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自分を愛せよ溺れるほどに。


「自分を愛さないとやってられない」

そんなことを言っていたのは、大学受験期でした。

こんばんは。今日も寒いですね。

絶賛テスト勉強中なのですが、ぶっつり集中が切れてしょうがないので、これを書いたら頑張ることを条件に、書き始めています。

ちょうど勉強内容と上記のことが当てはまったので、それに関するお話でもできたらなと、思い立ちまして。


「自己肯定感」と「自分に対する否定的な考え」
という言葉が出てきました。

生涯における人間の思考回路についての授業なのですが(心理学の仲間みたいなものです)、勉強しながら、そういえば…と思い出しました。

もうずいぶん前のことになりますが、大学受験期の私はおそらく人生でいちばん自己肯定感が劇強だったと思います。

元々受験方法が指定校推薦で面接もあったので、自分のことを肯定的に捉えていかないといけなかったのですが、それ以上にね、もう、なんでも褒めてた笑

そうでもしないと頭おかしくなりそうだったんです。笑

勉強に始まり勉強に終わる期間でしたから。

学校にいても家にいても、試験が近づくにつれてどんどん頭の中は受験だらけ。

入試直前の授業では指名してこない先生なのをいいことに、ノートに志望動機やらを全部書いていました。

ちゃんと暗記できているか心配でしたから。もう。

結果がなければどうにもならないのが受験です。

しかも私は指定校だったから尚更。

とりあえず前向きな思考回路と一緒に生きていこう!と考えて、ひたすら全部前向きに捉えて頑張っていました。

何か失敗しても、それを振り返ってまた繰り返さなければいい。
できないことがあったら調べればいい。
自分の知識にしてしまえば勝ち。優勝。大優勝!

…こんな感じ。笑

それから派生したのが、自分を愛そうじゃねぇか、って考え。

謎に自分を愛さないし褒めないし超絶ネガティブ思考回路になることが多くて、更になぜかそれを普通だと思っていた私が過去にいたので、流石に「お前はばかだ」と理解して、その頃の私を駆除しました。

