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勝算のない恋なんて、しないはずだったのに、もう少しだけ片想いでいたい

「勝算のない恋っていつからしなくなったんだろうね」

高校時代からの大切な友達とカフェで「好きな人ができて、片思いかもしれない」と話していたときに、友達がふと呟いた。

大人になると、一つだけしか見えていなかったことがさまざまな方向から見えるようになったり、正解を求めるのではなくその過程に意味があることに気付いたり、「ああ、自分、成長したな」と感じることがある。

「勝算のない恋」はまさにその逆だ。

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昔はただひたすらに心の中にモヤモヤ埋めく「恋」という感情に振り回され、まっすぐにその人を好きでいられた。隣にいられたらこんな話をしよう、次連絡がきたらあんな話をしようと考えるだけで、お風呂が長くなって家族から怒られたり、なかなか寝付けなかったりした。

純粋に、「恋愛」を楽しんでいたんだと思う。手を繋ぐとかキスをするとか、付き合うという行為はもっともっと先の方にあって、ただ今この「好き」という感情と100%向き合っていた。

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もちろん、相手に好きな人がいたり、全然振り向いてくれなかったり、傷つくことだって数え切れないほど経験した。

しかし、大人になるにつれてずるくなる。できれば傷つきたくない。できれば同じ気持ちがいい。できれば告白しないでそのままなんとなく手を繋いで、キスをして、「付き合ってください」なんて待たずに、無条件で隣にいられる権利が欲しい。

「自分に興味を持っている人」を振り向かせる術は持ち合わせていても、片想いの相手を振り向かせる術なんて、どこかに置いてきてしまった。

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ピロリン、と音がして連絡が来るだけで、どんな内容でもにやけてしまう。
電話がきたときは心臓が飛び出るほど嬉しいし、できるだけ長く声を聞いていたいと思ってしまう。
二人で会おうなんて言われたら、迷わず個室を選んでしまう。
送ってもらったなら、寒いという理由であと少しで触れられる距離を隣同士で歩きたくなる。

もしかしたら、もうこんな恋愛をする年齢ではないのかもしれない。ただ、その方法を忘れる前に、誰かをまっすぐに純粋に「好き」と思える気持ちを忘れる前に、いつまで続くかわからないこの「好き」を育てたい。

いつか、自分のことを「好きだ」と言ってくれる、欲しい言葉を全部全部くれる、別の人が現れるそのときまで。