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愛しの映画館

めくる捲る季節の合間に立って暫し物思いに耽るように中洲大洋前の小道を歩いて、それから福博であい橋の設けられたベンチに座り込んだ。

本当にもうないのか。

やっぱり悲しい。それだけである。思い出は沢山あって、中洲大洋に救われた。高校卒業後、学年でたった一人何処にも向かうことが出来ず、二年もの間鬱屈した日々を送りその間に頭が少しずつ可笑しくなった。結句、本格的に精神が破綻し常に喉が閉まるような症状に陥り、飯が喉を通らず、それでも家族の手前無理に運ぼうとするが案の定トイレに向かう日々を送った。その症状が発祥した日、私は家族でラーメンを食べた。たった一本の麺を啜っただけで、おもむろに立ち上がり店を立て、その脇の茂みで吐いた。次の日、大学の入学式であった。

それからの日々は精神的な狂いに苛まれ続ける日々だった。飯を食えど吐いてしまう。電車に乗れば人混みで吐きそうになる。窮地に追い込まれ、時にはこのままでは死ぬかもしれないといった気持ちにもなった。

 同年八月にバイトを始めた。高校卒業後の二年間にやっていた早朝バイトの夜の部へ復帰した。
 待ちに待った給料日、私は普段とは違うことをしてみることにした。
それが中洲大洋との出会いである。
 
初めて中洲大洋に訪れたとき、私は暫くその周りをうろちょろしていた。以前から知っていた。しかし入る勇気かなかった。なぜなら私は小心者であり、今も同じであるが、こういった店に入ることが本当に苦手なのだ。とどのつまり未だに飲食店に一人では行ったことがない。不安なのだ。自らの奇怪な所作で出禁になったりしないだろうか、相手に不快な気持ちを与えてしまうのではないだろうか、上手く商品を注文出来るだろうか等と考えてしまう性であるからである。
 何度もスマホを開いて予め目星をつけた映画の上映時間を確認し、映画館前の電光掲示板に書かれた同じ上映時間を確認し、けたたましく蠢く都会の喧騒に聳え立つ中洲大洋の看板を認めてから、私は一つ深呼吸をして館内へと入っていった。

 受付のカウンターには黒縁のメガネを掛けたお姉さんが対応してくれた。私は映画の名前を伝え、所定の金額を財布から出して支払った。
「お好きな席を口頭でお伝えください」と目をぱちぱちさせながら言った。私E-19でお願いしますと言って、チケットを受け取り、二回のロビーでお待ち下さいと流されるように向かった。
 螺旋状になった階段を上ると見覚えのある顔が出迎えてくれた。チャップリンである。私はなんだか少しほっとした。そんな記憶がある。
 二階ロビーはまさに劇場であった。往年の映画スターの肖像が額縁入れられて壁に飾られていた。なんだか私の知らない世界、けれども懐かしい場所にやってきたと思った。
一先ずトイレを済ませ、チケットの時刻を確認すると開演まで五分を切っていた。すると足音を聞こえた。私はトイレ前のソファに座っていたが、途端にそっちの方へ顔を向けた。チャップリンの影から覗いた風体はまさにそのまま影を引きちぎったような男だった。
 私はビックリした。イオンモールに併設された映画館では出逢えないような人だったからである。心が踊った。これが私の想像する映画館だった。理想だった。客は私とその一人のチャップリンだけだった。スタッフさんの「まもなく開演です。」の声がロビーに響いた。
私は立ち上がり、チャップリンはトイレへと向かった。すれ違いざまなんだか私はおもむろに会釈をした。安心感を与えてくれた手前、そうした方が良いと思ったからである。

小階段を登り、劇場内に入ると、それはそれは思わず声が漏れた。こんな素敵な場所私は知らないと思ったからである。見渡す限り真っ赤な椅子で敷き詰めてあり、昔子供の頃に絵本で観たような場所だった。私は座席に座り、スマホの電源を落とした。
そわそわしていると、後方から音が聞こえチャップリンが入場してきた。私は何気なく後ろを振り向き、その手には銀色の缶を持っているのを認めた。その時この映画館は持ち込みOKということを知った。

しばらくすると開演を告げる音がなった。
ひととおり予告が流れ終わるとお決まりの頭部がカメラ姿の男が街を暴れまわり最終的に逮捕され館内は暗転していった。
とうとうはじまった。それからというもの私は中洲大洋に惚れてしまった。

