道永あんり

義母と同居し介護していた時期のことと、主に言葉の発達に著しく遅れが見られ療育が必要とな…

道永あんり

義母と同居し介護していた時期のことと、主に言葉の発達に著しく遅れが見られ療育が必要となった息子との歩みを書き綴るnote。 ユニットケアの為のユニットケアのアンチです。

最近の記事

曖昧な記憶の記述

たった2年前のことなのに、その気付きに至った経緯をよく思い出せない。 恐らく咲子を始めとする友人達の言葉の中にヒントがあったのだ。 義母の安全を整えること以外何も考えていなかった当時の私が、自分の力だけで答えに辿り着けたはずがないから。 確実に言えるのは、この頃の私は義実家の人間を全員好きで、信頼していたということだ。 だから、同居前日の義姉(長女)の態度について、怒りより疑問が勝っていたのだ。 優しく家族想いな彼女があんな酷い態度を取るなんて絶対におかしい。何か理由がある。

    • ベーコン、ポークビッツ、しらす干し、明太子、ミニトマト。

      同居介護において優先されるべきは? 同居家族の意向、それとも同居『外』家族の意向、どちらだと思いますか? 2022年4月、我が家が義母と同居する前日。 その夜、義父母と義姉(次女)は、義姉(長女)の家に宿泊することになっていた。 義姉(次女)から夫に電話がかかってきたのは18時過ぎ。 「おかあさんの荷物がたくさんあるから、今から取りに来れる?」 夫はこれを断った。夜勤を約4時間後に控えていたからだ。 こんな土壇場に打診されて、往復1時間を割くような時間の余裕は一切ない。

      • 登場人物一覧

        記事も溜まってきたので、登場人物一覧を作成してみることにしました。 同居していた頃(2022年~2023年)のプロフィールで、続柄は『私』から見たものになります。 義兄弟達の箇所にのみ、私が初めて会った時の印象を書いています。 特定を避ける為にフェイクを入れている箇所があることをご了承ください。 【私】 このnoteの書き手、道永あんり。 30代半ば。九州のどこかの山村に生まれた。 単身赴任で家を空けがちだった婿養子の父は明るく子煩悩な性質だった。その為か幼少期からずっと肉

        • かりそめの楽園

          息子の為だけを思って開いたその扉の先にあったのは、私の為だけの楽園だった。 息子は一歳半健診で発達の遅れの可能性があると指摘された。 そして本年度、彼の特性にふさわしい診断名を頂いた。 診断を受け提案された、週2回の親子通園。 その初日を迎えたのは2023年12月、息子は2歳9ヶ月になっていた。 療育園に通うまでの間、私と夫なりに調べたり考えたりして、息子の良さを伸ばす取り組みをあれこれ実施していた。 そのどれにも手ごたえを感じたことはなかった。 しかし通い始めて以降の息

        曖昧な記憶の記述

          同居の経緯その⑤~明かされた真実~

          「録音を撮らせて頂きます。」 診察室に案内された直後、私はこう宣言した。 主治医は一瞬顔を歪めた後、説明内容を記載した用紙を後ほど手渡すので録音の必要はないという主旨のことを言った。 様々な友人の助言を受けてこの場に赴いていた私はそれを受け入れなかった。 「後ほど言った言わないでご面倒をおかけしない為、私達が正確に情報を把握する為です。 では、義母の病状の説明をお願いいたします。」 私は録音ボタンを押し、主治医は説明を開始した。 2022年4月。 私達家族3人は県外のとある

          同居の経緯その⑤~明かされた真実~

          同居の経緯その④〜全てを知る一歩手前〜

          ソーシャルワーカーからの折り返しのお電話は、指示した日時にきちんとかかってきた。 ただ、約束は2つとも破られていた。 前回のあらすじはコチラ。 https://note.com/momo_anne_s/n/n65cee72a5b3a まず、介護認定について。 最短でも2ヶ月程かかるので転居後の方が早いということだった。 「ですので地域包括支援センターに電話して下さい。認定が下りるまで福祉用具は自費レンタルとなります」 もう一つの約束が破られた理由については今回のnote

          同居の経緯その④〜全てを知る一歩手前〜

          同居の経緯その③〜はっちゃけた夫と決意した他人〜

          皆さんは『次男はっちゃけ病』という言葉をご存知だろうか。 古のいんたーねっつで産まれたこの言葉の意味は、長男優遇過程で育った次男が、長男よりも親に頼られるようになったタイミングで発症することが多い病、とされている。 主な症状は、盲目的に親を祭り上げる。結果、今現在の家族を生贄に捧げる。 私の夫は末っ子長男だが、この『はっちゃけ』という恐ろしい病を患ってしまった。 前回のあらすじはコチラ。夫が既に発症済みであるとお分かり頂けるだろう。 https://note.com/mo

          同居の経緯その③〜はっちゃけた夫と決意した他人〜

          同居の経緯その②〜悲惨な伝言ゲーム〜

          伝言ゲームは物事が正確に伝わらないという過程や結果を楽しむ遊びだと思う。 なので、正しい情報伝達が必要な場面で伝言ゲームなど絶対にすべきではない。 …ということを今回のnoteでは書いていく。 前回のあらすじはコチラ。 https://note.com/momo_anne_s/n/n736b84087e61 2022年3月中旬。 義母との同居を許可した私に、夫は何度も何度も感謝の言葉を述べた。 そしてその直後、義母に電話をかけた。 「俺達と暮らそう!あんりもそれを望んでる

