ジョジョ・ラビットは砕けない
この物語は1945年の春、S市杜王町を舞台にした少年少女の奇妙な冒険である。
い…いや…
体験したというよりはまったく理解を越えていたのだが……
あ…ありのまま今起こった事を話すぜ!
「おれはスクリーンの前でイスに座っていたと思ったらいつの間にか泣いていた」
な…何を言っているのかわからねーと思うがおれも何をされたのかわからなかった…
頭がどうにかなりそうだった…
興奮だとか感動だとかそんなチャチなもんじゃあ断じてねえ
もっと美しいものの片鱗を味わったぜ……
第四部のタイトルと舞台を引用しながら、画像とセリフは第三部で矛盾してるし、そもそも映画の感想を嘘から始めてすみません。
しかしこれは酔狂じゃないんだ。
一つの町を舞台に、それまで選ばれし者達の物語だった奇妙な冒険を市井の人達にフォーカスを当てつつ日常の延長線上にある非日常を描いた本作はどう考えても第四部ですよ。
そしてこのツイートをご覧ください。
そしてこちらをご覧ください。
ジョジョの奇妙な冒険第四巻表紙。
いやぁ、これは絶対読んでるでしょ。ジョジョを。
原作タイトルは『caging skies』なのを大胆に『ジョジョ・ラビット』に変えてるのもそうとしか思えない!
そして何よりジョジョ第四部の影の主人公川尻早人は小学生(推定10歳)ということ!
まあ、ガバガバな当てこすりはこの辺までにしますけど、ついつい映画に関係ない漫画の画像を編集したくなるぐらいの熱量を生み出す映画なんです。
少年は如何にして大人になりしか
戦争を少年視点で描いた本作は、無論戦争の悲惨さや残酷さそして独裁政権による様々な弾圧をシビアに描いています。しかしながら今回はそれについて言及する予定はありません。それについてのレビューはたくさんあるでしょうしね。
それよりも少年が大人の階段をのぼる姿を描いたところに私は痛く心を打たれました。まさしく青春の扉を開いてしまったジョジョ少年、グレートだぜ!
この映画では大人の階段として、『靴ひもが結べるかどうか』ということがメタファーとされています。もちろんジョジョ少年は自分で靴ひもが結べません。言い換えればこれはジョジョ少年が靴ひもを結べるようになるまでの物語です。
大人の階段として本作では以下のステップが用意されています。
①良き友との出会い
②良き大人との出会い
③親からの巣立ち
④自己の解放
⑤過ちを受け入れる
⑥良き恋
この6つの階段を登り切った時、ジョジョ少年は大人になるのです。
①良き友との出会い
仗助の友達と言えば康一と億泰ですが、ジョジョにとってはヨーキーこそが素晴らしき友達です。もっともヒットラーをイマジナリーフレンドに持つジョジョにとっては2番目の友達みたいですが。。。
そんなこと本人の前で言っちゃダメだぞ、ジョジョ!
手榴弾を使った訓練で大けがを負い、兵士になれなかったジョジョに対しても変わらぬ友情は言わずもがな、大人の階段を登りつつも不安なジョジョに何の偏見もなく全肯定で背中を押す心の持ちようは靴ひもを結べる我々も見習わなくてはならない姿勢でしょう。
そして彼は間違いなく靴ひもを結べることでしょう。
ともすれば暗くなってしまう映画のなかで、癒しとも言える存在感を出しています。なぜ米国アカデミーは彼をアカデミー助演男優賞にノミネートしなかったのでしょうね。男女や人種等あらゆる差別と決別すると言うのであれば子どもにだって賞を与えてもいいと私は思います。
もちろん主演であるジョジョを演じるローマン・グリフィン・デイビスが主演男優賞にノミネートされていないのも同様に不満です。
そして日本アカデミーは新人俳優賞などやめてしまえ。なんで岸井ゆきの主演女優賞ノミネートじゃないんだ。すみません別の映画でした。個人の感想です。
②良き大人との出会い
ジョジョは2人の良き理解者とも言うべき大人と出会います。1人は既に出会っているというか産みの親であるスカーレット・ヨハンソン演じる母親ロージー。そしてもう1人はサム・ロックウェル演じるヒトラーユーゲントの指導者クレンツェンドルフ大尉、通称キャプテンK。
映画のキャッチコピーである「愛は最強」を体現しているのが、ある時は父親として、またある時はユダヤ人少女を匿う大人として、そしてどんな時も良き母であるロージー。予告編ではイタリアの降伏を祝う姿を見せている通り、戦時においても自分の信念を曲げない彼女がスクリーンに現れると観ているこちらも戦争中であることを忘れさせられます。強く美しい、まさに愛は最強。
私の一押しのシーンは戦場から帰ってきた少年兵をねぎらう一言。
素晴らしいセリフを是非劇場でお楽しみ下さい。
文句なしのアカデミー助演女優賞ノミネート!
