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人生を変えていく

転職や結婚や引っ越し、どれも大きなライフチェンジ。
沢山失敗して、ときにはちょっと弱気にもなって、まるで自分だけが現実より数段だめに思えることがある。どんな自分も自分だから、そんなときがあってもOK。わたしもOK、あなたもOKの精神でいたい。(OKかNGかというジャッジは不要)

いつになったら自分の人生に本気になるんだろう?
いつになったら「みんなと同じ」を諦められるんだろう?
どこまでいったら「私のオリジナルの人生を歩く」って決心がつくんだろう?

自分にそういう決断ができるって期待しすぎていた。
でも、そもそも今の人生はそんなにダメなのかな?
何が足りないと思っているのかな?

掘り下げていくと、無意識の広告やNEWSで刷り込まれた価値観、昔からの友人や環境での経験、そういうものをいつまでも「大事なもの」として持ちすぎていた。抱え込みすぎていた。

私はピラティスが大好きなのだけど、始める前から「大好き」ってわかっていたのに、なかなかフィットするものに出会えなかった。
エアロビ万歳みたいな先生にあたったり、美容やスタイルをよくすることが大事という先生にあたったり、とにかくポーズをこなして!という流派だったり。でも諦めなかったのは、背骨が気持ちよく動くことを自分が知っていたからだと思う。

それは例えばダンスやおいしいものを食べるとき・作るとき、好きなものを見つけるとき、好きだと気付くときに似ている。

そのときと同じ気持ちになるからわかる。
だからずーっと、心の底からワクワクして、他のノイズが入ってこない、欲がなくなる瞬間といえばいいのか、感覚がものすごくシャープにクリアになる瞬間をいつも待っていた。

もしかして仕事でもこういう感覚をもてるのかも、ここに行けばこれを買えば、この人たちの間にいればそういう風になれる・・・のかも?
言葉にすると人任せに感じるけど、そうしているうちに、なんでもかんでも試さないと、誰かの立場に立ってみないと分からないと思うようになった。
そうやって自分を見失った気がした。

影響を受けることをいいことだと思っていた理由は、自分の価値観を超えて新しいものに出会える楽しみで、新しい自分になっていくことを期待していた。(改めて意識しなくたって、肌が30日で変わるように体の細胞が2,3年で入れ替わるように、自分のマインドもどんどん入れ変わっていく)

それが、いつの間にか「この中で認められないといけない」「この人の価値観に染まらないといけない」に変換されていた。

気が付けば、自分も含めて何か横並びで比較したりできるような共通の物差しなんてもうとっくにないのに、透明な物差しに縛られていたのは私だった。

人知れず持っている物差しも、測られる物差しも人によって違う。
楽しそうに見える人でも全く傷つくことがないかと言えば、そんなことない。
でも、その物差しは本当に私が傷つくようなことだろうか?傷つかなくていいことにまで、その人たちのために/自分のためにあえて傷ついてない?ってことがあって。

もっと普通に私の一度きりの人生を楽しみたい。
「ライフチェンジ」って大げさな、そしてコーチから聞いたときは「ダサッ!!!」って思った笑。

全部自分だぞーって認めて、やりたいこと全部やるような、遠慮しない人生にしよう。

実際にやることは日々のこまごました整理です。人生変えるからって急に職を変えたり引っ越したりはしない(それが目的ではないので)。
とりあえず年末には、今より中身と外が一致している気持ちいい人になれるようnote始めました!



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