見出し画像

焦らないこと _

あぁ気づけば、

前回の投稿から約2ヶ月経っていた。

色々なことが 現実的にも精神的にも起こった。

4月後半には、幼馴染が家に来てくれた。

4月末で半年間にのびた短期バイトを卒業、
実家に1週間ほど帰省、

大きな手放し

こっち帰ってきたら雨で
同世代お遍路家族が4泊。
カオス、だけど子供がいる生活を
しっかりと体験させられ新しい刺激まつり。

5月後半から、大切な友達とその子供が4泊。
この人生体験もほんと、パワフルで
子供もパートナーも居ない私にとって
新しい刺激。整理しきれず貯め込み今に至る。

現実的に
おかげさま。家の片付けや断捨離が進んだ。

人のために。となると
体や心は自然と活動的になる。

おかげさまで、動かせなかった色々が動いた。

6月も中旬になる手前、

一旦 自分に戻る時間ほしい。と思い、

noteひらく。過去を回想する時間が
今の私には必要みたい。

久々に前回の投稿をみた、
『これが私じゃー』と腑に落ちる。

うちの藤の花
幼馴染やってくる。

10年間向き合い続けた躁うつ病的な症状は、
今も薄らと傷痕程度に在る。

頭の中が考え過ぎで いっぱいいっぱいな時
それは浮上してきて、私に尊い学びと成長を与えてくれる。

写真をnoteへ投稿することや、
自分だけの中から出てくる言葉を残すことで
頭の中は整理されていく。

俯瞰している 中立的な場へ
自分の根をおろすことができる。

_

めまぐるしい半年間は、すでに始まった。
つまり天体達の逆行まつり。

逆手にとって、これまで登りきらなかった階段を
私は登ろうと決めている。

そのために、2月春分あたりから
大きな流れに私は意図的に乗ったのだから。

たけのこの時期
わーぐしゃぐしゃだったなー。

藤の花の時期からタケノコの時期へ。

自分を大切にすること・自己愛を極める。
と、密かに燃えていた。

台所の壁をはいでみたり、
お遍路ファミリーが来ることをきっかけに
2階の掃除をしたり。

今住んでいる家を愛している、
愛でる行動は心地よいものだった。

こーゆうこと、軽やかに行動できるときって
健やかなんだなあ。たのしそう。

出てきた。
レトロ〜

そんな4月も終わった。
半年身を置いてみた仕事場ともお別れ。

『よっしゃ、6.21の夏至から健康教室開業するぞ〜』
と意気込みながらも、一旦実家へ帰省。

ヤマト しばらくバイバイ
そらと陽ちゃん
木の人
愛おしい大ちゃん
愛息子の音
仙人
野呂山
ゆず
わたしのだった畑

ひとつ、ひとつ、自分の目で頭で
確認したいのだ。腑に落ちてるってことを。

私の帰省した5月のタイミングで、弟夫婦も
東京から完全に実家へ
後継ぎのため帰ってきた特別な時だった。

変化変容のめまぐるしいのエネルギーと
新しい始まりの春のエネルギーで満ちていた。

だから、あえて
私はできるだけ手伝わないように努めた。

大切な馬や大切な場のことが絡むので
喧嘩の様な時間を過ごし
悔しくて泣くこともあった。

馬達に対して、人間に対して
再建を望み探求する私が
" 浮いている " ことを肯定的な感触として
味わったり、体験させられる流れだった。

一見苦しい体験をすることは尊い。

苦しいとぎりぎりだから
自分のすべてで確認することができるから。

『私はこの乗馬クラブには要らない存在になった』と。

それが腑に落ちるのは、
あの時だけでは完結しなかった。
今ここに来て、その後の展開を観て
あの帰省の1週間で起こった事が
すとーんと腑に落とされる。

4〜5年にわたる、実家・両親がいる場での
私の役割は終わって、弟にパスされた。

んー

そんなこともあり、精神は
内側はじわじわ変容していたのか。

実家から自宅へ帰ってからの流れは
『6.21夏至〜健康教室開業』ではなくなりつつあった。

大切な友達
健やかな食卓
ひょうたんの種
愛おしさでいっぱい
だいすきな畑
手放し

けど、この実家から自宅へ帰る道中の私は
その新しい目標への意気込みでいっぱいだった。

今思い返すと、その思いや考えは
自分という人間の次元上昇に必要な手放しをするためのものだった。

今回の大きな手放しは、
じわじわと始まったのは2年前くらいで
ぐわーと始まったのは2月からだった。

そんなこともあり

いろんなプランが真っ白になっていた。

私は自宅へ戻り、それを整理する間はなく、
『真っ白になった私』として
お遍路ファミリーとの
家族や子供を体験する時間と向き合っていた。

こどもたちと愛おしいおかあさん
片付け手伝ってくれた
生まれ変わったこのお部屋
たびばかぞく
庭が賑やかな夕方
だいすきなみんな、ばいばい
あもさん ありがとう。