          同居の経緯その②〜悲惨な伝言ゲーム〜

          同居の経緯その①〜舐め腐っていた私達~

          義母の介護に関して。 そもそも私は、意見を述べるどころか主体になって動く気は一切なかった。 それは血の繋がった者達の役目で嫁の仕事ではない、というのが私の考えだから。 ただ、夫と私は互いを支え合うパートナーであるから、夫のどんな決断も支持し、それをサポートすると決めていた。 だが結果として私はあれもこれも口を出し、話を取りまとめて動かす立ち位置に落ち着いた。 何故そうなったのか? 2022年、2月。 「母ちゃんがまた入院したらしい。姉ちゃんが言うには、この先透析することに

          同居の経緯その①〜舐め腐っていた私達~

          2023年、正月(後編)

          前回のあらすじはコチラ https://note.com/momo_anne_s/n/nd92d26d99145 「市外の者ですがそちらの透析クリニックを一時利用したいんです。たった2週間程なんですが。」 …そんな申し出を受け入れてくれる透析クリニックがあるとは全く思っていなかった。 平時ではなく年初、それもコロナ第8波が多大なる影響を及ぼしている状況だ。だから 「通いではなく転院という形を取らせて頂けますよ?お急ぎですよね?週明けにでも受け入れ出来ますよ。」 という好意的

          2023年、正月(後編)

          2023年、正月(前編)

          「あなた方の言ってることは、病院のやるべきことの範囲外なんですよ!」 主治医の語気は荒かった。 前回のあらすじはコチラ https://note.com/momo_anne_s/n/n0c6595fe87f8 2022年大晦日に入院した義母の持病の病状はすぐに落ち着いた。コロナも陰性。 そうするとどうなるかと言うと、正月明けすぐに退院になる、と病院から連絡がきたのだ。 しかし、それは絶対に避けたかった。理由は3つ。 1つ目、退院打診日はまだ、夫と息子の隔離期間中であった。

          2023年、正月(前編)

          一家全滅大晦日

          2022年大晦日、私達一家は遂に全滅した。 本来、大晦日の予定はこうだった。 朝、義母は透析、私はその送迎と息子の世話と家事、夫は仕事。 昼は義姉家族2組と義父が我が家に来て、家族の時間を楽しむ。 夕方に夫が仕事から帰ってきたら、我が家に宿泊する義父以外は帰り、義父母と私達家族で過ごす。 年明けも家族の皆様と過ごす予定がぎっしり。 「正月にはかあちゃんの顔が見たいから!」 と義父は言い 「皆でおかあさんに会えるのを楽しみにしてるね!」 と義姉達は言った。 本当に、義母が大

          一家全滅大晦日

          湿っぽい埃っぽい布団

          「お義母さん、介護認定は受けないの?」 と、咲子が私に尋ねたのは、数年前の今頃のことである。 この年の義母は原因不明の体調不良に悩まされており、秋の始めに入院した。 検査には思いの外時間がかかり、年の瀬が近付いてもまだ結果は出ていなかった。 それならば年末年始は家で過ごしたい、と義母は言い、一時退院の許可がおりた。 当時つけていた日記のデータが残っていたので、個人を特定できる箇所を伏せ、一部添付する。 この退院には、義実家近くに住んでいた義姉(次女)だけでなく、義母の実子全

          湿っぽい埃っぽい布団

          『普通』

          「大丈夫よ、うちの子も3歳まで喋らなかったけど今は普通でしょ? 私いっぱい泣いたよ?でも、喋れるようになったもん」 忘れられない言葉である。 思い出すたび、どす黒い気持ちでいっぱいになる。 息子には療育が必要ではないか? と、最初に気付いたのは夫であった。 一歳半健診で指差しも言葉もないことを指摘されたことがキッカケだったそうだ。 そして夫は私に「気を付けて見ていこう」と言った。 この時、正直な話、私は首を傾げたのだ。 「男の子はお喋りが遅いから」と、何人もの経験者に言われ

          家族の為に家族を犠牲にする家族

          今回のnoteは透析送迎に関することを書いた。 同居中様々なことがあったが、毎月の送迎スケジュールを組み立てるのも難しい課題の1つであった。 クリニックの送迎バスの利用条件は、介助なしで乗り降りができること。 義母は、屋内の短距離であれば、手すりや壁を伝って歩行が可能だった。 しかし屋内と屋外は違う。 住んでいた賃貸は玄関の段差が高く、共用エントランスの階段に手すりはなかった。 義母自身の病状の波も激しく、急に足元がふらついたり膝折れすることもあった為、送迎バスは利用できな

          家族の為に家族を犠牲にする家族

          祖父の葬儀の為に

          祖父が急逝したのは2022年12月中旬であった。 産まれた時から高校を卒業するまでの間一緒に暮らした祖父。 私が最後に会ったのは2020年の正月に帰省した時だった。 それ以降はあの流行病の影響で、県外在住の私は祖父のいる施設に入ることが出来なくなった。 そして、祖父の命を奪ったのも、あの流行病であった。 『ただの風邪派』の方は首を傾げるかも知れないが、私はこの件で祖父の入居先を恨んだことはない。 最期の瞬間に立ち会うことより、祖父が生きていた間にどのような関係を築いたかの

          祖父の葬儀の為に