バイトが休みの日には映画館へと向かった。
 中洲大洋で好みの映画が上映されていない時は、以前からこれも気になっていたkbcシネマとkinoシネマに足を踏みいれた。これも勇気が必要だった。しかし中洲大洋での衝撃と感動を持って扉を開けた。きっと私は中洲大洋がなければ映画を好きになったいなかっただろう。今では部屋がdvdやらブルーレイで大変なことになっている。

映画館がなくなるのは悲しい。
中洲大洋最終日、わたしは死に物狂いでチケットをとった。足を踏みいれて以来、スクリーン1では特別な理由がない限り同じ席で見続けた。
最後はチャップリンの黄金狂時代/給料日であった。
中洲大洋に着いたのは午後二時過ぎ、その時点だ映画館前には沢山の人集りがあった。老若男女が写真を撮っていた。行き交う人々の話し声が聞こえた。
私はその横のファミリーマートでお茶を購入して館内に入った。事前に予約したチケットを手にロビーへと足を進めていくと、二階から人の並みが下へと流れていた。その前日にも私は独裁者と街の灯を観にきていたが、それ以上な気がした。それでも順番に二階へと向かい、その道すがら私はまたチャップリンと目があった。

二階ロビーでは三月に入ってからのさよなら興行での一連の催しとして客が思い思いに劇場の思い出を紙に書いて、そのロビーの壁面に貼っていくといったことが行われていた。三月に入ってから、ここに来る事に本来の壁の色の面積が縮まっていく事に悲しくなっていく思いと、そこに綴られた個人個人の思い出を読むのが開演前の楽しみであった。
最終日、私はお決まりの一先ずはトイレを済ませ、また押し寿司状態の人間を抜けてトイレを出て右側にある階段方面へ身を預けた。
私はこれまで館内の写真を撮ってこなかった。そんなことをするのが少し恥ずかしかったからである。嫌に自意識過剰なところがあるが、先日からのムードに便乗するような形で私も写真を撮っていった。
数十枚写真を撮った後、聞き慣れたトーンで入場を促すスタッフさんの声がロビーに響いた。私はもう一度だけトイレに行き、ポップコーン売場の列に並んだ。

劇場に入場するともう既に沢山の人が着席したいた。最善付近では幾数名の人が記念撮影をしていた。私も自分の席から撮ろうと思ったが、モタモタしてスマホの電源を消すのも忘れそうな気がしたので終わってからにしようと思い、電源を落としてバックに放り込んだ。

開演を告げる音がなって、スクリーンに映像が流れだした。それは中洲大洋の歴史を振り替える内容であり、三月中に週代わり?で放映されたものが一挙に流れた。私はその時点でダメだった。無論ここで泣くのはなんだか負けたような気がして、しかし止めようとすればするほどに涙が頬を伝っていく。私はあえて涙を拭う素振りを見せずに映画用に掛けた眼鏡をくいっと直す素振りをして涙を引っ込めようとした。それでもダメだった。

毎度恒例のあの奇天烈な二人が上映マナーを告げた後、暗転、とうとう最後の上映が始まったのである。

私は終らないでくれと思いながらも進んでいく映画に心が焦った。黄金狂時代の一つ前に流れた給料日では、予告編に該当する中洲大洋歴史での涙で途中まで話が入ってこなかった。
しかし本編である黄金狂時代では平静さを取り戻し、やっと映画単体として向き合うことが出来た。チャップリンがアクションを起こせば、何処かの座席で漏れ聞こえる笑い声が聞こえてきた、。私も笑った。気兼ねなくわらって、時折啜り泣く音も聞こえた。

 思えば満席の映画館というもの事態、あれが初めてだったかもしれない。両隣に人がいて、前方にはびっしりと人の頭が見える。その上にスクリーンがあって映画がある。そんな光景はもしかしたら今後出逢うことがないのかもしれない。私は幸福であったと思う。

エンドロールが流れ、暗転から一転劇場に灯りがともった。同時に拍手が響き渡り私も手を叩いた。目を開くと立ち上げれそうになかった。いつもの赤い座席、確かフランス製とかいってた、もう座ることがないかもしれないと思ったら、ずっと座っていたくなった。

