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日々のよしなしごとを

私はいまだ産後の中にいる。
心身ともに不安定な日々の、つれづれなる書き残し。

産後から、鍼灸師にお世話になっている。なんだかとても感覚派の人で、身体の悪いところを刺すと、「ひぃ!」とか「あぁ!」とか呻きながら、ゼエハアしだす。ふざけてんのか、わざとそういうリアクションを取ってんのかと思いきやそういうわけでもないらしい。そしてなぜだろう、そういう人の鍼ほどよく効く。長年IBS(過敏性腸症候群)で便秘とお友達の私だが、先日の鍼でお尻に刺された刺激がびびびびっとお腹に響いて以降、なぜだか便の調子がとても良い。

そして先週も、私の腰に酷いコリを見つけては、「あぁ〜…!なにこれ…っ」とヒイヒイ喘ぎながら鍼をグリグリしていた鍼灸師。ええそうなんですよ。俺の腰、重症なんですよ、と余裕をかましていた私。
だったのだが。

数日後、死にそうになった。
真夏の、ジョークにしてはキツすぎる暑さのなか、娘と遊び倒して帰った夕方。なぜか胸に、もやのかかった焦燥感が去来して、生死を考えた。さっきまで楽しかったはずなのに、目の前の愛する家族が遠く感じられる。食欲もない。死にたいはずがないのに、死にたい気分。幸福を感じる全ての器官が死滅してしまったみたいだった。最悪だった。

その気分は、翌日も続いた。
終わった。これは鬱だろうか。産後だから、産後鬱? いや、生理前だからPMS? いやいやPMDD?
人生ずっとこんなんじゃ、もう絶望だ。
どうにかこうにか笑顔を作って、娘に接する。娘に、家族に悟られなければ、元の明るい私を見せ続ければ、私のこの死にたい気分なんて無いのと同じなのではないか。そうやって生きていくのか。その胆力が、私にはあるだろうか。
そんなことまで考えた。

エクオール・鉄剤・当帰芍薬散に半夏厚朴湯。いっぱい飲んで、夜間授乳を夫に任せて、たくさん寝かせてもらう。
翌日は少しマシだった。
それでもその夜、肩周りが痛い。頭も痛い。
夜中覚醒して、眠れなくなった。ロキソニンを飲んで、加味逍遥散も飲んで、お灸も貼って…あとは何だろう、出来ることは何だろう。
あっ、そうだ。おしっこ出さなきゃ。

産後、私の排尿事情は芳しくなかった。おしっこが出せない、ということを初めて経験した。膀胱炎にもなった。
分娩後二ヶ月かけて、ちょっと調子の良い日があったり、またポタポタ…に戻ったりを繰り返して、未だに回復してきているんだかなんだかよくわからない状態。
数日前、尿が出にくい期間があったから、だから今こんなに浮腫んでいるんだろうか、などと考えたりして。

そして私は最終手段に出た。
追い詰められていたんだと思う。しんどかったから。
もう、どうにかして出さなきゃという一心で、私はおむつを履いた。尿もれパッドおむつ型。

なんでまた尿漏れパッドおむつ型がそのとき我が家にあったのか。その経緯については割愛したい。要するに、「おしっこ出にくいのどうしよう」と思い悩むタイミングがそれまでにもあったということだ。

やっぱり要らないかと返品しようとして出来なかったこのおむつ。活用する日がついにきた。なりふり構わずおむつを履き、脇目も振らずに向かうは娘用のトランポリン。

私は知っていた。トイレに行っても全然出ない尿、それが、トランポリンでジャンプすると、当然のごとく漏れることを。出ないくせに漏れる。仕事をしないくせに失敗する。働いてんだか働いてないんだかよくわからないが、しかしまあそういうことなので「最悪、トランポリンでおしっこすればいっか」と思っていたのだ。前々から。

赤子も眠る丑三つ時、薄暗いリビングで私はジャンプする。これまで「尿はトイレに排するもの」と手なづけられてきた文化の家畜であるところの私は、「ここでおしっこしてもいいんだよ〜」「ほら、プールでおしっこしたら生暖かくなるあの感覚…」と必死で脳を騙した。
ぎっしぎっしとトランポリンが軋む音が物悲しく響き、そしておしっこは出た。

何故か胸に満ちる達成感。どれくらい出たかわからないが、おむつのポリマーのおかげでなんだかいっぱい出たような気がする。
胸いっぱい、ポリマーいっぱい。
口コミの良い泌尿器科を探しながら寝床で横になると、しばらくして眠りに落ちた。

