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キング牧師の命が尽きた場所で感じたあの感覚は一生忘れない

大学2年生の夏。
私はアメリカのテネシー大学に行った。
たった2週間の滞在だから、留学とも言えないし短期留学とも言えない。
文化交流と語学研修だ。

私にとって初めての海外。
たった2週間でさえ、私はまだまだ世界を知らないんだと痛感した。
そして英語は、話そうという気持ちさえあれば意外と通じるということも。
この2週間は私の視野を広げ、そして衝撃を与えた。
その衝撃は最終日から2日前に起きた。

この日はメンフィスにある"National Civil Rights Museum(公民権運動博物館)"に行った。
ここは、非暴力による人種差別撤廃運動に貢献したマーティン・ルーサー・キング・ジュニア(キング牧師)が暗殺された場所であり、黒人差別等の人種差別に関する資料を展示し博物館にした場所だ。

私は大学で、人種差別に関する講義もとっていた。
特にこの研修で引率してくださった教授は、黒人差別問題を専門としていた方だ。
先生の授業を履修している時から、数十年前までこんなにも悲惨な差別が当たり前のように行われていたという事実を受け入れられなかった。
本当にこんなことがあったのか…?ほんとうに…?
という感覚だった。
だが私はこの日、この博物館で、その事実を突きつけられる。

入場する前、ティファニーブルーのドアが立ち並び可愛いなとさえ思っていた。目印に気づくまでは。

博物館に入る前、ティファニーブルーのドアが印象のモーテルが目に入る。
あまり日本には無い色使いで、可愛いなと感じた。
しかしあることに気づく。
あの目印はなんだろう。

キング牧師が狙撃された場所

同行していた現地の大学の先生が言った。
「ここだよ、彼はこの飾りがあるドアの前で狙撃されたんだよ。」
一瞬にして、心の中の何かがうごめいた。
1968年、今からたったの約56年前のこと。
私の両親が生まれてまもない頃位だ。
そう考えると割と最近のように感じないだろうか。
100年以上も前の話では無い。たった50数年だ。
その時代、彼はここで暗殺された。
私はこの場所から、言葉に表せない感情とともに博物館を巡ることになる。

入場してすぐ、何か波の音と共に鉛のように重く暗い唸り声のようなものが聞こえた。
その音の方へ進むとそこには船に乗せられた黒人奴隷の展示物。
聴覚と視覚によってまるで私もその船に乗っているような感覚に陥った。
身を小さくして鎖で繋がれている黒人奴隷たち。
人間が同じ人間にすることとは思えぬ展示だった。

次は子供の写真の数々。
幼く、可愛らしい、笑顔の写真も多い。
しかし彼らは、黒人がよく集まっていた教会爆破事件の被害者たちだ。
まだ幼い未来のある彼らの命は、“黒人“だからという理由だけで一瞬にして奪われてしまった。

次に印象に残っているのはバス・ボイコット運動の展示。
黒人は後部座席、白人は前方座席と区別されていた時代、ローザ・パークスという黒人女性が白人女性に席を譲らなかったことが発端で始まった、黒人たちによる非暴力での抵抗だ。
展示のバスの中に入ると、ローザ・パークスに白人乗客たちが浴びせる罵声の音声が聞こえてくる。
私は一刻も早く出たくなった。彼女はこんな言葉を浴びせられながらも、断固として動かずにいたのかと、彼女の勇気ある行動に改めて敬意を表したくなった。

館内を回っているとき、とても印象的な出来事があった。
白人の親子が展示を見ている。
お子さんはきっとまだ5歳くらいだろう。やっと小学生になった頃だろうか。
大体そのくらいだ。
かろうじて聞き取れたのはこんな内容だった。
「いいか〇〇(名前)。これは少し前にあった本当の出来事だ。黒人だからという理由でたくさんの人が亡くなった。俺たち白人は決してそれを忘れてはいけない。いいな?」
子供はそんな真剣な父親の言葉をしっかりろ受け取っているようだった。