 座席の下からバックを引きずり出してスマホの電源をつける。カメラを起動させて、スクリーンとまだ立ち上がろうとしない人達がいる状況を背景にして写真を撮った。後ろを振り替えって、映写機がある小窓目掛けてシャッターを切った。また正面を向いてチケットを左手に持って、今日という日が分かるようにもう一枚撮った。立ち上がって、前方の人集りが画角に写らない場所まで歩いて写真を撮った。

そのシャッター音がなった頃合いで「名残惜しいでしょうが、そろそろ退出願います。」とスタッフさんの声が聞こえて、劇場内に吹き出すような笑い声がなった。
 柄にもなく写真を撮りすぎたなと思った。それでもここで撮らなければ明日には後悔すると確信していた。
 私は劇場内からロビーへと向かい、またトイレを済ませ、ロビーへと出た。最後の方まだ劇場内にとどまって思い手に耽っていたが、ロビー内にはまだ沢山の人がいた。目の前を行き交う人のなかにあ、あの人何処かで見たことあるなといった人がいる。そんな人の目に涙がある。私は少しやっぱり泣いてしまうようで、眼鏡を直す仕草でごまかしながら、見知らぬ人の思い出を読んでいた。

ひととおり自分なりの折り合いをつけた後、私はロビーから一階へ続く階段を降りようとした。その際、かのチャップリンの後ろ姿があった。思えばある意味では、この劇場にきて見た初めての映画スターである。せっかくなので写真を撮ろうとシャッター切った。それから階段を降りて、正面の写真も撮った。一段階段を降りて、一つの思いがよぎった。チャップリンと一緒に写真を撮りたいと。しかし横を過ぎていく人にお願いする勇気がなかった。なので、今まで一度もやったことがない自撮りスタイルで彼を画角に収めて共にシャッターを下ろした。
我ながら下手すぎて、明らかに手慣れていない写真だったが撮らないよりかはマシだろうと及第点を押して、階段を降りていった。

受付前ではこの映画館を支えてきたスタッフの方々がいた。私は感謝の意を告げて、外へと出た。なくなるのは本当なんだなと、改めて思った。
 中洲大洋前の歩道には見渡す限りの人がいて、それに加えて報道陣がいた。あの馬鹿にデカイカメラ初めて見るななんてことを思いながら、人集りの後ろについた。
灰色の曇が中洲の空に棚引いていた。
真横には地下鉄があり、私はついぞそれを利用せず、映画館に向かうにはいつも博多駅から歩いてここに向かい、帰りも同じ道程を歩いた。
映画を見る前と見た後では街の雰囲気が違う。どんなに嫌なことがあったとしても、映画を見た後では世界そのものが素晴らしく思えるのだ。

人集りの後方で思い出に浸りながら待っていると、前方で多くの人がカメラを頭上に構えだした。館長さんとスタッフの方々が頭を下げているのが隙間から見えた。大通りからの車の騒音に負けない拍手の音が聞こえ、私も同様にそこに乗っかった。さながらニューシネマパラダイスのようだった。

 館長さんとスタッフの方々が映画館のなかに入っていくのが見えると閉館という言葉が頭にくっきりと浮かんだ。
人集りが散り散りになり、私も流されるように足を進めた。PARCO方面へ茫然自失の体で歩いた。
「シャッターおろされるじゃん」
「え、本当やん。めっちゃ悲しいんですけど」
心にぽっかり空いた穴に春風が過ぎ去っていく。私は何やら騒がしい声がすると思い横を向いたら大洋2へと通ずる道にシャッターが下りていたことに気づいた。
 被っていた帽子に雨粒が落ちた。
これで帰る気にはなれなかった。

中洲大洋とさよならをした後、福博であい橋の設けられたベンチに座り込んだ。ひと息ついてレコード屋等々を巡った。しかしそのどれもが心に響かなかった。幾つ目かの店を出ると雨が先程より強く降っていた。レンガ造りの小道に水溜まりが出来ていて、橙色の街頭が揺れながら輝いて映っていた。それから傘を差して帰路へ、そして折角だからとまた立ち寄ってしまった。時刻は7時半、いつもならネオンが灯り、行き交う人の顔がよく映える。けれども、今日は辺りは仄暗く、それがより一層、私を悲しくさせた。








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