震源域は広大で、岩手県沖から茨城県沖までの南北約500km、東西約200kmのおよそ10万㎢に及ぶ地域の断層が破壊され、日本列島を巨大な揺れ、そして津波…さらに、未曽有の原発事故が襲いました。

死者・行方不明者は1万8434人、多くの人が、長期間にわたり避難生活を余儀なくされました。
東北地方は今なお復興途上にありますし、原発事故のあった福島県沿岸部は、より苦しい状況が続いています。

東日本大震災では、復興支援のため多くの寄付金が寄せられた(1000億円超)ことから「寄付元年」とも呼ばれています。

その後も、熊本地震

など各地で大きな地震が相次ぎ、今後も北海道東方沖、首都圏直下、東海・東南海・南海トラフなど、巨大地震の予測は多く出ています。
さらに、地震だけではなく、風水害による被害も平成では相次ぎました。

防災の基本は「自助:自らを守る行動」「共助:地域市民とともに助け合う行動」「公助:国や自治体による行動」
中でも自助と共助がより効果的に機能するよう備えるのが、我々の「防災」の目的です。
これからも災害が続くことが予想されます。常に意識しておくようにしたいものです。


4、東京、テロの標的に(Tokyo Attack(地下鉄サリン事件)

現在の世界では、残念なことに毎日のように世界各地で発生したテロのニュースが流れます。
そして、各国の警察や軍は、その対策に常に頭を悩ませているのが現状です。

そんな「テロ対策」における各国の教材の中に、かなりの確率で取り上げられている事件があります。
それは、「地下鉄サリン事件(外国名Tokyo Attack)」

1995(平成7)年3月20日、宗教団体のオウム真理教により、東京都中心部を走る地下鉄(帝都高速度交通営団=現在の東京メトロ)の車内で神経ガス(化学兵器)のサリンが散布されました。

死者13名、負傷者は6000人を超えるという、未曽有の大規模テロ。
さらに、平時の大都市で、一般市民を無差別に狙い化学兵器を使用するという前例のない事態は、世界中で大きな衝撃をもって「テロ」として報道されました。

この事件は、バブル崩壊で将来への希望を失い、追い詰められていく人々(特に若者)の行き場のない怒りも映し出した事件のようにも感じました。

その後、同年3月22日、そして翌年5月16日には、山梨県上九一色村(現・富士河口湖町)を中心とした教団本部施設への一斉捜索

が行なわれ、2度目の捜索で教祖の麻原彰晃こと松本智津夫が逮捕されました。

その後、幹部たちも次々と逮捕され、一連のオウム裁判、そして 2018〈平成30)年7月6日の死刑執行へと至ります。


5、「世紀末」は静かに過ぎ去った(ノストラダムスの大予言)

1990年代後半、1970年ごろ流行した「オカルト」が再流行を始めます。

その代表格と言えそうなのが、「ノストラダムスの大予言」
バブル崩壊後の穏やかならぬ世相、そして20世紀の終わりという「世紀末思想」を背景に、1973年に刊行されたノストラダムスの予言集(といわれる)書籍の内容が注目を浴びます。

特に話題になったのが、「1999年7の月に人類が滅亡する」という解釈。
これらがマスメディアにも取り上げられたことから、不景気・公害問題・いじめなど、多々社会問題を抱えていた日本人の不安心理を、さらに煽る結果になりました。

この不安心理は、オウム真理教などカルト宗教の勧誘にも頻繁に利用され、地下鉄サリン事件の遠因になったのではないかという批判もあります。

しかし、結果は…1999(平成11)年7月は、特に何も起こることはなく、世界はそのまま続くことになります。

ちなみに、ノストラダムス

は、ルネサンス期フランスの医師、占星術師、詩人です。また料理研究家としての一面もあったりします。
予言者というより科学者に近いのかな?という印象です。

なお、宮廷に仕えていたわけではなく、国王にたびたび呼び出されて出向く、という立場だったようです。


6、終わりなき戦いの始まり(アメリカ同時多発テロ)