元々そんな面倒なネガティブ思考回路は高校一年生の最後あたりにはなくなっていましたが、駆除はしていなかったのでね。

たまたま駆除したのが受験期だっただけで、実際、いつでも自由に駆除はできたと思います。



自己肯定感が低いことを曝け出すような人もいますが、そんな面倒なことをやっているくらいだったら、どうすれば自分を全力で愛せるか考えた方が楽しいです。

自己肯定感が低いからって、誰かが褒めてくれるわけじゃありません。
誰かが隣に座って背中を摩って、かわいそうにかわいそうにって、泣いてくれるわけでもありません。

その思考回路でどんどん首が絞められていくのは自分です。

何もね、今すぐ自己肯定感上げまくって世界一のポジティブになれ!と言っているわけではありません。

正直下げるのはくっそ簡単なくせに、上げるのは意味がわからないほど面倒で難しいですから。

でも、簡単に否定するのは、簡単にやめられると思います。

自分なんかが、とか考えないでください。
生まれて息してる時点でえらいのに、更に何か成し遂げようとしてるんですから、わざわざ自分で卑下する必要ないでしょう。

簡単なことからでいいです。
ちいさなことからでいいです。

褒めることがまだ難しいなら、何か楽しいことだったりきれいなことでも探してください。

私は冬になって息が白くなるだけでうれしいですし、夏はさっさと洗濯物が乾くのでうれしいです。

うれしいことがあった!って考えるだけでも、いいんです。

ちっちゃいことを重ねて、自分の中のしあわせをたくさん備蓄していって、それが溜まっていけば、それでいい。

自分のうれしいことに気づけただけで、えらい。
めっちゃくちゃえらい。えらーーーい!!!笑



私も面倒な時期があって、その頃は意図的に自己肯定感が鬼のように低かったです。

今考えれば、まずそれが面倒。
そんなことしてる暇があったらスキンケアでもしてろって感じです。

自分を卑下したところでうれしくないですし、誰かが褒めてくれるわけじゃありません。

自分を愛した方が、充分生きやすかった。

何でもかんでも肯定して何でもかんでもおっけー!は流石にね、人間性をなくしてしまうので、適度にですよ。

だめなところはだめ。
でも、それをどうやって前向きに治すか。

何かだめでも、それを時間をかけてでもいいから前向きに治せばいいんです。

自己肯定感のひっっっっっっくいことをなぜか良く思っていたあの頃の私を今すぐぶん殴って、前向きに生きてもらいたい。

まぁタイムスリップはできないし、今では違うので、もうどうでもいいですが…

前向きでいれば、周りも前向きです。

どんどん後ろ向きなことばっかり言っていたら、周りだって嫌になります。

それでどんどん自分も嫌になって、よくある「私がいちばん嫌いなのよ」状態になります。

そんなのに時間を使っているくらいだったら、逆に周りに引かれるくらい自分のこと大好きになりましょう。

難しいのはわかります。
私も苦労したと思います。自覚がないだけで。

私の場合は、その頃好きだったものが原因でなっていただけなので、離れていくとほぼ同時にそんな考えは薄れていきました。

離れて、新しいものに出会って、「生きてるだけでえらい!」って言葉に初めてふれたんです。

それくらいでいいんだって思ったんでしょうか。

全肯定自己肯定感鬼レベルの私が誕生したのも、その頃です。

「自分が嫌い」なんて、なんてもったいない!

こんなめちゃくちゃ頑張って呼吸してくれてるからだ、愛おしくて仕方がないじゃないですか!

私は頭が悪いですしテストでいい結果を残せたこともほとんどありません。
運動だってほぼ中の下くらいだし、絶世の美女でもない!

インターネットで本名を出すことがいやですし、大学に進学してからも、本名を出していないアカウントでギリギリ許した数人としかインスタは繋がりませんでした。

下手にコミュニティを広げるのは嫌いですし、完全に人見知りですし、そろそろ人見知りは改善してみない?なんて考える日もあります。

でも、だからといって私が嫌いなわけじゃない。

世界一のポジティブになれなくても、全部を許容できなくても、それでいいんです。

必死こいて生きている自分を、とりあえずでも愛せているから、それでまぁ、充分じゃないかなって、思います。


本当に、生きてるだけでえらいんです。みんな。

奇跡の巡り合わせで胎児になって、無事生まれて、それで呼吸をしている。

ごはんを食べて、眠って、好きなことを見つけて、嫌いなことも見つけて、なりたいものを見つけて、なりたいものを探して。

誰かを愛して、誰かを尊敬して、誰かのようになりたいと願って。

酸素吸って、二酸化炭素吐いて。

こんなに頑張ってる自分のこと、嫌いにならないであげてください。

嫌いになってから愛すことは、絶対に大変です。
もうね、経験があるから言い切っちゃう。笑

でも、少なくとも、愛する方が楽しいです。

自分のしょうもないことでもいいから愛して、たまにそれまで気づかなかったことを見つけては自慢なんかしちゃって。

おひさまがまぶしい。
それだってうれしいことになります。

お天気がいい。それに気づけた私天才。大天才。

そんなんでだいじょうぶ。

わざと無理するのは格好悪いです。
本当に無理をしているなら、誰かがそばにいてくれます。

助けてくれるかもしれません。
自分から縋って、助けてもらってもいいです。

人生何年あるかわからないからこそ、できる限りの助けを求めて、それで必死になって生きてください。

誰かを褒めて、自分を褒めて、自分を愛して。

それで充分。もう私が褒めちゃう!笑



思ったより長いものになってしまいました。笑

でも私はこんな風に生きていますので、「あぁこんなばかがいるんだ」くらいに思っていただければ。

ばかでも生きてますよ!笑

だからどうか、ご自愛ください!


のえる。🪿

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