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等身大の似顔絵に

僕は、たまにしか行けない保育園。迎えにいくと、日に日に華やかな飾り付けが増えていって、卒園式が近づいている雰囲気を感じていました。

いろいろとあったけれど、上の子は保育園を卒園する年齢になり、イベントのたびに「最後の」がついては、なんとなく寂しいような、そんな日々でした。

ある日、等身大の自画像を描いたと嬉しそうに話してくれたことがありました。等身大の自画像は、僕は小学生の時だったかに描いた思い出があって、絵の具がとにかく足りなくなったことをふと思いました。

きっと紙の上に寝て、身体に沿わせて線を描いて、服の模様を描いたり、顔を描いたりしたのでしょう。僕自身の記憶では、いくら自分自身とはいえ、大きいなぁなんて感じたものです。

子の入学式のために、僕の母に作ってもらっていた服を卒園式にも使いました。実は、入学式用だからと安心していたら、卒園式が来週になったタイミングで、僕たちが「あの服、卒園式にも着せたい」と相談し、たった数日で作ってもらったのです。ほんとうに、母すごい。

子は背が高いので、あえて大人びた色を選んで、服を作ってもらったのですが、これがまぁ似合う(笑)

いよいよ卒園式の朝、園に向かうと、珍しく1番でした。ふだん、どんなイベントでもバタバタとして最後の方に到着していたのですが、その日は単に時間を間違えていました。

続々と集まってくる子たちも、一様にスーツやワンピースなどの大人びた格好をして、式典というちょっとした緊張感のある雰囲気。

おめでとうございます!

いつもの先生たちからは、ちょっと寂しいけれど嬉しい挨拶をしてもらいました。

いつも迎えに来ていた広いホールが、式の会場となり、等身大の自画像が壁に貼られていました。綺麗に並んだ席には、保護者席に挟まれて小さな椅子がありました。

式次第が置いてあり、それを目にするだけで、なぜか感極まって涙が出てきてしまい(まだ始まっていない)、慌ててハンカチで目を押さえて、妻に照れ笑い。

妻は「泣けばいいじゃん」と、ひとこと。それが、あなたなんだから、と。

妻は、僕が感動する場面で、恥ずかしくてつい我慢してしまうことを知っているので、卒園式ではちゃんと感動しなさい、という旨を伝えたかったのだと思います。

式が始まると、保育園のひとつひとつの配慮に感動したのです。卒業証書のような保育証書は、子ども一人ひとりに違う文面でした。

6年間もの間通った園で、どんなふうに成長してきたのか、そんなメッセージを受け取って、さらに子どもたちが「小学生になったら頑張りたいこと」をみんなの前で発表していました。

子の頑張りたいことは勉強でもなく、特定の科目でもない「宿題」でした。それを聞いて、ちょっと笑ってしまいました。楽しく通えるといいなと、改めて思ったのでした。

園長先生の言葉のあと、思い出のスライドショー、というコーナーで保育園のイベントでの写真を見せてくれました。当たり前ですが、どの子も大きくなっていました。

その様子に感極まって、涙がどんどん出てきてしまいました。目の前には園長先生が座っていましたが、もはや視線を気にする暇もなく泣いてしまいました。

涙がこぼれる程度で、顔が歪まないのが初期段階だとすれば、僕の“泣き”は明らかに中期。眉間がより、目尻が下がり、口は半開き、誰が見ても泣いている顔でした。

スライドショーは短く、ずっと泣いているわけにもいかなかったので、すぐにもとに戻りましたが、式が終わると謝恩会的な催しがあり、そこでも子どもたちの動画が流れました。

一人ひとりが少しずつ歌っていくリレーや、クラスのみんなへのメッセージなど、それぞれに工夫をした映像が続き、一度緩んでいた涙腺は、ここでも早々に決壊。

スライドショーでは声がなかったのですが、動画は声があり、それはそれは感動してしまいました。全然僕は関われなかった準備でしたが、大人ってすごいなと思いつつ、子どもたちの成長に感動。

その映像は事前確認と称して、式の日のだいぶ前に公開されていたのですが、僕は一度も見ることなく当日に臨んでいました。そんなこともあって、出るわ出るわ、涙が止まらない。

おまけに、喉から出かかる声を抑えるために、嗚咽のような状態になってしまったのです。子どもたちが歌う歌が、僕の涙腺を刺激していました。

周りを見る余裕などなく、誰かも同じように涙しているかは確認できませんでした。でも、僕がなんでこんなに泣いてるのだろう、と我に帰ると、俄に可笑しくなって、涙を流しながらも、笑ってしまいました。

会が終わって、近くに座っていたママさんが、「誰か泣いてる声がして、○○くんだったんだねぇ」と言っていて、僕から2つ隣の椅子に座っていた園児くんの姿に心を打たれていました。

・・危ない・・たぶんバレなかった(笑)

隣に座る子が意地悪な顔をしながらも、目に涙を溜めていたのも、とても良かったなぁと思います。泣くことが全てではないけれど、卒園の寂しさのような感情を持つようになったことは、成長だよなぁと思うのでした。

担任の先生と写真を撮って、着飾ったお友達との遊びはやめさせて(笑)、保育園をあとにしました。

6年間は、子どもにとっても、僕たち夫婦にとっても長い長い時間でした。保育園は、子どもが子どもらしくいられる場所だし、親は自分が何ができるかを考えられる時間をくれました。

仕事と子育て、保育園がなければ両立は不可能でした。

小学校に入れば、新しい人間関係が生まれることになりますが、まずは残りの日々を怪我なく過ごしてほしいなと思います。


#卒園 #春 #泣き #涙 #自分らしさ #おめでとう





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