同居の経緯その④〜全てを知る一歩手前〜

ソーシャルワーカーからの折り返しのお電話は、指示した日時にきちんとかかってきた。
ただ、約束は2つとも破られていた。

前回のあらすじはコチラ。
https://note.com/momo_anne_s/n/n65cee72a5b3a

まず、介護認定について。
最短でも2ヶ月程かかるので転居後の方が早いということだった。
「ですので地域包括支援センターに電話して下さい。認定が下りるまで福祉用具は自費レンタルとなります」

もう一つの約束が破られた理由については今回のnoteの終盤で記載する。
電話を終えた後、夫は外出した。
義母との同居にあたりお世話になる透析クリニックとの面談の予定があったからだ。
夫を見送ったあと、私は息子の寝かしつけにとりかかった。
この日息子は熱発しており、保育園を休ませ、PCR検査を受けさせていたのである。
私は陰性だろうと思っていた。既に解熱しており、そもそも風邪症状もなかったから。
そして、陰性であって欲しいと願っていた。
正直に書く。
この時の私は息子がコロナに罹患することより、義実家の人間に責められることの方が恐ろしかった。
同居が始まっていないこの段階で既に、息子の育児は蔑ろだったのだ。

電話に応じて下さった地域包括支援センターの窓口の方は非常に優しく、説明も丁寧で分かりやすかった。
努力しなくても話が通じるということは、この時の私にとって大変な驚きであり、心からの喜びであった。
ただ、1つだけ気になる発言があった。
「入院先のソーシャルさんからは、お義母様は日常生活に問題なく歩行可能と伺っておりますが…?」
私はそれを否定した。包括の窓口の方は大変戸惑っておられた。
当然のことだと思う。私も戸惑っていた。それ以上に憤りを感じた。
あのソーシャルワーカーはこの期に及んでまだ嘘をついたのか?

それからしばらくして帰宅した夫は顔を歪めていた。
透析クリニックからこのようなことを言われたと言う。
「送迎はご家族さんが毎回、昇降シート付きの大型車を使われるんですよね?入院先のソーシャルさんからそう伺っていますよ。」
その車の所有者は自分達ではないこと、送迎バスでの通院を考えていることを夫が伝えると
クリニックの送迎バスは介助なしで歩行可能な方に限られていると説明を受けたそうだ。
「前に電話で話した時、あのソーシャルさん、俺には送迎バス使えるって言ってたんだよ。
あのソーシャルさん、何ていうかちょっと…ちょっと…おかしくない…?」
言いたかった言葉が、言ったらスッキリするであろう言葉が、山ほどあった。
私はこれを飲み込んだ。
話を円滑に進める為に邪魔になる言葉しか持っていなかったから。

しかしそれは全て、咲子が言ってくれた。
私には絶対にできない、穏やかな言い回しで。
咲子はこの翌日、息子のPCR陰性を聞くなり、見舞いに駆け付けてくれたのだ。
「酷いソーシャルさんに当たって皆さん大変でしたね」
とまずは夫と義家族を労った。そして
「お引越しはおかあさん来られてからの方が良いんじゃないですか?
段差が上がれそうかとか、おかあさん自身で確認できますし。
引越し先の暮らしに対応しつつ、おかあさんの対応をされつつ、お仕事も。何より息子くんのお世話もあるんですから。
そんな一度に沢山、あんりがキャパオーバーしちゃうこと、旦那さん、分かりますよね?」
一言も言い返せない夫は涙目になっていた。

咲子が帰ったあと、夫婦で話し合った。
納得出来る夫の言葉を聞くのは、数週間ぶりのことだった。
夫が患った『はっちゃけ』という恐ろしい病はこの時の咲子の訪問で寛解したと思っている。
現在に至るまで完治はしていないが。

さて、ソーシャルワーカーに破られたもう1つの約束、転院について。
主治医の許可が下りなかったそうだ。
「代わりという訳ではないのですが、主治医が直接面談をしたいと言っております。患者さんにも逢えます。」
この時は絶賛、コロナ禍真っ只中である。
当時、県外の人間は入院先に足を踏み入れることはできないルールだった。
それを特別に曲げて下さると言う。
そうまでして話したい理由をこの時の私達はまだ知らない。
難癖をつけてくる面倒な嫁だと思われているのだろう、と思っていた。
そうであればどんなに良かったか。何も知らない私達が義母の入院先へ向かったのが
2022年4月中旬。同居開始まで、あと、1週間。

続きます。

【補足】身バレ必須の内容で、それを覚悟で書き綴っておりますが一部はフェイクを入れております。(詳細な日時など)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?