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あの日のことを聞いた、あの日の電話

東日本大震災から13年、なんて短い言葉になってしまったのでしょうか。

地震発生から、様々なことが起こり、災害か人災か、目に見えない現代科学の限界のようなものまで露呈した、あまりにも甚大な災害。今なお、復興の道のりにいて、これからの暮らしや地域が元どおりになることは、とても難しいのではないかと思えてなりません。

奇しくも、僕が転職して役所に勤め始めたのが2010年。そして年が明けた2011年の地震だったので、地方公務員としての経験がまだまだ浅いなかで、震災の関連業務を処理する日々が続きました。

幸いなことに直接の被災地ではなかったのですが、計画停電の実施により役所が数時間停電するという日もありました。業務として扱っていた、募金や支援物資の集積などは、このnoteでも当時の経験を書いています。

災害関連死、という言葉を聞いたことがあるでしょうか。

例えば地震による死者、に対して、地震に関連した別の原因による死者という意味合いで使われています。地震が起きた日から数日経って亡くなった場合などが、その例でしょうか。

東日本大震災のあった当時、その災害関連死という言葉で説明されるような原因で亡くなられた方の把握をする部署に、僕はいました。

当時は、地震が発生して数日のうちに、亡くなられた市民のお名前を把握していました。ニュースや消防、病院からの情報提供で把握していくのですが、その原因を耳にするたびに心が痛みました。

亡くならなくてもいい命が、地震によって消えてしまったような、そして遺族の方の思いを想像すればするほどに胸が締め付けられるようでした。

震災の対応でバタバタしているなかで新年度を迎え、支援や情報収集などの動きが少しずつ落ち着いて、ようやく地震発生から1年が経とうかというある日、電話が鳴りました。

「主人が、あの日の夜に亡くなったのですが・・」

・・実は、災害関連死かどうかを職員が判断することはできません。手探りで慎重に、詳しく状況を聞き取りました。

職場から徒歩で帰宅している途上の、とある飲食店で亡くなっていたのだそうです。

詳しくは書けませんが、災害関連死として認定するには、さまざまな視点からの検証が必要でした。まずその手順を確認することに時間がかかり、さらには実際に認定するまでにも時間がかかりました。

その結果が出た時には、すでに僕は異動して別の部署にいました。しかし、あの電話口で聞いた声を不意に思い出すことがあります。

普段通り家を出て、仕事して、普段の金曜日のように帰ってくるはずだった家族が、人知れず、不本意に命を落としているという事実は、一年経っても何ら和らぐことのない悲しみでしょう。いつまで経っても連絡がつながらないという恐怖と苦しみは、想像などできるはずもなく、辛いものだったでしょう。

おそらく、災害関連死を届け出る義務はありません。

なぜ、その人が電話をくれたのか、今となってはその理由はわかりませんが、あの日、生きたくても生きられなかった命が、とても近くにあったことは、忘れたくない記憶です。





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