2001(平成13)年9月11日、ウサマ・ビンラーディン

をリーダーとするイスラム過激派テロ組織アルカイダにより、アメリカ各地を狙って同時に行われたテロ攻撃。

一連のテロ攻撃による死者は2996人、負傷者は6000人以上。
人種・国籍・民族問わず多数の犠牲者が出ました。

特に、ニューヨークの象徴的な建物のひとつ、世界貿易センタービルに航空機が突入する瞬間はノースタワーとサウスタワーでおよそ20分の差がありました。
これは、ノースタワーの光景を中継しているさ中に2機目をサウスタワーに突入させ、心理的効果(恐怖心)を高めることを狙ったともいわれています。
日本でも、その瞬間を目にされた方は多いのではないでしょうか。

その後、アメリカは「対テロ戦争」(正式には「テロとのグローバル戦争」(GWOT: Global War on Terrorism))を宣言、同年10月7日から始まったアフガニスタン侵攻(不朽の自由作戦)を皮切りに、

2003年3月19日からはイラク戦争(イラクの自由作戦)

など、中央アジアや西アジアを中心に戦火は世界中へと広がっていきます。
そしてISIL

との戦いを経て今なお、世界各地のテロ組織との果てしない戦いが続いています。

これらのテロ組織が生まれた原因の一つに、過去の植民地支配や東西冷戦下における勢力争いに起因する経済や民族構成の歪み、そして過剰な武器の供給なども挙げられます。

そう考えると、「正義」「悪」という善悪二元論で全てを語ることはできないな…などと、少し考えてしまうことがあります。
(勿論、無差別テロ行為などどのような理由があったとしても許されないのですが)

その後、「アラブの春」と「対テロ戦争」が中東(特にシリア)で融合し、世界中を非対称の戦火が覆いつくしています。
いつになったら世界は平和になるのでしょうか…。


7、世界経済の突然死(世界金融危機)

2007(平成19)年にサブプライム住宅ローン危機(中流以下の家庭に対する住宅ローンの不良債権化)が発生。
そして2008(平成20)年9月15日、アメリカ合衆国の大手投資銀行、リーマン・ブラザーズ・ホールディングス(Lehman Brothers Holdings Inc.)が経営破綻

しました。
その負債総額は約6000億ドル(約64兆円)
アメリカ合衆国史上最大の企業倒産であり、疑心暗鬼に陥った金融業界の資金流動が急激に縮小していきます。
アメリカ合衆国政府の対応の遅れもあり、この衝撃は世界規模の金融危機に発展していきます。

資金の流動性は経済の血液循環そのもの。
流動性がなくなることは、世界経済の「突然死」を意味しました。

日本国内では、リーマンブラザーズ破綻のきっかけとなった金融関連商品への投資は他国に比べれば比較的少なかったものの、輸出関連企業が世界経済の冷え込みや円高で大打撃を受けたこと、信用不安により金融機関の貸し渋り(貸さない)や貸しはがし(急激な債権回収)が発生したことにより多くの企業が倒産。日本経済は、再び奈落の底へと突き落とされていきます。

また、この際に各国が行った巨額の財政出動、そして果てしない金融緩和は、巨額の財政赤字や通貨安競争、悪性インフレへの懸念など、今なお世界経済の行く末にネガティブな影響を与え続けています。


こう見ると、平成という時代は、「国の内外、天地とも平和が達成される」という願いとは裏腹に、とかくネガティブな話題が多くなりがちな時代でもありました。
細かく見れば明るい話題もなくはないのですが、それ以上にネガティブな話題の衝撃度が高すぎた…という印象です。

新時代、令和では、平成では成し遂げられなかった「平和」が実現されてほしいと願ってやみません。


平成最後の国事行為である「退位礼正殿の儀」。
この時の陛下のお言葉、シンプルで短いながら、その中に陛下御自身の万感の思いが込められたものでした。

そして、最後…振り返られ一礼されたそのお姿に、平成の終わりを感じると共に、決して明るくはなかったこの時代を、国民に寄り添って歩んでくださった陛下に対し、心からの感謝の気持ちがわいてきました。

これからは、美智子様とお2人で、末永く、穏やかで笑顔あふれる日々をお過ごしください。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました!



サポートは、資料収集や取材など、より良い記事を書くために大切に使わせていただきます。 また、スキやフォロー、コメントという形の応援もとても嬉しく、励みになります。ありがとうございます。