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会議、打ち合わせでは誠意を見せよう

私の上司は、異常な熱量で会議や打ち合わせに臨みます。議題を読み込み、理解しづらい時は図にして、時に現場に聞きに行ったり、見に行く。規程や手順案にはいつも赤く修正案が書き込まれていて、会議では必ず意見を言って、議論を促す。

必然的に私たちにもそれが求められるわけです。ましてや、私が事務局の会議は、事務局として議題の理解と、その提案をそのまま通して良いのかどうかの検討を事前に行います。

周囲には、そこまでやる必要ある?とか面倒臭い、と思われているんだろうなと薄々感じてはいます。

でも、これからの病院で生き残るには、そのような姿勢、構えが必要になってくるんだろうとも、感じています。むしろ、そういう姿勢、構えがない人は、駆逐されたり、道を踏み外す可能性も高いのではとも思います。

幻冬舎の見城徹社長は、そのような姿勢、構えを「誠意」として、次のように定義しています。

誠意とは、スピードと無理をすること、そして感想を言うことである。

「755」見城徹トークルームより

見城社長の領域においては、クリエイターに対する誠意を見せると言う意味での上記内容と思われますが、多くのビジネスパーソン然り医療従事者のクリエイティビティを発揮できる場である会議や打ち合わせにおける「誠意」とは、「無理をしてでも相手(顧客である患者、病院、部署、その会議や打ち合わせ自体や全体の流れ)のことを思い、考え抜いて、期限までに自らの思想信念主義主張に基づき意見を持ち、それを表現すること」だと思います。

結局のところ、人間同士、あるいは人間の集団において信頼されて、関係性を作り、目的を達成し続けるためには、どのくらい誠意を見せていけるかと言うことが勝負のような気がしています。

誰だって、付き合う上でのベネフィットが得られない場合は、関わりたくないと思います。この人の言うことを聞けば、この人に後押しして貰えば、この人に関われば、この人に乗っかれば十分な利益があるだろうと判断をしてもらってこそ、協力を得られます。日々の誠意ある行動から、信頼性、もとより再現性を得てみなさん判断するわけですね。

上記のような誠意を見せない人は、場の力学に左右されやすいのではと思います。立場が上(だと思っている)の人間の意見や多数決、場の雰囲気に流されたり、プレッシャーがかかる場所、つまり不正が正当化されるような現場に置かれたら、流されてやってしまう側です。そう考えると、ちゃんと顧客のため、組織のためになっているかを考え抜き、表現ができる人間は(めんどくさくはあるが)信頼できますね。

誠意を見せるだけ(あえてここでは「だけ」と表現しますが)で、信頼され、発言力や影響力は格段に上がります。ということは、自分の述べる意見にも、耳を傾けてくれやすくなるということです。

とはいえ、まあ誠意を見せることができる人は、実際のところあまり多くはないです。なぜなら、誠意はめんどくさいですから。

とはいえ、注意しなければならない勘違いされているパターンもあります。多いのは、自分の都合を押し付ける意見や重箱の隅をつつくような意見をただつらつらと述べるような、老害的な行為です。それは誠意からかけ離れた行為です。

あくまで顧客にとって、組織にとって、他人にとって何が最適か、利益が最大化するのかを考え抜く行為と、それを表現することが誠意です。自分も誠意だ誠意だと言って、文句を言うマシーンにはならないようにしたいと思います。

めんどくさい、くだらないことだとは思わず、一つ一つの会議や打ち合わせに、しっかりと誠意を示して、多方面に信頼関係を作っていく所存です。

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