あぁ。この詩、今にぴったりだな。

お遍路ファミリーの一個上の友達が私へ
回してくれた一冊の本だった。

あの人たちと過ごした日々も、
現実的に開放させてもらえることばかり。

ひとりでは成立せず、誰かといることで成立し
その先を体験できるんだー。と身をもってわかった。

そーゆうことを教えてもらった時間だった。

だいすきな Andy

そののち
大切な同性の同世代パートナーと、その子どもと
約1週間共に過ごす体験に繋がっているとは。

人生はうまいことできているものだな。

だいすき
再び ひとりのじかんへ。

すべて愛おしい時間だった。
あっとゆうまに過ぎ去った2ヶ月間、
風のようだった。そして今にいたる。

今週から、
直感で決めた梅農家でのバイトが始まった。

2日間、無我夢中にフルタイムで仕事して
頭の中を整理する間もなく。
昨晩、
いっぱいいっぱいな自分に気づいてあげれた。

今日お休みをもらって、よかった。

昨日の仕事で『秋くらいまで仕事あるよ。』
と、遠回しに延長をお願いされた。

その展開をきっかけに、
私のいっぱいいっぱいだった頭はパンクした。

人のためにと思うと、たしかにがんばれるけど
私はもう、頑張るために生きていない。

人のために動くことに、肯定も否定もないのだが
私は人間で、今立っているの地球なので
どうしてもさあ
私は明晰さを求める人間なので
何か分けて考えたり言ったりしなければならない。

そーゆうものだから、時々
人や社会などの意識を 自分の中に
受け入れ 流し過ぎてしまう。

そうなって、いっぱいいっぱいになって
自分の望むことが分からなくなるのが
私という人間なのである。

me

その根っこに在る信念を忘れかけいた。

わたしは、人間と馬の再建を探求する人間で

そのために、
現実と精神の境目を日々感じていて
目に見えるものと見えないものの
バランサーとして存在しながら、
ライトワークしたい。と望んできた。

これは今の私にとって
変わらない信念であることを再自覚する共に、
この2ヶ月の人生体験で
私の現実は大きく動かされたことに
頭・心、比較的整って
いま、再自覚させてもらい感謝うまれる。

そんなんで 今回、

まだ言葉が熟してきてないのを感じたから
6.21から開業することを遅らせた。

自分の描いている健康教室に必要な何かが
6.21〜と考えてみると、足りないのだ。

真っ白になった未来が在るのを気づいているのに
過去決めたプランを実行するのにこだわる理由はなかった。

私、これからは意図的に人生を創造するって
結構強めに決意したんだった。

それが苦しいなら、もうそれはやめていると思う。

その決意に縛られているのではなく、
その決意を達成できていないのではないか?と
疑うような人生体験を
させられている時期だっただけだった。

極と極を体験しながら必要な学びを得ていく、
それが人生なんだった。

究極的に、人間という生き物は
自分で決めたことしかできんもの。

自分が望んだから、現実になる。
だから私は、望みや欲求を丁寧に選んで
それを心から宇宙へ放ちたい。

他人からみた自分なんてものは、
だいたい苦しそうに見えるものなんだ。

私は宇宙の原理にそって明晰に生きていきたい。

今朝のヤマト

今朝は、昨晩の涙で目が腫れていた。

ヤマトの朝ごはんやって ぽけぽけして
まだ泣き足りないのもあり、寝床へ。
泣きながら寝ながら 浄化する時間過ごした。

体も 外仕事で疲れていたようで
重力に抗したくなかったので
十分なところまで休むことができた。

コーヒーとパンとバターとはちみつで朝ごはん。
自分を取り戻すのって、こんなことを
自由な心でやるだけでよいんだー。

coffee time

私は、この環境で、この生活をしていることに
今 不満はない。むしろ満足している。

そーゆうことを常に自覚できていなかったことに
気づかされた 尊い時間だった。

庭へ作った 小さな畑

そして今回のタイトルにした
『焦らないこと』。

他人や社会のペースについていこうとすると、
『早い。ついていけないから焦る』となる自分に
今朝気づいて、
やっとそーゆう気づきをメモしはじめていた。

ついていかんといけん。と
強く思っている自分を手放すために。

なにより今決めている私のペースは、
精神的かつ土台的なのだ。
なぜなら、大挑戦を目前にしているし
意図的に人生を創造していこうとしているから。

一段一段は、私にしかわからないほど詳細に
分けている。その順番で進むことへの、
美学やこだわりのようなものがある。
( 子どもの頃からあるなあ、そーゆうところ )

だから、どうしても他人や社会のペースより
表面的に、現実的に遅くなる。

ある意味そのために、
不満のない環境や状況に身を置いている。

私にしかわからないそのマイペースを
歪める必要はない。と分かりつつも、
今回の様に鬱の側へ入ってしまうと
時々、人を巻き込んでしまう。

仕方のない 弱さを知るための学びタイムだった
と認識しつつも、

私はもっと強くしなやかに自分の足で立ちたいから、
一旦、『かっこわる』『情けないぜ』と
滲みっぽくなってみる。そうらしい。

創造過程にいる。
頭の中で創造物が造られているのを感じる。

新しめの人生体験は、まだ言葉へ熟していない。

独自の繊細な感覚で、
自分へ受け流していきたい。

今回の流れ・これからの流れ、活かしていくぞ。

自分の人生を 健やかにしていくために。








この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?