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【小説】 歴史

「はい、これ、恵梨香にお土産。ホテルの売店で買ったの」

 そういってママが差し出したのは、ドリームキャッチャーだった。二泊三日、ママが学生時代の友達と旅行をしたのは、箱根。なぜ、わざわざ箱根で海外の装飾品をお土産に選んだのか、という問いが喉元まで出てきたけれど、尋ねはしなかった。
 うちのママは、そういう人。感性が独特なのだ。モツをキャベツで巻いたものを、ロールキャベツだと言いはって聞かない人。いちいち突っ込んでいたらきりがない。

 その日、さっそく私は自室に戻って、ドリームキャッチャーを枕元に飾った。輪っかにぶら下げられた羽のようなものがゆらゆらと揺れ、なんだかいい夢が見られそうな気になった。

 その羽の下で、二、三日、私は眠りについた。夢を見る日も、見ない日もあったが、一つ、不思議なことが分かった。どうも、私のものではない夢がときおり私の夢に割り込んでくる。そしてどうやら、その夢の主はママであるらしく、夢から覚めて、ふわふわと揺れるドリームキャッチャーを見ながら、私はある考えにたどり着いた。
「ドリームキャッチャーが、所有者を混乱しているのかも…」
 突飛な考えではあったが、きっとそうだという確信が私にはあった。ママの夢を、覗き見してしまっているに違いない。それは、決してばれない、ママへの秘密ができたようで、十歳の私にはなんだかとてもこそばゆかった。

 その日ママは、友達との箱根旅行の夢を見た。とっても美味しいカツ丼を食べたらしく、「うんま〜!」と頬をご飯でぱんぱんにして叫んでいた。
 同じ夢を見たであろうママは、朝ごはんの席で「やっぱりあのカツ丼、美味しかったなあ」とこぼし、そして夕飯には、立派なカツ丼をこしらえていた。うちのママは単純なのだ。

 続く三日、ママの夢には、ママの好きな俳優、羽田誠一が登場した。ある日は夜景の見えるレストランで、ある日は森の湖畔で、ある日は彼の部屋で、ママと羽田はデートしていた。
「由紀子さん。僕と結婚してください」
 毎度、羽田はママの前にひざまずき、そしてママは言うのだった。まんざらでもなさそうに。
「でも、私には夫がいますから…」

 初めてその夢を見た日は、ママってば羽田誠一に夢中なんだから、と心のなかでニヤニヤ笑っていたものだが、そんな内容の夢が三日も続いたころ、私の心に不安がよぎった。ママが、羽田と結婚すると言いだして、パパと離婚しちゃったらどうしよう。成田離婚ならぬ、羽田離婚になったらどうしよう。

 心配する私を、更に不安にする出来事が起こった。それは、羽田誠一の夢が続いた、三日目の朝のこと。繰り返されるカツ丼に飽きた私は、ママに晩御飯のリクエストを出した。
「今日は麻婆豆腐が食べたい」
 するとママは、間髪入れずそれを却下した。
「だめよ。今日はサーモンのクリームパスタにするんだから」
 それは、夜景の見えるレストランで、ママが羽田と一緒に食べていたものだった。
 どうしよう。ママは本当に羽田のことが好きなんだろうか。あいつのプロポーズを受けて、離婚しちゃうんだろうか。
 帰宅して、夕飯に食べたパスタはいつも以上に美味しくて、それがまた更に私の不安を煽った。

 その日私は、ドリームキャッチャーの前で手を合わせてから眠りについた。どうか、ママと羽田がうまくいきませんように。羽田が夢に出てきませんように。

 夢の中で、ママは居酒屋にいた。騒がしい店内で、キャベツをぽりぽりかじるその姿は今よりずっと若くて、そんなママを見るのは初めてだった。今よりも肌は綺麗だけれど、目つきが尖っているというか、少しツンケンした感じなのが意外だった。隣にいる男性は、羽田ではない。体育会系なのか、ジャージを着ている。ひとまず、私はホッとした。
「就活なんて、したくないですよー」
 ママは酒で顔を赤くして、男性に管を巻いていた。
「あっ。ねえこれ、知ってます? このキャベツね、モツ煮を巻いて食べるのが正解なんですよ。ほら、やってみてください」
 どれどれ、とママの真似をする男性が、「ほんとだ美味しい」とモツ巻きキャベツをもぐもぐする様子を見て、ママは満足げに頷いた。
「ちゃんと巻いて煮たら、もっと美味しいんですよ。今度、作ってあげましょうか」
 そう言って腕まくりするママに、「じゃあ、お願いしようかな」と言いながら、男性がしきりに自分の耳たぶを引っ張っていた。あれ、その仕草、どこかで見たことがあるような…と、私が夢の中で首をかしげたところで、夢は終わった。
 目を覚まし、男性と同じく、耳たぶを引っ張りながら、寝ぼけた頭で理解する。ああ、あれはパパだ。恥ずかしいときにする、パパの癖だ。今よりずっと痩せていたから、わからなかった。
 パパとママにも、パパとママになる前の思い出があるんだなあ、だなんて当たり前のことに気付いて、なんだかとても不思議な気持ちになる。

 夢の余韻を胸に携えたまま、朝食の席についた私は、ママにお願いをした。
「ねえママ、今日こそ麻婆豆腐が食べたい」
 うちのママは単純だ。私には、答えを聞くまでもなく、それが却下されることが分かっていた。今日の夕飯は、モツにキャベツを巻いた、世にも不思議なあの料理だ。


いつもありがとうのかたも、はじめましてのかたも、お読みいただきありがとうございます。 数多の情報の中で、大切な時間を割いて読んでくださったこと、とてもとても嬉しいです。 あなたの今日が良い日でありますように!!