見出し画像

「偶然の装丁家」を読んで


「今度、インドに行きたいと思っているんです。」

ちょうど去年の今頃、東京芸術劇場のとある作品で一緒になった共演者の方に、晩ご飯を食べながらそんな話をしていた。

文学座で長年俳優として様々な作品に関わってきたその人は、旅好きでいろんな場所に行っている方だったのだけど、

「僕の知り合いで、矢萩多聞さんという人がいるんだけど、この人の本とてもいいんだよ。」と教えてもらったのが、この「偶然の装丁家」という一冊だった。

ちょうどその年の冬の文学座の公演のアフタートークで多聞さんがゲストでくるとのことだったのだけど、予定が合わず、私の携帯のメモの「読みたい本リスト」にいつまでも書かれたまま、なかなか読むことができなかった。

「図書館で探さなきゃ・・」と思いつつ

私にはやっかいな読書癖があって

「本がモーレツに読みたい・・・!!」という時は

月に何度も図書館に通い、10冊目一杯借りてきて、ひたすら読書に明け暮れるのだが、

「なんか活字を読む気がサラサラおきない・・・」となると

とことん本は読めなくなる。

このムラっ気が曲者である。


コロナ禍においても、せっかくステイホームで家で過ごすしかないのに、最初はまったく本を読む気にならず、映画やアニメか漫画か・・・私の本読みたい欲はウンともスンともとも言わなかった。


ところが、6月半ばあたりから、俄然本を読みたい欲が湧き水のようにバッシャーンと出てきて、もうそれからは、ひたすら図書館に通うようになった。

そんななか、である。

ようやく「偶然の装丁家」にたどり着けたのは。

画像1

https://www.amazon.co.jp/偶然の装丁家-就職しないで生きるには-矢萩-多聞/dp/4794968485


中学一年生で不登校になり、14歳の頃からインドに暮らし、絵を描いてきては日本で個展をやり、本を出すことになり、その後、装丁家になっていた多聞さん。

そう聞くと、相当突飛な感じというか、最初からすごい変わっていた子に見えてしまう。

でも、本の中に書かれていたことは、そういったぶっとんだ感覚やインドのイメージにある突飛さではなく、日々の暮らしや、人との出会い、これまでの人生のなかでひとつひとつ、多聞さんが出会い、選択してきた日々を丁寧に綴った文章だった。

でも、大切なのは、多聞さんはそのなんでもない日々に見える毎日の中で

大事なものをちゃんと見つけている

それが今につながっているんだろうな、ということだった。


とても心に残った文章がある。

それは、この本のあとがきだった。

多聞さんの小学校時代の友人で、22歳で他界してしまった友達のことを書いた話だった。

ひきこもりになってしまった友人を励ますように、多聞さんと同級生の仲間たちは小学生の頃の好きだった子とのデートをセッティングする。

しかし、とても緊張して寝れなくなってしまった友人は、薬を飲み、そのまま起き上がらなかったという。

多聞さんは、今でもその子のお墓参りに行く。

この本を書いている中で、自分はその友人にあてて書いていたんだということに気が付いた、と。


「ひきこもり」「ニート」「フリーター」・・・

日本という国は、まず自分の名前の前に「肩書き」を求める。

私自身、「肩書き」があった時の方が少ないので、「何をされている方ですか?」「どこにお勤めなんですか?」といろんなところで言われるたびに

この宙ぶらりんの感覚に惨めになったことも何度もある。

何か、見えない標準線みたいなものが日本人の人生設計図にあって、

この線から逸脱した人は、みんなどこか変わった人としてみられる。

ちょっと変わった人、として。

でも、世界を見れば、そんな線なんてどうってことない、というか、そんなもの本当には何もない。

人の数だけ、生き方があり、死に方がある。


4年前カナダを旅していた時、街の中にいる人たちの人種の違い、話す言葉の違い、着るものも全く違えば、価値観も働き方も、本当に様々だった。

好きなものを身に纏って、道すがらホームレスのおじさんに「めっちゃ似合ってるね!」と言われて、バス停でも映画館でも知らない人と話し込んで、

なんだか私は、本当に自由だった。

日本に帰ってきても、時々その息苦しさに、

「あの時の感覚を忘れちゃダメだ。」と言い聞かせる。


それでも、そんな私がここまで来れたのは、日本にいる様々な友人たちのおかげだと思う。

私のことをずっと見ていてくれて、励ましてくれる友人たちや、芝居の道をずっと進み続ける友人たち、旅の中で「上には上がいた・・・(何の?)」と思わせるぶっ飛んだ人たちもいれば、とにかく、見渡せばいろんな人がいて、いろんな生き方してるんじゃーーー!と気づかせてくれた友人、知人たちだった。

この人たちに出会えただけでも、私の人生は本当に豊かになった。

人との出会いが、私の人生の数少ない、そしてなによりも大きい財産である。

でも、だからこそ、こういう出会いや、「ああ、変わってていいんだ」と思える人に出会えないと、日本は相当生きづらい国だ。と思う。

肩書きや、世間体や、様々なものに縛られる。

生きていくのはしんどい。

でも、だからこそ、一緒に生きたい。

生きてていいし、

生きていて欲しい。

そう思う。


「どうして、表現の道を選んだのですか」

今でも、表現の道を選んでいるといえるのか、自分の中ではよくわかっていない。

キラキラしたように見える業界から久しく離れて、果たして私はどこへ向かおうとしているのか私自身もわからない。

ただ、純粋に、表現したい

それだけだった。

それだけ、不器用だったのもある。

生きる中にある「光」を描きたい。

ただそれだけ。

それは、祈りのようなものでもある。

届くかわからない、でも届けずにはいられない。

そんな、ひとつの祈り。


多聞さんの本を読んでいて、

本作りとは、こんなにも奥深く、

たくさんの人たちが関わり、想いを込めて作られたものだったんだなぁ、と

あらためて学ぶ。

一冊の本が、誰かに届く。

その人の人生を変えるかもしれない。

何十年後かに届くかもしれない。


それは、本だけにかぎらず、世の中の全ての仕事は、本当はそうあるべきなんだろう。

あなたの今日の仕事が、誰かの日々を変えている。

仕事だけではない。

たった一言の挨拶が、誰かの今日を照らしているかもしれない。

少なくとも、私は、そうやって救われたことのある1人である。

画像2


photo by Ben Matsunaga

HANAICHI Web site ↓

https://hanaichi871jpn.wixsite.com/website





この記事が参加している募集

#読書感想文

187,064件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?