翌日も低空飛行のままだった。
最悪ではないけど、良くはない。どうすればこの気分は晴れるんだろう。もう一生このままなのだろうか。こんなに可愛い子たちと愛する夫がいるけど、私の人生あとどれくらいだろう。死んでしまって全てが無になるなんて、過去がどんどん忘れ去られて、手のひらから零れ落ちていってしまうなんて。娘の笑顔も、息子の寝顔も。夫との出会いも。全て忘れていってしまうなんて。

私は数年前に実母を自殺で亡くしている。この高齢社会にあって、若くして亡くなったほうだと思う。だからだろう、「自分もそうなってしまうのではないか」という漠然とした不安が膨らんでいたのだと思う。心身ともに弱るこのタイミングで、生死を思いつめてしまった。

泣きそうになりながら一人散歩に出る。夫には、孤独感や産後のストレスを指摘されていた。
ああ、もしかして。
そこで私はある考えにたどり着いた。
意地を張らず義実家に電話をすればいいのか?

かくかくしかじかあって私は、しばらく義実家と密に連絡をとることはやめていた。しかし、産後の母親には、「ジジババに我が子を溺愛されることでしか得られない養分」というものがある。自分と同じ温度で、自分と同じレベルの親バカ加減で我が子を語ってくれ、間接的にあるいは直接的に、神の子をこの地上に産み落とした私のことを労ってくれる存在。この子は男前やねえ、将来変な女の子に捕まらんか心配やねえ、とかアホなことを言ってくれてしまう、私や夫以外の人間。

こんなに死にたい気分でいるんだから、意地を張らずに養分を摂取しにいけばいいんじゃん。

そうしてその夜、久しぶりに義実家とテレビ電話をした。友人とも電話をして励ましてもらった。
それまでバッキバキだった肩や背中が、フッと軽くなった。
義父母に子どもを見せなさいという、義実家先祖からのプレッシャーだろうか。それとも、孫への愛が抑えきれない義母の生霊だろうか。私はひとり苦い笑いをこぼした。
自分よりも上の世代が、生きて能天気に孫を可愛がっている姿を見て、生死を思い詰める心が緩んだのかもしれない。生きていてくれるというのは、有り難いことである。


翌日、炎天下の中、泌尿器科と婦人科を自転車ではしごした。
普通のパンツを履いて出かけても漏らさないはずなのに、あえてなのか何なのか、泌尿器科へ行く人間として誇りを持っておむつを履いて行ったのが仇になった。今となっては自分でも、何故そんなことをしたのかわからない。それはそれは大層蒸れた。おむつ生活も楽じゃねえな…と自分の老後を憂う間もなく泌尿器科に到着。

尿検査をし、診察を受ける。状態は悪くなかった。人柄の良い先生で、さすが口コミが良いだけある。良い泌尿器科を見つけたもんだと思った。そんな気の良い先生に、至極軽い口調で「出ないときはトランポリンで排尿してるんです」と告げたところ、ハァ?とキレられた。あれっ。
「わざと失禁させてるってことでしょ?」
ダメよダメ、と、どうやらご法度だった様子。挙げ句、そこを通りかかったベテラン風の看護師さんに治療方針の相談をするついでに、「トランポリンで自己失禁してるんだって」とチクられた。いかにも頼りになりそうなその人は、「えぇ〜?!」と私の顔を覗き込むように、心底訝った。たぶん、マスクの下の口はへの字に歪んでいる。

慌てて私は「いやあの、ずっとじゃなくて! ここ数日なんですけどね、ここ数日!」と弁解していた。いったい私は誰に、何を弁解しているのか。なんだか後ろめたい気持ちになってきた。

そうして私はようやく「そんなアホな方法、あかんに決まってるやん」という雰囲気を察し、母親に捕まえてきた虫を見せる子どものような、生き生きとした気持ちはどこかへいってしまった。
「やっぱ駄目ですか…」
「そりゃあね。骨盤底筋が伸びちゃうからね。今は良くても、老後苦労するわよ」
「それは嫌です」
「いま残尿は68mlでまあまあ出せてるから、様子見で1〜2週間後にまた見せに来て」
「わかりやした」

すごすごと待合に戻り、会計に呼ばれて渡された紙を見た私は笑ってしまった。親切にもプリントアウトして渡してくれたカルテの一番下に、念を押すように書いてあったのだ。
「ジャンプ排尿はやめましょう」


それからまた、ジリジリの日差しを浴びながら自転車を漕ぎ漕ぎ、婦人科を受診して、内診で「軽い筋腫がありますね」「2ヶ月後くらいにまた見せに来てください」と言われたものの、産後鬱についてはうやむやになったまま帰宅。

