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【小説】 圭くんのリコーダー

 僕の友だちの圭くんのおうちは、ちょっと複雑なおうちだ。
 お母さんが、刑務所にいる。オトコトモダチと詐欺を働いて、警察に捕まったらしい。
 今から3年前、僕たちが小学3年生のときだ。

 その話を聞いたとき、僕のお母さんは一言、
「やっぱり。やりそうだったものね、あの人」
と言ったのを覚えている。僕のお母さんは、圭くんのお母さんのことが嫌いだった。

 僕も、いつも公園に迎えに来る圭くんのお母さんが
「圭!お前なんでそんな、どんくさいねん!はよせえやどあほ!」
と圭くんに怒鳴っているのを見て、怖い、嫌な人だと思っていた。

 圭くんのお母さんは、他のお母さんたちと違って、長くて茶色い髪をし、濃い化粧をして、尖ってキラキラした爪をして、黒いジャージを着て、いつも男の人と一緒だった。その男の人も、茶色い髪に黒いジャージを着ていた。
 僕が、「あの人がお父さん?」と聞くと、圭くんは「違うよ」と答えた。今思えば、きっと、あの人が『オトコトモダチ』だったんだろう。

 僕の友だちのお母さんたちも、圭くんのお母さんのことが嫌いみたいだった。中には、あんなお母さんのうちの子と遊んじゃいけません、と言われる子までいた。

 でも、圭くんだけは違った。
 圭くんは、お母さんのことが大好きだった。どあほ!と怒鳴られても、迎えに来たお母さんの手を握って、嬉しそうに鼻の頭を擦りながら、笑顔で帰っていった。

 そして、お母さんが警察に捕まったあと、圭くんは何日間か学校を休んだ。かなりショックで落ち込んでいるらしい、とお母さんが言っていた。
 その後、久しぶりに学校に来た圭くんはいつもと変わらない風だったけれど、一つだけ、変わったことがあった。
 それは、いつもの公園で、リコーダーを吹くようになったことだった。

「おーい圭、サッカーせえへん?」
「ちょっと待って、リコーダー吹いてからな」

 そう言って公園の滑り台に上り、いつも同じ方向を向いてリコーダーを吹く。
 圭くんはもともと変わった子だったから、僕たち仲間は気にしなかった。あいつ、また変なこと始めたな、と思っていた。


 でも、そのリコーダーの儀式は、その日から一日も欠かさず1年、2年、3年と続けられることになった。
 いつだったか、圭くんに聞いたことがある。

「何でリコーダー吹いてるん?」
「お母さんに聞こえるように吹いてんねん」
「お母さんに?何でそんなことするん」
「お母さん、僕のリコーダー褒めてくれてん。だから、あっち向いて吹くねん」
「なんであっち向くん?」
「お父さんが教えてくれてん。あっちの方に、お母さんの刑務所があるって」

 圭くんは、お母さんが恋しいのだった。お母さんが、優しく自分を褒めてくれたことが嬉しくて仕方なかったのだ。

 僕は、お母さんにその話をした。お母さんは、
「圭くん、可哀想にね」
と眉間に皺を作って言った。
「圭くん、ずっとリコーダー吹き続けるんかなあ」
「そうね。圭くんの心の傷は深いと思うわ」
 そう言ってお母さんは、深い溜息をついた。

 僕は、大人になってスーツを着た圭くんが、滑り台の上でリコーダーを吹いている様子を想像した。もしかしたら、ヨボヨボのおじいさんになるまで続けるつもりかも知れない、とまで。


 だけど、僕らが中学校に入ってしばらく経った秋頃、僕のその予想は少し外れることになった。

 その頃も、圭くんは相変わらずリコーダーを吹いていた。部活動を終えて下校し、帰り道に公園の滑り台に上る。圭くんは律儀な男だった。

 同じ部活動で一緒に下校していた僕は、圭くんのリコーダーの時間を、英単語を覚える時間にしていた。単語帳2ページ分、ちょうど良い時間だった。圭くんのリコーダーを聞きながら覚えると、なぜだかよく覚えられるのだった。

 そんな秋のある日、僕は気づいた。圭くんの向いている方向が、これまでと違った。
「圭くん、向き変えたん?」
「うん」
「刑務所、場所変わったん?」
「ううん。でも、お母さん、もうすぐ刑務所出るらしいわ」
「そうなん、おめでとう」
「ありがとう。でも、僕と一緒には暮らせへんねんて」
「えっ、そうなん」
「うん」
「…残念やな」
「そうでもないで」
「でもこうやって、お母さんにリコーダー吹いてんのに」
「ちゃうで。僕は櫻井さんに向かって吹いてんねん」
「櫻井さん?櫻井さんって、あの櫻井さん?いつから?」
「昨日から」
「え、なんで?」
「なんとなく。…なんとなく、お母さんやなくて、櫻井さんに聞いてほしくなってん」
「あ、そう…」

 僕は、なんだか笑ってしまった。
 なんだ。もっと深刻だと思ってた。圭くんは、これからもずっとお母さんのことが忘れられないのだと思ってた。
 良かった。
 圭くんはただ、好きな人に向かってリコーダーを吹く男の子だった。


 櫻井さんは、同じ部活の女の子だ。かなりのしっかり者で、圭くんに対してもお姉ちゃんのように接しているのを見たことがある。
「ちょっと圭くん!先輩にちゃんと挨拶しときなよ」
 そう言われた圭くんは、そう言えば、嬉しそうに鼻の頭を擦りながら笑っていた。


いつもありがとうのかたも、はじめましてのかたも、お読みいただきありがとうございます。 数多の情報の中で、大切な時間を割いて読んでくださったこと、とてもとても嬉しいです。 あなたの今日が良い日でありますように!!