そしてもう一つ。私も思わず涙してしまった場所がある。
それはキング牧師が暗殺される直前まで居たモーテルの部屋の展示だ。
当時の状況を可能な限りそのままにしているという。
飲んでいたもの、ベッドの状態。
まるでまだそこにキング牧師がいるかのような、そんな空間だ。
その前に来たとき、その展示を見ていた何人もの白人の方々が涙を流していた。
キング牧師はきっと常に危険は感じていただろう。
でも、これが最後になるとも思わずに朝目覚め、コーヒーを飲み、新たな1日を迎えたはずだ。
当時の状況を語るアナウンスと展示前に書かれてある英文を時間をかけて読みながら、当時の状況をイメージするだけで涙を流さずにはいられなかった。

キング牧師が実際に止まっていたとされる部屋

反対側の建物に行くと、犯人が狙撃した部屋も見ることができる。
ここから犯人は彼を撃った。
どんな感情で撃ったのか、ここから見た景色は犯人の目にはどう映っていたのだろう。
考えたところでわかりたくもなかった。

犯人がキング牧師を撃ったとされる反対側の場所

私は特に事前に講義でこの黒人差別の一連の歴史を勉強していたこと、また展示にもあった事件や暴動に関する写真や映像、詳細を知っていたこともあり、展示を見ながら理解を深めることができた。
あの悲惨な出来事は、本当にあったことなんだ。本当に。
この日博物館は多くの来場者がいた。特にこの年、キング牧師が亡くなってからちょうど50年が経った節目の年だった。
多くの白人の方が目立っていたように感じる。
そして多くの人が一つ一つの展示の前で足を止め、悲惨な過去を、目を背けたくなるほど酷い過去を、一人一人が受け止めていた。

私はその時代に生きていなかったから、黒人ではないから、今こうして展示を見る側になっている。
でも私が黒人であの時代に生きていたら。
誰しも差別される側にもする側にもなれてしまう。
もしその時代に生きていたら私は何を感じ、何ができただろう。
白人の中にも当時、黒人差別に対して意を唱える人もいたが、彼は裏切り者として酷い暴力を受けるなどした。
多くの意見と反対意見を持ち、それを実際に主張することが私にはできるだろうか。
自分も危険にさらされるかもしれないとわかっていて、私は守りたい人たちを守るために立ち上がることができるだろうか。
そう考えながらこの展示を見終わった。

博物館を出た後、一緒に回っていた友人と共に深くため息を吐いた。
「ふぅ…。なんだかようやく息ができたような気がする。来てよかった。私絶対忘れない、ここで見たこと。」
お互い同じことを言っていた。

船に乗せられた黒人奴隷の展示物から始まり、その瞬間からその時代にタイムスリップし、目の前で悲惨な現状をただ見ていることしかできない、そんな感覚になっていた。
息ができず、目の前の現実をなかなか咀嚼できず、やっと浅い息継ぎをしているようなそんな状態だった。
今でもこの時のことを思い出すと、込み上げてくるものがある。

なぜ同じ人間同士傷つけ合わなければいけないのか。
なぜ色だけでここまで酷いことができたのか。
どうして命まで奪わなければいけないのか。
命に優劣や価値などという言葉は使ってはいけないと私は思う。
どうしたら差別は無くなるのか、争いは無くなるのか、戦争は無くなるのか。
答えは私にはまだわからない。
わかっていたら今頃世界中が平和だ。
でも実際には争いや差別が続いている。

いつか、無くなる日が来るのだろうか。
自分の子供が大人になる頃、この世界はどうなっているんだろうか。
考えると漠然と、今のままでは不安すぎる という感情になる。
だからこそ、今私たち若い世代は動かなければならない。
将来の愛する人々に、私たちが生んだ負の遺産を処理させないために。

今私たちにできることを。

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