これは…心療内科に行くしかないのかなあ…でも出来るだけ薬に頼りたくないんだよなあ。怖いし。産後入院中に眠剤飲むのも抵抗あったし。「ただでさえ息が苦しいのに、眠剤飲んじゃったらそのまま息が止まって起きれなくなるんじゃないかと思う」と医師に訴え、優しくフォローされてなんとか飲んだくらいだし。漢方処方なら、自分に合った薬のストックがすでに家にあるし。

みたいなことを考えていたその日の夕方、なんだかフッと肩が軽くなった。あれ? なんでだ、心当たりがない。
いやもしかしてこの感じ、鍼の効果が出てきた…? なんて、まさかねえ。


翌日は鍼灸の日だった。前回からの経過を伝えると鍼灸師は「症状が動いてて、良い傾向ですね。今日はストレス関連のところを重点的にやります。明日以降、また何日かしんどくなるかもしれないです」と言って、背中上部にズンズン鍼を刺しだした。全部効く。固くてしんどい場所は、直接筋肉をコリコリ揉んでもらっているような気持ちよさ。あぁ〜、っと自然に声が漏れる。と思ったら、後ろでもっと呻いている人がいた。そう、鍼灸師。

「あぁっ!なにこれっ…!ここスゴイですね…!っふぅ…!はぁ…!悪魔だ…悪魔がいる…っ」
すんごいゼエハアしている。どうやら私は背中に悪魔を飼ってたらしい。あー…えっとそれ、義母の生霊じゃないです?孫ちゃんチュッチュみたいなこと言ってないです?

「ちょっと、後で…空気を…窓開けても良いですか…!っふぅ…!」
ってそれ、ガチじゃん。瘴気放っちゃってんじゃん。もーちょっと義母〜!4年前、孫の雛人形を手作りしちゃった義母〜!まさか今度は兜を作っちゃうの〜?ちょっと落ち着いて〜!?

きっと鍼灸師は、こういう施術が終わったあと、邪気を払うためにお香を焚くなどしているのだろう。なんだか申し訳ない。でもかなりありがたい。これで何かが抜けて楽になったらいいな…

と思ったが、経絡とはそう簡単なものではないらしい。詰まったものが「抜けていく」ためのルートがある。そして先程の瘴気のせいか、鍼灸師はそのルートの一部、胸のツボに鍼を刺すのを忘れたまま施術を終えてしまった。なんせ悪いところが多すぎるのだ、私の身体は。そのため、「(胸は)後でやります」と言って先に刺した頭もバッキバキだし、恥骨もまた何かしらの瘴気が出て呻いていたし、そんなこんなしてるうちに胸のツボを忘れてしまったのだろう。

施術後間もなくして、胸の奥にざわつきがあった。モヤモヤ感、イラつき感、息苦しさ。人によって表現は様々だろう。胸の奥がライターで炙られているような、なんとも言えないイライラ感を自覚して、そして気がついた。

えっ、これ、数日前に死にたい気持ちだったときのやつじゃね??たしか、ずっとこの感覚が胸に渦巻いていたと思うんですけど…。

鍼灸師にメールをしてみたところ、猛烈な勢いで謝られ、手持ちの「貼るお灸」を貼ってしのいでください、次回は胸にいっぱい刺します、とのことだった。胸ってそんなに刺すところあるんだぁ、楽しみだなぁと思うと同時に、私は安堵した。

産後鬱じゃなかった、というか、産後鬱であろうがなかろうが、あの胸のざわつきが対処可能なものである、ということがとても嬉しかったのだ。正体不明のなにか、それが私の運命を決めるかのように私をコントロールし、暗闇を覗かせ、突き落とすのではないかという底しれぬ恐怖感が、すうっと引いていく。

鍼の反応やったんかーーい。
そういや鍼灸師には「気分の落ち込みは今回のが今までで一番大きいものでしたか」みたいなことをしきりに問われていた気がする。きっとあれは、鍼の反応だったかを確認してたんだな。

幸い胸のざわつきはその日の夜にはだいたい収まり、それから数日たった今も、時折ちいさい火が胸の中でチロチロするに留まっている。

果たして、次の施術で鍼灸師は呻くだろうか。私の胸に、孫ちゃんチュッチュの義母はいるのだろうか。

ちなみに、あの鍼灸施術の数時間後から、排尿の感覚がかなりもどってきた。力はまだ弱々しいが、これも鍼の効果と思わざるを得ない状況で驚きつつも喜ばしい。ジャンプ排尿も止めたし、泌尿器の先生もきっと褒めてくれることだろう。



いつもありがとうのかたも、はじめましてのかたも、お読みいただきありがとうございます。 数多の情報の中で、大切な時間を割いて読んでくださったこと、とてもとても嬉しいです。 あなたの今日が良い日でありますように!!