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歳を食うと誰からも指摘されなくなってくるから、指摘される状態を作る

年齢を経るにつれて、指摘されなくなってくるなと感じています。それは百歩譲って自分がいろんなことを習熟してきているからということもあるかもしれませんが、大きな理由は、ただ年齢を経たことによる権威勾配が生まれているのかもしれないと常に思っています。

仕事をし始めた当初は、できないことも多く、組織の中で自分が一番年齢が下という状況で、指摘されるのは当然のことです。というか、指摘されることこそが仕事のようなところもありました。でも指摘されるということは、成長する機会をいただいているということです。

時を経つにつれて、年齢や経験年数が次第に上がってきて、役職がついて、知らぬうちに自分の声や影響力が大きくなってきたことにより、指摘していただける人が少なくなってきていることはひしひしと感じています。

時代の流れもあるかなと感じています。有益な指摘とパワハラの境目が非常に曖昧になってきているので、あえて危ない橋を渡って成長を促すような指摘をしてくれることが少なくなってきているのではないかと思います。

人によっては、指摘されることを極度に嫌う方もいますが、自分はだんだん指摘されなくなってきたことが怖くなってきています。間違ったことをしていたとしても、何も指摘されず、やってはいけないことを行い続けてしまったり、やらなければいけないことをできない人というレッテルを貼られていることに気づかないまま、仕事をしている可能性があるからです。自分で自分を客観視して、修正をして、自分で自分を成長の機会を得ていかなければならないというのは非常に難易度が高いことです。

また、自分が正しいと思って口にしたことが、すんなりと通りはじめると、果たして自分の意見は組織にとって本当に良いことなのだろうかと不安になることが増えてきました。組織の選択が自分の意見で左右される可能性が高くなるので、それ相応の覚悟を持たないといけないと思います。

そんな指摘されない条件が揃っており、これからもっと指摘されなくなっていく状況において、すこしでも指摘をしていただきやすくするためには、やはり普段から「自分を指摘していただける状態にしておく」ということもひとつの技術だろうと思います。

自分が心掛けていることは、指摘していただけるような心の準備を常にしておくということです。自分のやっていることに自信を持たないというわけではなく、あくまで自分は正解と思ってやっているけど、別の正解があるかもしれないし、本当は間違っているかもしれないし、他人から見れば正解ではないかもしれない、ということを常に思っています。正義の反対は悪ではなく、また別の正義、ということです。

こう思っていることで、何か指摘が入った場合、それをまっすぐに受け止めることができます。思いも寄らない角度から指摘が入ってくると、人間だれしも素直な気持ちを忘れ一瞬身構え、心が頑なになります。その身構えや心の頑なさが反抗的な態度や表情、言動に現れてしまいます。あくまで一旦、受け止める。受け止められる準備をしておくということは非常に重要です。

特に、自分の後輩や部下など、立場的に指導したり指示したりする相手からの指摘を受け入れるには、かなりの努力を要します。自分ももっと素直にならなければならないと感じるときがあります。

やはり「言霊」という言葉があるように、心がけには発する言葉もコントロールしておいたほうが良いと思います。指摘に対しては、まず絶対に肯定的な言葉を発するようにしています。「でも」「しかし」といった言い訳や否定的なことを発すると、後に引けなくなって心もそれを正当化しようとして、だんだん頑なになっていきます。「そうですよね」「なるほど」といった、あくまで一旦受け止めるという姿勢を示していくことで、意外とすんなりと受け入れられやすくなります。

とはいえ、何もすべてを飲み込む必要があるというわけではありません。指摘が的を得ていない可能性もありますし、指摘が嫌がらせなどの誤った動機から生まれているものも、中にはあります。あくまで一旦受け止める。そうすることで、本当に有益なもの、自分の中に取り込むものを取捨選択する、という時間を設けることができます。

上記のような心がけと言葉によるコントロールで、うまく指摘される状態を作り、いただいた指摘を受け止め、取捨選択し、それを飲み込んでいくことで、上下左右からあらゆる視点を取り入れることができます。自分の周りにも、誰からの指摘もうまく受け止め、取捨選択して、飲み込んでいくことで実力がどんどん肥大化していく方に時々お目にかかる事があります。自分が良いと思ったものをどんどん吸い込んでいく吸収力が尋常でないので、成長スピードは異常で恐ろしいです。そんな人になりたいと思っています。

指摘する側に思いを馳せると、指摘していただける方は、指摘するときの気まずさを押し殺して、ちゃんと指摘してくれているのだと思います。耳が痛いと思うことを指摘してくれる人こそ、信用信頼すべき人です。自分よりも上司や先輩は指摘することが仕事のようなところもありますが、後輩や年下、部下で指摘してくれる人は本当に信頼がおけます。なぜなら、本当はしなくても良いのに指摘してくれているのです。自分が嫌われたり、嫌がられたりすることを覚悟して、そのような指摘をしてくれているということは、その指摘は芯を食っている可能性が高いと自分は考えています。

逆に、自分も臆せず指摘していきたいと思います。もちろん、相手へのリスペクトを持つことは当然として、間違っていると思うことを間違っていると指摘することこそ、本当に相手のことを考えているとも言えます。

お互い、指摘しやすい関係性というものを、立場や役割の上下に関わらず、構築しておくようにして、成長スピードを高めていきたいと思います。

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