ジョジョが出会う前からどうやらロージーのことは知っていたと思しきキャプテンK。その為なのか、ケガさせた負い目なのか、元々持っていた慈愛が故なのか、おそらくそのすべてを理由に、ジョジョに対し並々ならぬ愛情を示します。ジョジョは彼に出会ったことで、親以外の大人を知り、その大人が自由な発想を持つことと世の中には厳しいルールがありそれを守らなければならないという大きな矛盾をはらむことを学んでいきます。
ロージーとの関係も謎ですが、最大の謎はあのタイミングの家庭訪問ですね。そして本当に新調した制服を着た姿を見たときは思わず笑ってしまった。最高だよ、キャプテンK。
アカデミー助演男優賞はノミネートされてないけど、ほとんど同じ役柄(お茶目でゲイの公務員がラストで男気を見せる)で2年前に受賞してるからまあ良しとしよう。そうそう、このラストで見せる男気は堪らないものがあるので是非とも劇場で噛み締めて下さい。
③親からの巣立ち
ここに関しては全面的に割愛します。是非スクリーンでご覧ください。
ただ一つ言えるとしたら
ジョジョはまだ
靴ひもを
結べないッ!
④自己の解放
こう書くとまるでスタンドの様ですが、イマジナリーフレンドとは勿論ジョジョ自らが作り出したもう一人のジョジョに他なりません。自らを客観視できないジョジョはそれでも自分を見つめるために主観の中にもう一つの主観を作り上げてしまうのです。
外の世界を知らない幼きジョジョにとってある程度の成長を促す作用がありますが、自らの世界が拡がり始めた中においては居心地の悪いものになっていくのです。果たしてジョジョは自らにかけた呪いを解き放つことができるのか。
⑤過ちを受け入れる
子どもとは嘘をつく生き物です。できてないことをできたと言う。言ってしまう。大人と比べて当然できないことが多い子どもたちは、それでも大人になりたがるが為に嘘をついてしまうのです。そしてその嘘の引っ込め方を往々にして子どもは知りません。
誠に残念なことですが、実際のところ大人になってもここは非常に難しいところです。自分でも小さなプライドがジャマをしてしまうことが多々。。。
さて10歳の少年ジョジョはついつい嘘を重ねてしまいますが、果てしてその責任を取ることができるのか。。。
これから映画をご覧のみなさん、心を掻きむしられる準備はできていますか?
⑥良き恋
これは言わずもがな、むしろ書いてるこっちが恥ずかしくなりますが、少年も、もちろん少女も恋をして大人になっていくのです。
ボーイ・ミーツ・ガールの教科書のような展開は時に微笑ましく、時に羨ましく観ている者をジェットコースターに乗せてくれます。
1945年、ドイツ人の少年とユダヤ人の少女。それはさしずめモンタギューとキャピュレットと言い換えてもいいかもしれません。
しかしながらこの恋模様を観ていてつくづく反省しました。時代を理由にするのは簡単ですが、なんでもスマホでググって調べてわかった気になってる自分と比べジョジョはどうでしょう。本当に大切なことを自然にやってのけます。
ジョジョは如何にして靴ひもを結びしか
さて突然ですが、皆さんはネクタイを結べますか?
ではネクタイを結べる皆さんは人の首にネクタイを結べますか?
これ、意外と難しいんですよ。
普段見ている目線が180度変わると左右があべこべになるんですよね。脳が錯覚を起こしているのかもしれません。本当はとても簡単なことが簡単にはできなくなってしまうのです。
靴ひもも同じではないかと思います。
蝶結びをする時の上下と靴ひもを結ぶときの上下は異なるからです。
④自己の解放でも少し触れましたが、靴ひもを結べないというのはその意味で自分を客観視できないということを表しているのではないかと思います。
つまり靴ひもを結べない=大人になれないだとすると大人=自らを客観視できることということが言えるでしょう。
戦争や人種差別は言わずもがな。時代とともに蠢くあらゆる偏見に飲み込まれず、自分は果たして客観的にものごとを見れているのであろうか。
そんなことを靴ひもを結べるようになったジョジョ少年に教わった映画でした。
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