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狼煙のような音楽が唐突に流行る

見慣れたはずのハリウッド製パニック映画のような展開が日に日に現実のものとなり、ゾンビに襲われないまでも、夏を待たずに経済的にゾンビ化しそうな予感がする。いやはやまったく。

村上龍氏の「半島を出よ」という大部の小説がある。
その小説の舞台となる日本の描写が、最近頓に思い出されるので、引用させて頂きたい。

あの、猿のような顔をしたアメリカの大統領が、アフガニスタンとイラクとイランとシリアの民主化に結局は失敗しましたと認めたころ、ドルが急激に下がり始め、円はしばらく上がったが今度はドルと入れ替わるように下がり始めた。そのあと、地方自治体や特殊法人の債券がものすごい勢いで下がり、しばらくして円が売られ始め、やがて国債が、次に株が暴落を開始した。緊急事態ということで、株の取引はしばらくできなくなり、そのうち銀行も閉まった。国債を大量に持っていた銀行がつぶれ、国が借金でパンクして、円がさらに下がってしまうと、石油や食糧が足りなくなって寒さや飢えで人が死ぬのだと露骨なことが言われだした。
(中略)
預貯金の引き出しが制限されている間に、消費税がだんだんと上がって、最終的に十七·五パーセントになった。税金を上げないといずれ円は紙切れになってしまって、日本は破産してしまい、外国人に会社や土地を買い占められてしまい、日本は日本ではなくなってしまうのです、と財務大臣と総理大臣は涙ながらに説明した。そのあとインフレが始まって、結局国民の金の四十パーセントほどを国がいただいた計算になった。

この小説のなかで日本は、以前書いた『村上龍「ヒュウガ・ウイルス」再読』のようなウイルス渦ではなく、世界経済の停滞という現象によって、活力を失い続ける。
そうした状況下のこの国で、登場人物は広大なホームレス居住区にいる。

全国でも有数のホームレス居住区となったこの広大な場所は、緑地公園を略して「リョッコウ」と呼ばれている。リョッコウは東名高速の川崎インターから府中方面に数キロのところにあり、横浜市と川崎市にまたがっている。
(中略)
リョッコウの中には段ポールや古新聞やビニールシートなど野宿資材を売る店があるが、金がないと買えない。公衆便所は有料で、NPOが管理する簡易トイレも何ヶ所かにあるがそれも有料だ。それでもリョッコウに入ってくる人はあとを絶たない。リョッコウには現在四千人以上のホームレスがいて今も増え続けている。
(中略)
リョッコウに入ってくるとみんなすぐに無反応になる。脱力感と奇妙な安心感で、からだも神経も麻輝してしまうのだ。

そして、広大なホームレス居住区に紛れる危険人物たちよりも、周囲や環境からどんな目にあっても、主体的に考えたり行動したりしない大多数のフラフラしたホームレスの不気味が描かれる。

スギオカやシノハラのような人間は確かに危険だ。

だがそれよりやっかいなのはこのリョッコウに集まっている連中だ。
彼らは会社の都合で会社から放り出されても、
家族に家を追い出されても、
国家から預金を奪われても、
それでも何かを信じようとしている。
本当に何かを信じたいから信じるものを探すのではなく、
何かにすがっていなければ恐いというだけの理由で寄りかかれるものを求めているのだ。


スギオカやイシハラやシノハラのような人間に焦点を当ててリョッコウに集まるホームレスやNPOの連中を見ると、現実感がなくなる。顔つきや態度や動作のすべてがフラフラとしている。風景全体が白昼夢のようだった。

                   (*強調・改行は引用者による)

日本人は、信頼ではなく安心を求める。
なので、太字で引用したようなホームレスの群れが誕生する可能性は十分にあると思う。

本当に何かを信じたいから信じるものを探すのではなく、
何かにすがっていなければ恐いというだけの理由で寄りかかれるものを求めているのだ。

それは、国が衰弱しきっていない今でもそうだし、延々とそうなのだ。
高度成長期までは、安心にすがる日本人の心性が集団としてとてもうまく機能していたからそれでよかった。
しかしこれからは、私も含め日本人にとって、安心材料の減り続けるなか徒手空拳で生きる事が、それだけで一大事業である気がする。

* * *

タイトルの「狼煙のような音楽が唐突に流行る」は、文字通りの事を直感的に思ったので、本文と特に関係ないが題してみた。


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