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悲観とネガティブは違うらしい


悲観とネガティブは、
一見似ているようで微妙に意味が違うらしい。


一つ前の記事で「悲観」について書きながら「あれ?悲観ってネガティブとどう違うんだろう?」とふと思ったので、調べてみた。

【悲観】
悪い結果を予想して気を落すこと。この世の中を悪いものだと考えること。

【ネガティブ】
否定的であるさま。消極的なさま。

【楽観】(悲観の対義語)
物事をすべてよいように考えること。将来の成り行きについて明るい見通しをもつこと。

【ポジティブ】(ネガティブの対義語)
積極的なさま。また、肯定的であるさま。

スーパー大辞林3.0


「悲観・楽観」には「悪い・良い」という(物事を見る上での)明確な基準があるのに対して、

「ネガティブ・ポジティブ」には良し悪しに関する記述はなく「否定的・消極的・積極的・肯定的」という物事への姿勢?態度?を表す言葉だった。

悲観と楽観は、「悲しい楽しい」「観」とついているだけあって、やっぱり価値観というか頭の中のことで、その人の物事の捉え方を表しているのだと思う。

一方、ネガティブとポジティブは、価値観というよりも取り組む姿勢や態度など、どちらかというと頭の中よりも外からも見えることを表している感じがする。あくまで私の解釈だけど。

(あと、悲観と楽観は未来に対しての考えで、否定と肯定は過去と現在に対して、の時間軸のズレ?を感じた。うまく言語化できない)



ここからは完全に私が勝手に考えた分類なので
正確性については保障できないが、
例えばクラスで合唱祭に出るとする。

それぞれを組み合わせたタイプ別に
各反応を考えてみた。



①ポジティブで楽観的な人
「みんなで練習頑張ろう!このクラスなら絶対優勝できるよ!」(積極的で肯定的、明るい見通しを持つ)

②ポジティブだけど悲観的な人
「合唱祭も練習も楽しみ!でも、みんなの足を引っ張ったらどうしよう…」(積極的で肯定的だけど、悪い結果を予想して気を落とす)

③ネガティブで悲観的な人
「合唱祭なんてやりたくない。みんなの足を引っ張ったら嫌だし…」(消極的で否定的、この世の中は悪いものだと考える)

④ネガティブだけど楽観的な人
「歌いたくない。練習も出たくない。でもこのクラスなら意外と優勝できるかも」(消極的で否定的だけど、明るい見通しを持つ)




ネガティブと楽観とか、組み合わせると真逆になるからおかしいかな?と思ったけど、意外と違和感なかった。たまにこういう、基本否定的なくせに変なところだけ前向きな奴いるよね。w

ちなみに私は、②ポジティブだけど悲観的なタイプだ。物事には比較的肯定的だけど、心配性だしミスやトラブルが嫌いで怖いので何かとすぐに悲観してしまう思考の癖がある。私の思考回路は危機回避が優先度高めのデフォルトなのだろう。



また例に戻る。

校内でコロナの集団感染が起き、合唱祭が前日に中止になったとしたら、それぞれのタイプがそれに対しどう反応するかを考えてみた。


①ポジティブで楽観的な人
「この状況なら仕方ないね。また別の日に歌うチャンスはきっとあるさ!」(中止に対しても肯定的、明るい見通しを持つ)

②ポジティブだけど悲観的な人
「こればっかりは仕方ないね。でも期末テストも近いしこのまま完全に中止かな。もう歌える機会はないかもね…」(中止に対しては肯定的だけど、悪い結果を予想して気を落とす)

③ネガティブで悲観的な人
「元気な人もいるんだから中止までしなくてもいいじゃん…。もう歌える機会はないだろうな…」(中止に対しても否定的、この世の中は悪いものだと考える)

④ネガティブだけど楽観的な人
「中止しなくてもいいのに…。でも再開催もあるかも?」(中止に対しては否定的だけど、明るい見通しを持つ)



・・・こんな感じ?
ネガティブだけど楽観的な人が一番難しいな。

上の例だと「おまえ、出たいのか出たくないのかどっちなんだよ!」ってなる。笑

とにかく「物事に否定的」の態度をブレさせないため、「開催に対しても否定的、中止に対しても否定的」という立場になったので、結局何がしたいのかよく分からない人になった。

まぁ要は、
素直になれない天邪鬼な奴ってことだな。笑




もちろん、同じ人がいつも同じタイプの反応をするわけじゃない。

出来事によっては、悲観的なときもあれば楽観的なときもあるし、ネガティブなときもあればポジティブなときもある。

全部の要素が、常に個人の中に混在している。


ただ、

どれを多めに出していきたいか?
基本どのキャラで生きていきたいか?

という方向性くらいは
自分の意思で決められると思う。

そのこと自体(意思で決められること)くらいは「肯定的、ポジティブ」に考えてもいいんじゃないだろうか。


そのことにすらネガティブで悲観的な人は、「生まれ持った性格がすべて。自分の意思で決められるわけがない。方向性なんて考えたって意味がない」ときっと言うのだろう。


そう思うのももちろん自由だ。




でも、少なくとも私は、そこだけはポジティブで楽観的でありたい。可能性に対してはなるべく、肯定的で明るい方に考えたい。



合唱祭が中止になって、結局クラスみんなで人前で歌う機会がなかったとしても

「でも、みんなで練習した時間は楽しかった!いつかいい思い出になるよね!」

とポジティブで楽観的でいたい。





あれ?合唱祭の話だったっけ?

ま、いっか〜(楽観)


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