陰翳礼讃を礼讃するまで 3
前回からの続きです
新入社員の私は陰翳礼讃を礼讃出来るのか
私の父は大工でした。
丁稚に始まり親方にしごかれまくって鍛えられた生粋の人です。
なのにとにかく優しく、私は幼い頃から現場に一緒に連れていってもらい、かんなクズを集めたり、端材を積み木にしたりしていました。
ものづくりを間近でみてきた影響が強く、だから今のこの仕事に就いているんだなぁとよく思います。
なんやかんやで大学院卒業を迎えるのですが、プロダクトデザインの求人なんてそんなちょうどいいタイミングになかなかあるものでもなく、しばらく父の仕事を手伝いながら就職活動しておりました。
すると程なくして照明器具メーカーの求人を見つけます。
「もうこんなん絶対行くやん。」
と思った私はすぐに応募します。
電気回路を作れなかった経験もなんのその、学生時代はほぼ照明のことばかり考えていましたと言わんばかりのポートフォリオ(作品集みたいなもんです)を作りながら、ハタと気付きます。
そして取り出したるは「陰翳礼讃」。
照明業界ですもんね。
「好きな本は?」
「陰翳礼讃です!」
「ッ!?どこに感銘を受けましたか!?」
「日本人の忘れかけている光と闇の美学、それを憂う谷崎氏の考え方に感銘を受け、、、「はい、採用ーーー!」
「あざまぁーーーすっ!!!」
と、なりかねない。
行動は早いに越したことはない!何を言われてもいいようにすぐ再読します。
律儀にまた読むところが、いかに真面目だったか分かりますね。
そして、改めて本を目の前にして、あの日の記憶を辿る。
図らずもあのとき金工室で垣間見た闇。
不確かなはずのそれは、想像できないほどの存在感を私の記憶に残していきました。
当たり前ですが、あれ以降この本に触れていなかったわけではありません。
あの時の感覚、あの出来事がきっかけで自分の中に明かりや闇に意識が芽生えておりました。
もしかしたら、あの日、明かりが消えたあの暗闇の中で、闇の住人が自分の一部を取り分けて、私の中に住まわせたのかも知れません。
なんて小説っぽく表現したりして。
あれ以来、影があるとじっと見つめたり、照明を全くつけず自然光の元で過ごすことも多くなりました。
そして後日の面接。
陰翳礼讃の話など全くせず、お決まりの質問をいくつか。そして採用。
つまり私は自らの力で受かったわけですね。かっこよさ。
そこからいよいよ、今日に至るそして、この後も続く(のかは私次第)となる照明業界でのお仕事を開始するわけです。
前の記事でも少し触れたのですが、入社当時の私といえば「明るさ上等!」みたいな考え方です。
あんな経験をしてなお、陰翳を礼讃するどころか、基本的には照明の方を礼讃でした。
これには理由があって、初めての社会経験で希望通りのデザイン部門に配属され、ともかくヒット商品作っていくぞっていう気持ちが強かったんです。
だから必然的にお客様の声をもとに作っていく。
そうすると、、、これは前にお話した内容参照です。
入社した後はそんな風に躍起になって仕事をしていたわけですが、やっぱり徐々にデザインってそういうことじゃ無いんじゃないの?っていう、ちょっとキャリアを積んだデザイナーの初めの葛藤なんかが訪れる。
「美意識みたいなことだけで商品売れたら苦労せんわ」みたいな意見って、デザインが介入している会社であれば当然のようにあるんです。
近年でこそデザインを経営資源として捉え、その価値を再認識する企業は増えましたがやはり日本はまだまだ旧態依然。
そこに価値を見出す経営陣や幹部は多くはなく、そういう理解を示してくれる人が会社に全くいないと、その葛藤を何度も自分の中で揉みまくって精度を上げたり、考え方を自分で固めていくしかないんですね。
ここでやっと谷崎氏のあの諦めが、自分ごととして理解できる。
当時の自分の等身大で、その現実を体感するわけです。
、、まあ、、そうなる、のかぁ。
理想と現実は違うし、成功しているからこそ綺麗事は言える。
谷崎氏がいかにストイックに自分で書いた理想の住まいを具現化して、その美を享受しながら生活することがいいって言ったって、やはり便利なことは人生の豊かさや幸せにつながる。
当時、人気であった西洋風の暖炉が気に入らない谷崎氏が作中でこのようなことを言います。
あぁ、諦めていますね。
そしてさらにこう続く。
諦めからの嘆きです。
西洋文化を取り入れるのではなく、独自の研究をもっと盛んに行って東洋の科学技術が発展を遂げていれば、製品なんかも私好みのものがいっぱいあったのに。
さらにこの後、「物理も化学も東洋が研究したら、その根幹から違った考え方の原理を発見できたんじゃないの?学理的なことは分からんけどそんな気がする」とか、もう半ばロジックを捨て去った事まで述べたりしていますが、文士があまりにも力強く書くのでなんだかそんな気さえしてくる一文は必見です。
もちろん、そんな根っこを覆すようなことを言ったり、他者の功績を素直に認められなければ、結局日本がどんどんガラパゴス化していくだけだと今になっては思えます(実際そうなって今に至る部分も大いにあると思います)が、当時はまだまだ根強い考え方だったのかもしれません。
ここで、美意識に感銘を受けすぎてた自分がふっと冷静になるんです。
気付きや表現が素晴らしいことを一旦置いて、もう一回読んでみると、、
めちゃくちゃ愚痴っぽい。笑
いや、わかってました。
何度も言うように谷崎氏も自身でそう仰ってる。
でも、私はまた見て見ぬふりしてましたよね。この違和感を。
何も知らない自分という存在が、物申すなんておこがましい。
出てきたものに言うだけなら誰にだって出来るし、ここまで深く突き詰めて考えた人に意見をもつ資格があるは、同じだけそれに時間を費やした人。
私が感じた部分なんかは、もう本当に言葉にすることでもない。
なんて自己肯定感の低い考え方で、よくない本の読み方でしょう。
これも今だからそう思えることですが。
それはさておき、
作品が後半へ向かうにつれエンジンがかかったように、次から次へと本人曰くの 「愚痴」をどんどん書き連ねてゆかれるのですが、進むにつれどことなく精細を欠くというか、なんだか少し雑な雰囲気さえ受けます。そこを化け物じみた文章力でねじ伏せている感じ。
こればかりは私の先入観がそうさせているのかもしれませんが、同時にずっと感じていた違和感の輪郭が少しずつ見えてきたような気もします。
随筆やし連載中の当時の感情なんかも影響しているんやろなぁ、、と考えるのは無粋かなと思いながらも、今度はこの谷崎潤一郎という人物像に興味が湧いてきた私は、同氏を別の角度から書いた著者を手に取ります。
そこでやっと、長らく付き纏っていた違和感の正体と、あぁこうして初めて理解に繋がるのかというものの考え方に気付かされるのでした。
続く
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