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雑文 #296 雪玉

数日前、東京に雪が積もったよね。
私は雪玉を作って、猫にお土産にしたら、ぺろぺろ舐めてた。小さくなるまで。
美味しいんだね。ぎゅっと固まりやすい雪だった。

私は積もった雪を踏むのが懐かしかった。転びやしない。
そう言えば四年振りの積雪警報だと言っていたけれど、四年前の2018年のその時は、私が秋田から東京に越してきたばかりのときだった。
家の前の日の当たらない道路が、つるつる滑っていつまでも氷が溶けなかったことを鮮明に思い出す。

年末頃から、父が入院している。
転んで腰を打ったのだ。
父が入院がちになったのは、10年ちょっと前からだった。
ひとつの病気で入院しては、復活し、また別の病気で入院し復活し…を繰り返してる。
二度目の大きな病気を乗り越えてから、父は変わった。
私はずっと父と合わなかったが、父が変わってから話しやすくなった。
共通の趣味は映画鑑賞だから、私が秋田に住んでいた時代(学生の頃を除く)、よく一緒に映画を観たものだったけれど、もういまは父の目は微かにしか見えない。
病室ではテレビも見えないので、専らラジオを聴いているそうだ。
私も1日の中でテレビを観ている時間よりラジオを聴いている時間のほうが長い。

父には面会できない。
病院でコロナ患者が出たから、お見舞いお断りなのだ。
時々電話するけど、相部屋なのでそんなに長く話せない。
しかもそんなに長く話す話題も見つからない。

この頃思うのだ。
いまの自分の気持ちの本音を話せるいちばんの人物が、父でないかと。
とりわけ仲が良かったわけでもないけれど。
しかも、相手は長く入院していて弱っているのに。
なぜなんだろう。

母のことは書く勇気がない。
私は親孝行ではない。
どちらかと言えば親不孝だと思うけど、それも致し方ない経緯があったと思う。

でもシンプルにいま思うのだ。
雪が降った情報だけ耳で知って、景色を眺めることもなく、日がな病室のベッドの上、リハビリの時間以外は動くこともできず、ひたすらラジオを聴いている父のことを。
そんな父を、どこかで心の頼りにしている小さな子どもみたいな自分のことを。

故郷のことを。
つい四年前まで、故郷で両親と住んでいたことを。
父は、母は、いまをどう考えているのだろう。

そして私はどう考えているんだろう。

猫にあげた雪玉はなかなか溶けなかった。

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