金歯左翼、銀歯リベラル

安部公房と三島由紀夫の対談「二十世紀の文学」を読んで、いや、本当に、僕もそう思いました。僕の方こそ、この対談についての対談ができて、君に感謝です。

こんな文学的対談は昨今、自慢するわけではないが、どこにもないよ。三島コーボーに感謝だね。

しかし、たいしたものだね、この、なんといふか、二人の言葉の濃度の高さ、凝縮、密度、なんと言ってもいいが。要するにエッセンスだけがある。

やはり、物を徹底的に考へ抜いて生きてゐる人間の世界の言葉だね。我々の対談ですら、それが巻末の三島コーボー対談の解説になってゐるわけだけれど、しかし、この解説ですら難しいといふ読者が出て来るかも知れない。しかし、かう思ふのだ。それが非難であれ、批判であれ何であれ、難しいといふ苦情の声のあがることは、このご時世にあつては名誉なことだと。料理のエッセンスは舐めると猛烈に苦い。良薬は口に苦いのだ。左翼職人の製造した和菓子の砂糖菓子を食べ、シロップのたっぷりかかったアメリカ製のパンケーキや砂糖のかかつたドーナツを毎日食べ続けた70余年だったわけだから、日本人の歯がみんな虫歯になつてボロボロなのだよ。子供なら歯が生へ変わって怪我の功名だが、大人だと入れ歯を入れなければならないといふことだよ。

だから、上はお笑ひ国会議事堂から下は国民まで、職種職業地位身分を問はず、福沢諭吉のいふが如く職業に貴賎なく、入れ歯をした日本人ばかりだといふことだ。虫歯は人を選ばず。義歯といふのは、もはや死語ではないのか。偽装の歯で偽歯とか、擬装の擬歯といふべきではないか?そこに正義の義はないよね。

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