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普通ってなんだろう #贈りnote

誰に贈るか、決められない。しかし、ひとりにしか贈れない。

先に書かれた方々の投稿を読めば、配偶者の方に贈られているものが多い気もするし、noteでお世話になっている人たちに書くのもnoteらしくていいし。

おだんごさんの、温かな気持ちに触れるような、書いた人、読んだ人が温かな気持ちになれる企画に参加します。 #贈りnote


太郎が生まれた時、それまでの数ヶ月間、ずっと考えていたことが現実になったような、そんな解放感があった。もちろん、新しい命が僕たち家族に加わったことは、大きな出来事だから、とても嬉しかったし、とてもホッとしたよ。

病気でも障害でもないけれど、普通とはちょっと違う・・先に生まれている二人の子を育てている時にも”普通”ってなんだろう、とよく気を揉んだけれども、太郎が生まれてきて、より強く思う。普通ってなんだろうね。

3人目だからもう慣れてますよね!・・なんて気軽に言われるし、事実、僕たち夫婦もそう思っていたけれど、違ったんだよね。子どもはそれぞれに個性があって、そして親である僕たちも状況が変わっている。太郎は、親たちに何かを伝えようとして、その何かを背負って生まれてきたんじゃないか、なんて思うこともある。

哺乳瓶でしか授乳ができないため、太郎は母親の「おっぱい」を知らない。母乳を与えることは出来ていたけれど、自分が生きるための食べ物を母親の身体に密着して獲得する、そんな動物的な営みを知らない。おかげで、僕にでも授乳ができるし、外出先を選ばなくていいという利点はあるけれど。

多様性とか、寛容な社会とかって言われているけれど、果たしてどうなんだろう。太郎が大きくなって、ちょっと違うな・・と気がついたり、突きつけられたとき、社会は見守ってくれるのかな。

親は何ができるのか、こうして考えているいまだって、太郎だけではなく上の二人の子も大きくなっていくし、考えなくてはいけないこともたくさんあるのだと思う。太郎だけじゃない、家族だから。

ある人から「太郎くんが初めての子だったら、下の子を考えないですよね」と言われたことがあった。それって、どういう意味?・・正直、めちゃくちゃ怒りの感情が湧いてきて、言い返しそうになったけれど、「そんなこと絶対にないですよ」と反論した。

そういう自分に気がついた時、親になったなと思うよ。子どもがしいたげられたとか、子どもに危害が及んだわけではないけれど、どの子も人間だし、僕たちの家族なのだから。

太郎には、これからも手術をしなくてはいけないタイミングが何度かあって、それを経て”普通”に近づいていって、成人になった頃に”普通”の仲間入りになるみたいだ。僕は、とても長い道のりのように感じているけれど、その度に太郎が人間的な強さを手に入れてくれるのではないかと期待もしていて。

できることがどんどん増えていくことで、もしかしたら違いを感じたり、足りなさに気がついたりするかも知れないけれど、太郎には頼もしい兄弟がいる。今のところ僕たち親も元気だから。

子どもを育てるって、難しいなぁなんて思うけれど、そうやって頑張った記憶が、いつか太郎にも分かってもらえたら、親としてこんなに嬉しいことはない、そんなふうに思いながら。

冬の始まりのような、寒い朝に。




※現在7ヶ月の息子に向けて書いてみました。「太郎」は仮名です。

希望は「A賞」絵本・・と副賞に目がランランとしています。中川さんのイラスト、ほっこりしていて、僕もよく使わせてもらっています。

おだんごさん、素敵な企画ありがとうございました!



最後まで読んでいただき、ありがとうございました! サポートは、子どもたちのおやつ代に充てます。 これまでの記録などhttps://note.com/monbon/n/nfb1fb73686fd