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選ぶ 選ばれる


Marriage Story


最近、マリッジストーリーという映画を観たのだが、ローラダーン演じる女性弁護士のセリフで涙が出てきた。
スカーレットヨハンソン演じるニコールが離婚調停の応答の練習をしている場面で、その女性弁護士が放った長台詞だ。

"People don't accept mothers who drink too much wine and yell at their child and call him an asshole. I get it. I do it too. We can accept an imperfect dad. Let's face it, the idea of a good father was only invented like 30 years ago. Before that, fathers were expected to be silent and absent and unreliable and selfish, and can all say we want them to be different. But on some basic level, we accept them. We love them for their fallibilities but people absolutely don't accept those same failings in mothers. We don't accept it structurally and we don't accept it spiritually. Because the basis of our Judeo-Christian whatever is Mary, Mother of Jesus, and she's perfect. She's a virgin who gives birth, unwaveringly supports her child and holds his dead body when he's gone. And the dad isn't there. He didn't even do the fucking. God is in heaven. God is the father and God didn't show up. So, you have to be perfect, and Charlie can be a fuck up and it doesn't matter. You will always be held to a different, higher standard. And it's fucked up, but that's the way it is."

人々は時々ワインを飲み過ぎて子供に怒鳴ってバカという母親を受け入れない。わかる。私もするから。でもいい?私たちは不完全な父親を受け入れる。いい父親なんて考えはわずか30年くらい前に生まれたの。その前は、父親は静かで、時々いなくて、頼れなくて、わがままで、私たちはみんな彼らに変わってほしかった。でも基本的には私たちは彼らを受け入れてたの。私たちは彼らの不甲斐なさを愛するけれど、人々は絶対に同じ失敗を母親がするのを受け入れない。構造的にも精神的にもダメな母親は受け入れられないの。なぜって、ユダヤ教もキリスト教もマリア様、神様の母親は完璧だから。彼女は、処女で子供を産んで、子供に揺るぎないサポートをして、彼らが死んだときは亡骸を抱きしめるから。そして、父親はそこにはいない。父親はそれすら、何もしない。神様は天国にいるの。神様は父親で神様は現れないの。だから、あなたはいつでも完璧でいないといけない。チャーリー(ニコールの夫)はクソだったとしても何にも問題はない。けど、あなたには常に異なる、高い基準が課せられるの。めちゃくちゃだけど、そういうものよ。


私はまだ20歳にもなってなくて、子育てのツラさも、全く経験してない。けど、この場面でなぜか涙が止まらなかった。


選ばれる女になりなさい

日本にいると、女性として「〜あるべき」というのが常に求められているような気がする。電車に乗っていると、二重整形とかダイエットとかの広告がチラつくし、東京で「バーキン買うなら豊胸しろ」っていうなんかちょっと笑っちゃう美容整形の広告なんかを見たことがある。Youtube見てても、「理想の女子の体重は?」とか渋谷でインタビューしてるような動画が上がってきたり。なんなんだよ、個人の容姿のことでうるさいな、とか、なんであなたたちの意見なんか聞かないといけないの?って心の中で毒付いてるけど、でも、なんか結局ちょっと気にしてしまう自分がいる。

小学校3年生くらいのとき、こんなことがあった。
クラスの男子何人かが可愛い女の子ランキングを作ってたことがあって、それがクラスに知れ渡った。女子たちは、(私も含め)、ほんっとう最低だよねーとかなんかムカつくよね、とか言ってたけど、本当に心から許さないみたいな子はいなかったし、なんならちょっと自分の順位が気になってたと思う。別にその男のこと好きでもなんでもなくてもさ、なぜか気にしてしまうんだよね。私はそういうランキングをつける発想はなかったんだけど、もしそれを女の子がしていたら、クラスの反応は違ったんだろうか。

高校1年生の時にも同じようなことがあった。
入学して1週間に行ったレクレーション合宿の夜に、男子が全員一人ずつクラスのどの女の子が良いか名前を上げて、それについてみんなであーだこーだいうみたいな会があったらしい。女子の部屋でもどの子が格好良いよねとか言ってる子はいて、高校生だしなんとなく恋バナみたいなのが始まるのはわかるけれど、男子がしているそれはそれとはまた違う気がした。言語化するのは難しいけれど、なんか容姿とかそういうのだけで、その女子がイケるかイケないかを判断するみたいな、ランキング付けみたいな。すごく気持ち悪いなって思ったけど、自分の名前は上がったのかな?っていうのが頭によぎった。

なんとなくだけれど、男性の中には女性を自分たちが選んでるという発想が常にある気がする。そして、女性は男性に選ばれるという構造を、拒否感を示すことはあっても、どこかで受け入れている。選ばれる側にいることを拒絶してない。そういうものだからって流しているのかもしれないけれど、それって怖いことだと思う。私は高校生でジェンダー問題に興味を持つようになったけど、そういう女子は少なくとも私がいた地方の公立校ではあまりいなかった。学校では男女平等だと教えられ、性別で何か苦しむことは一般的にはほとんどないと思う。私たちが目に見える性差別を経験するのは社会に出てからしかない。でも、本当はそんなこと全くなくて、見えない性差っていうのは学校生活から始まってるんだと思う。



長々と取り止めのない文章を書いてしまったけれど、このnoteは心に引っかかったこと、思い出したことを書く自分の思いの保管場所にしたいと思う。考えとか意見ってその都度変わっていくものだと思うから、そんなに自分の心を決めつけずに、着地も目指さずに楽に思ったことを書きたいな。


もし読んでいただけて、コメントなんかもあったりしたら、書いていただけると嬉しいです。






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